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巳歳と蛇のことども

杜陵 胖

 巳歳の新年を迎えてみると,巳歳に因んだものを書けと注文される。巳とは蛇のことであると考えてみても,巳がなぜ蛇なのかどうも合点が行かない。辞書には巳とは十二支の第6位,昔時の時刻,今の午前10時……と書いてある。然し十二支を絵に画けば第6番目は蛇である。と言うことになれば今年は蛇の歳と言うことになる。易学的にはむつかしいものらしいが,凡人には凡人の見た蛇の姿しかわからない。
 十二支は誰が考えたか知らないが文盲者にも判り易く,身近かな動物を順序よく並べたものである。生活に最も親しみのある動物となると家畜と言うことになるのである為めか十二支の半数は家畜である。そんな関係か,動物の名前を並べて何歳と言えば,人の年令迄言い当てる器用な御人迄出て来る始末である。千屋の奥の方へ入った時,歳を数えるのに指の関節を数えて,子丑寅卯……と数えて人の歳をちゃんと当てているのを見たが考えてみれば全く便利なものではある。指の節を数えるにもどの節は何歳でとやっているのを見ると,その節々に干支の動物が浮んで来る様で面白い。
 さて蛇であるが,創世記の記者はエデンの園の蛇を称して「エホバの神の造りたまいし野の生物の中に蛇最も狡猾……」と記し,世の始めより特異な存在として取扱っている。その蛇がエバを誘惑して禁断の木の実を喰べさせて,彼等に人間としての眼を開かせたのである。その結果は「汝は諸ての家畜と野の諸ての獣よりも勝りて詛われる。汝は腹ばいて一生の間塵を喰うべし」とやられているのである。そして又,女からは末の世迄憎まれて行く運命を背負わされて来たのである。世の始まりから人間と蛇とはこんな繋がりがあるのだから,子供に至る迄蛇を憎んで石をぶつけるのは当然な因果かもしれない。あの特異な姿は何としても余り気味のよいものではない。姿を見ただけでぞっとする。どう思い直しても親しみの情は湧いて来るものではない。然しこれは人によりけりかも知れない。あのニョロニョロ様を,平気で捉まえて来てポケットに忍ばせて,授業中にチョロチョロと顔を出させては隣近所の悪友共を困らせていた悪童があったのを思い出すと,どうも蛇にも苦手の人間がある様な気もする。
 苦手と言えばこの蛇を捕えるのを商売にしている人間もあるんだから,蛇にも大敵はあるわけである。信州あたりで蛇を食う様な話はよく聞くが,南方帰りの連中もよく蛇を食った話をしてくれる。M先輩は,自分の精力剤に部下に「まむし」の捕獲を命じて,これで黒焼きを作り賞味していたが,まむしが精力剤になることを発見した人間は海鼠や蛸を食った人間程の勇気がいったことであろう。何時の世にもいか物食いは居るものであるから敢て異とするには足らないが,食われた蛇の方が驚いたことであろう。そんな意味からでもあるまいが,蛇を食う代りに鰻をわざわざ「まむし」と称して食っている人間もあるんだから世は様々である。
 そうかと思えば,蛇は何とか様のお使いと称して拝んでみたり,蛇を殺せば祟りがあると言ってみたり,白い蛇が神になったり,蛇がお金の神様になったり,そうかと思えば勝負師の鞄の中でお呪禁にされたり,蛇の方から見れば,人間って何んて勝手な奴なんだろうと呆れていることであろう。
 ともあれ,昔から巳歳は旱魃の年とか言われている。然し天炎地変はもう沢山である。今年はどうぞ穏であります様にとお蛇様にお願いでもするか。