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顧照脚下

杜陵 胖

◎野の百合は如何にして育つかを思え。

 聖書の中に次の様な一節がある。
「野の百合は如何にして育つかを思え,労せず,紡がざるなり。されど我なんじらに告ぐ,栄華を極めたるソロモンだにその服装この花の一つにも及ばざりき。今日ありて明日炉に投げ入れらるる野の草をも,神はかく装い給えば,まして汝らをや,ああ信仰うすき者よ,……汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給うなり。」
 6月の第2日曜日は「花の日」として子供達と共に花を通して造物主の偉大さを考えて来た。自然の現象を通して見る造物主の妙手は,実に不思議と言わざるを得ない。
 過日H家畜保健衛生所へ行った時,同行の地方事務所長から野草改良の問題が持ち出されて種々話している内に話は何時しか荳科植物に行き,ふと気附いて足元を探してみると,なんと紫雲英,苜蓿やはずそう,こまつなぎ,からすのえんどう,つるまめ,レッドクローバー,ホワイトクローバー,ねこはぎ等一寸見ただけでこれだけの種類が見つかった。これ等の荳科植物が他の各種の植物と互いに入り乱れて繁殖しているのである。勿論この荳科植物の中には自然に繁殖したものと人が捲いて拡がったものと混ざってはいるが,然しそれにしてもよくもこれだけ種々なものがうまく混ったものであると今更乍ら自然の妙味に感化したのである。造物主は動物を草食動物や肉食動物や雑食動物等に分けてお造りになったが,牛や馬は草食動物で野草を主食として生きているのである。その野草を考えると,この様に各種の植物が混ざって各種の養分が適当に配合されているのである。この天然食を家畜が食って乳,肉を生産してくれるのであるとすると,家畜は実に高度化された食糧生産機械であって,野草はその原材料であるとも言えることである。原材料を高度に活用し,安価な原材料で,高度の生産を上げることが家畜を活用するの途でもあるわけである。これからの畜産経営では飼料経済を無視するわけには行かない。如何に安価な飼料を如何に豊富に得るかによって成功,不成功が決るわけである。そうすると元来草食動物である筈の牛馬を飼うのに雑穀や,糟糠類に頼り過ぎた処に(人間の横着性から来た結果ではあるが)飼料経済を不合理が生じたわけである。造物主の自然界に於ける自然の配剤を考え草食動物に草を与えることを考えると共に良い野草を,より良く成長させ,より多く活用することに力を注ぎたいものです。

◎芸は身を助く。

 O君は20才にならない青年である。或る日近所の種牡牛飼育者の家へ招かれて行ったが,其処で彼を待っていたものは和牛の種牡牛であった。主人もその息子も充分には取扱うことの出来ない種牡牛を彼の前に牽き出して調教を頼まれたのであったが,一度綱を握った彼の眼は全く別人の如く輝き,其処には年令を超越した技術が発揮された。主人達が幾分持てあましたこの牛も,彼によって自由に調教され,意のままに動く様を見せられて一遍にこの主人の信用を得てしまった。
 この蔭にはかつて彼が千屋の種畜場で泣き乍ら牛と共に生活した尊い記録が残されているのである。技術は一日にして成るものではない。それだけに一度手に入った技術は決して失われるものではない。人は楽をして一人前の仕事をしたいと思い勝ちであるが,体験を通して得た技術でなければ世の中には通用しないのである。心すべきであると思う。

◎主婦の嘆き。

 農村の生活改善を叫び,主婦の生活にゆとりを与える為めに生活様式の改変と農作業の改善が行われて来た。何処でも取り上げられる問題に台所改善がある。働き易く,燃料が節約出来,主婦の労力が楽になるのがねらいである。ところが改善して仕事の方は楽になったが反対に連日の見学者で主婦は案内と説明時間をとられ,何の為めの改良か判らなくなったと歎く声はどうしたことか。
 K村は機械化で有名な村である。機械力によって労力が節約出来るので,その余った時間を有効に使って主婦の生活向上を図っていると考えていたら,実情は反対で,機械を買ったのは良いが購入資金を借りたのを返さなければならないので,主婦は内職に藁細工をしたり畳表を織ったりして反って忙しくなり,楽になったのは主人だけだと不平の声を聞かされた。
 酪農を始めたら一寸は牛乳が飲めると喜んで賛成したが,乳が出始めると乳は親父さんが皆売ってしまって一寸も飲ましてくれない。然も搾乳があるので年中休みはないし,こんな割に合わない仕事は無いと主婦は嘆く。牛乳の味噌汁を飲んだり,野良仕事に牛乳を持って行く様になるのは何時の事か知らん。