ホーム岡山畜産便り > 復刻版 岡山畜産便り昭和27年9月号 > 千屋牛の今日(続)

千屋牛の今日(続)

阿哲東部普及所 赤木迪郎

 畜産便り7月号は竹の谷系統牛,大赤系統牛,千屋市場の経営,太田辰五郎家系図等を記して置いたが以下を以て千屋牛について簡単ながらこの稿を終る。

竹の花系統

 所在地 阿哲郡上刑部村大字大井野
起源不詳なるも千屋村字市場より近く隣接せるを以て大赤系の傍系なるべく,骨格優大にして蕃殖力旺盛なり。

亀屋系統

 所在地 阿哲郡上刑部村大字山奥
起源不詳なるも大赤系の傍系ならん,骨格大,背線直,肥大なるも稍々粗野の感あり,体質強健にして蕃殖力旺盛なり。

風呂室系統

 所在地  所在地 阿哲郡新郷村大字釜
起源不詳なり,竹の谷系統牛と同一地域にして竹の谷系統の傍系ならん,体型殆ど酷似し蕃殖力旺盛なり。

花山系統

 所在地 阿哲郡1円
起源 優良種牡牛第十三花山号にして本牛は阿哲郡新郷村において生る。
 母は竹の谷系,父は国有種牡牛花山号(第7回中国6県連合畜産共進会2等賞)にして大正9年8月阿哲郡新郷村に生れ翌10年秋千屋市場において阿哲畜産株式会社に購買せられ,直に本郷村木村行太郎氏に引取られ懇切ていねいに育成せらる。当時価額500円なりしを以て注目の的となる。体型,資質共に優秀果して大正11年鳥取市における第9回中国6県連合畜産共進会において堂々1等に入賞国有として農林省買上げの栄に浴し本郡畜産組合に貸付せらる。同組合は本牛生産地新郷村農会に飼養を委ね,大正12年12月1日より専ら種付に供用せられたる処その声望違わず優良犢の生産を見るに至る為委託延期を申請し大正15年11月30日歳7才に達したるも益々精力旺盛にして益々種付に供用し得るを以て阿哲郡矢神村農会に管理を変更し種付に供用したる処,同地方の種牡牛概ね優良配合よろしきを以て,その成績一段と高まり盛んに優良犢の生産を見るに至れり。爾後委託延期を願い昭和5年11月20日附成績優良なる故を以て農林省より無償払下を受け組合有として引続き矢神村において種付に供用,その晩年に及び益々優秀なる成績を示したるを以て名声遠く種付希望者殺到し老令に至るも1ヶ年猶130有余頭の種付をするに至り世人その精力絶倫なるに驚歎せり。
 昭和7年4月千屋種畜場に移管し種付を行う内、同年8月頃より老衰頓に加わり加療に百方尽くしたるも遂に起たず,同年11月4日秋雨しぐる頃同場において惜しまれつつも斃死す。時に令13歳種付期間満10ヶ年その間産犢700頭に垂々とし,而も子孫皆優良なる基礎種畜として重用せられつつある現状を思う時本牛の如きは誠に空前絶後というも敢て過言ではない。なお本県種牡牛の系統を調ぶるに曾孫,玄孫等大多数に及ぶ。なお母系による系統牛を調査すればその数非常に多く本県産牛の大部分は本年により改良せられたというも過言でない。なお之れ等系統は他府県にも種牡牛として蕃殖牝牛として相当数を移出し卓越せる成績を示せり。殊に本牛が登録事業実施の初期にして登録の基礎をなし以て今日の発展を見るに至りたる功績は特筆すべきものである。
 本年は単に本県和牛改良に偉大の功績を残したるのみならず広く本邦和牛改良に殊勲を樹て稀有の名牛というべし。今その晩年における体型を記し現在の体型標準と照して当時本牛の秀でたる形豹をしのぶ資とする。

第十三 花山号測尺表(昭和6年4月7日)

