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備中鶏卵風聞記

 岡山県産の鶏卵が相当古くから備中鶏卵の名で京阪神の消費者から歓迎されていたことを先輩より日常よく聞かされている。
 古来大阪人は着色卵を地玉として珍重賞味して来たそうである。成程大阪近郊の鶏種が兼用種とか一代雑種の飼育が普及し従って地玉は着色種が多く鮮度も良好であるという点が消費者の大きな魅力となっていることと肯かれるがこの外,赤玉を薬物視している土地柄の風習もあるのではなかろうか,このような大阪人特有の伝統的嗜好を反映してか市場側で他府県の色玉を歓迎し仕切値段も白殻卵より余程高いそうである。
 何事にかけても抜目のない大阪人が地玉と称して他府県産の赤玉を高く買わされて喜んでいるとはよくよく考えて見れば食道楽程愚なる者はないと常日頃筆者は考えていたのである。
 余談が過ぎたが過去において関西市場から歓迎され名声を博した備中鶏卵も又この範ちゅうを出でず1箱2−3割方の赤を混じていたそうである。
 戦後は全国的に鶏卵の集荷組織の混乱と品不足が影響して市場側からはその商品価値に対する批判も相当厳しいものがあるがとりわけ大阪市場をお得意としなければならない関西地方の業者筋や養鶏家にとっては余程今後研究して大阪人の食通を満足さすに充分な商品価値の高い鶏卵を安く供給するようにしなければ他の生鮮食品に押されてしまうのではなかろうか。
 嘗つて赤玉2−3割を混じて珍重がられた備中養鶏……赤玉を混じただけで好評を博したのではあるまいが……もその後の養鶏事情の変遷から鶏種が改良純一され主産地の県南部一帯は殆んど白色レグホーン一色となり往時の備中鶏卵は影を潜め僅か山間地の上房,川上両郡と御津郡北部の所謂備北地方にその俤を留めるようになった,現在纒った数量を備中鶏卵と銘打って出荷しているのは高梁町所在の上房郡畜産販売農業協同組合連合会で係員の日夜を分たぬ献身的な努力によって蜿々数10里に及ぶ備北一帯を小型トラックを駆って集出荷し大阪市場の人気も極めてよく現に箱20−30円方高く仕切られている由である。 
 過日筆者は機会を得て備北地方に赴き現地の実態を具さに見聞したのであるが川上郡日里村,松原村,上房郡下竹荘村,吉備郡大和村,御津郡長田村いずれも夜分は狐狸が通うという嶮しい山道を数時間登らなければならない,登りきると意外にも豁然と開けた高原で一連の山系を通して春霞に浮ぶ内海を俯瞰する絶好の地帯である。
 日里村と松原村は当地方随一の養鶏村で中でも日里村は飼育羽数1万羽,特産の雑穀類と結び付いた自給養鶏が普及しており農協組合長の企画する経済振興政策に大きく養鶏事業が取り上げられ,総べて農協を中心とした共同事業が運営され昨年の鶏卵取扱金額は800万円余,当村の農家収入としては米麦を遥るかに凌駕し現在ではなくてはならない産業として村民の前にお目得しているのである。
 日里村と松原村以外の地帯は先進地の県南部に比べ隔世の感がある程,幼稚な経営で鶏種もまちまちで白レグあり,雑種あり,地鶏ありで中には岩戸開きに活躍せしはかくなる鶏かと思わせる珍無類の鶏も飼われている。鶏舎も至って申訳的なもの多く中には縁下に飼われているもの,箱に藁を入れた巣箱のみ納屋の一偶に設け産卵時以外は悠々と青天の下,原野を馳駆する中国式のもの種々雑多である。
 このようにその飼育法は極めて粗放的であり開放的であって全く自然と融合しているため人為的にどうすることも出来ないような力強さを感じさせ一寸やそっとの養鶏危機とやらでグラズク俗世間のものとは一率に論ずることはできないように?われる。
 飼育鶏は放飼の機会が多いので雑草,腐植土,昆虫を飽食する結果,世に言う抗生物質,或いはヴィタミンB12のしからしめる処か,胸肉よくしまりその健康度は集密飼育に比べようもなく発溂とし生産卵の卵黄色は濃厚で卵殻の組織も又堅実である。
 これはその後気付いたことであるが過日上道郡古都村と財田町養鶏組合共催で鶏卵集荷200貫祭が新緑滴る後楽園で催された時,課題の人,池田隆政氏の挨拶の1こまに卵殻が卵重量に占める比重の大なることと食卵,種卵の別を問わず卵殻の商品的或いは生理的役割の重要性を指摘し養鶏家は須らく卵殻を売るという気持で卵殻の組織堅実なものを生産しなければならないと説き臨席者一同大いに之に共鳴して早速その席上に居合わせた岡山市内の鶏卵問題T氏の荷造現場に急行した。偶々川上郡松原村の鶏卵が届いていたので直ちに荷を解き実地検証に及んだ次第である。期待されたように赤玉2−3割比で,県南部産と比較対照すると卵殻の質は触感,音響感等全く相違しその質極めて良好,卵黄色の濃度,風味共に佳良で改めて備中鶏卵の真価を再認識し伝統の威大さに感激したわけである。ここにおいて日頃大阪人の食道楽の愚をけなした筆者も古来赤玉を地玉として備中鶏卵を愛用した大阪人の眼のつけ処に感服し思いを新たにしたものであった。
 ……それにしても養鶏の日進月歩と共に往時の備中鶏卵が先進地域より漸次姿を消し20年?は遅れたと思う備北一帯を僅かに余命を留め大阪市場より歓迎されているということは皮肉なことでもあり往時を偲ぶ養鶏人には嬉しいことだと思う。(27・4・27)鶏狂生