部位 実測 標準 標準体型に
対する過不足
部位 実測 標準 標準体型に
対する過不足
  尺 寸       尺 寸    
体高 4.7 後躯長 2.36 2.61 不足 0.25
十字部 4.7 後躯長 2.06
胸深 2.63 2.59 過分 0.04 胸囲 7.6 7.15 過  0.45
胸幅 2.08 1.84 〃  0.24 管囲 0.27 0.7 〃  0.02
腰角巾 2.01 1.84 〃  0.17 後躯傾斜度 1度 不足   5度
1.96 1.84 〃  0.12 飛節角度 148
吐骨幅 1.4 1.23 〃  0.15 蹄角度(前) 44
体長 5.83 5.93 不足 0.10  〃 (後) 41
前躯長 1.41 全長24分の6 〃  0.18 肩傾斜度 58

第十三 花山号種付成績年別表

年次 種付
頭数
生産
頭数
牡犢評価 牝犢評価 地名
最高価格 平均価格 最高価格 平均価格
   
大 正 11 年 3 3 75 55 100 60 新郷村
 〃 12 年 77 77 130 62 100 60
 〃 13 年 83 81 200 76 100 63
 〃 14 年 81 78 90 70 130 70
 〃 15 年 87 76 150 60 130 75
昭和2年 63 41 235 100 300 120 矢神村
 〃 3 年 61 41 200 110 250 130
 〃 4 年 83 69 180 100 250 150
 〃 5 年 133 100 200 100 300 140
 〃 6 年 95 85 250 120 350 150
 〃 7 年 38 20 150 100 200 120 千屋村
804 671           

神盛系統

 所在地 阿哲郡矢神村大字上神代
起源 昭和2年千屋村大字井原部落において生産したる牝2歳神盛号を郡内新砥村牛馬商が購入し来れるを矢神村大字上神代羽場盛太郎氏が買入れ同氏は県会議員村長その他県下の要職に参与し,多忙なるも傍ら農業を経営すると共に且農業経営の識見を有し,村内産業に対する更生に意をそそぎ農村青年の錬成を行う為農民道場を設立し,心身の鍛錬と有畜農業の指導の当り郡内においても二流生産地なりしも種牡牛政策と種牝牛の改良保留に努めたる結果現在においては郡内一流生産地として自他共に許す。これ全く同氏の功績なり。同氏は農業経営のかたわら神盛号を育成せるに優秀となり,蕃殖に供用し年々優良なる犢を連産したるが,二産の牝牛第二神盛号は良牛を生産しその第四産第二しんもり号は同村安田啓一購入育成したるに優秀となり,本県最初の牝牛本登録となり,その産犢もまた良牛にして一産,二産共本登録牛となったので一家本登録牛3頭を繁養した。その後第二神盛号は畜産試験場中国試験場の買上となり同場のおいて良犢を連産せり。当神盛号羽場太郎氏宅において四産の第二しんもり号を蕃殖に供用せるが,之れ又良牛を生産し孫に当る第四しんもり号は前記の安田啓一郎氏の第一やすだ号と共に本登録となり,如斯き良牛の産出は極めて稀なるもその遺伝力の強きに起因するものにして蔓牛として尊重せらる。
特色 体格優美にして体積に富み又体の均称を得推賞せらるべき体格を具え,皮膚は稍々は褐色を帯び,角は稍々細き感あるも角質よく年々連産して良くその体型を遺伝し今日に至り全村優良牛を産出するようになり先年登録改正に伴い最高目標たる高度登録牛も本県下7頭中6頭迄を阿哲郡が獲得し,その内神盛系3頭の栄誉を得るに至りたるは之れ羽場盛太郎氏の不断の努力と共に故太田辰五郎氏竹の谷系産出の難波元助一統,故田原藤一郎氏並びに土屋源市氏等の先覚者の不断の努力に対し満腔の敬意を表し併せて土屋源市,羽場盛太郎両氏の健在を祈りつつこの稿を止める。
 なお,この稿蒐集に付,千屋種畜場長梶並久雄氏に謝意を表す。