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人間誕生

宰府 悌

 牛に限らず山羊,緬羊等中家畜のお産となると飼主はそわそわとする。
 仔を取るという経済観念もあろうが,矢張り手塩をかけて育てるうちに生じた愛情のほとばしりであろう。
 まして人間が己れの分身との合作である愛児のお産をめぐっては,女房は生みの苦痛を,亭主は心配と喜びの交錯した得体の知れない感情でそわそわするのは蓋し当然である。
 一姫二太郎という古言の実践者として最初にもうけた姫はまず上出来と悦に入り,さて二太郎のめぐり合いとなると女房シッカリと亭主の願い切なるものがある。
 所詮は生まれ出ずる,ずっと以前に男女は何れかに決定しており,今更願いごとでもなかろうに。
 そわそわとして待ちもうける頃は片輪でなければと,神かけて安産を祈る亭主も二姫の子の顔をのぞくにおいては悲観する類此の世に数多い。
 誠に男の思い上ったわけのわからぬ感情なりと女房はオコッている。
 ここで元気者は男欲しさの一念矢をも通さんと次々と人間誕生を試みて四太郎を得る。
 目出度し目出度しであろうが,よく世間を見まわすと,全く奇妙なもので4番目には男となっている実例が多い。
 一男二男三男と連続ヒットを飛ばすと四姫とくる?様である。
 家畜の世界では雌こそ幸なれで雄にその生存価値は概してない。鶏界がその実例で抜雄とか称して豚の好餌にもてはやされている。雄こそ日蔭者である。
 事,人間社会においては,さにあらずで矢張り男の優位を認めざるを得まい,まして姫多き家庭においておやである。
 性の決定という学術用語は,しばしばその道の人の口誦する処である。
 要するに,如何にすれば男女を思いのままに作りあげうるかという事に帰着する問題だそうだ。
 今もって,この問題は,根本は解明されているそうだが応用の域に達していない。解決されれば畜産界にとっては一大朗報で,家畜の増殖計画は寸時にして遂げられよう,人の世にも喜びに酔いしびれる多くの人がいるだろう。
 この世に生まれる男女の自由な選択は,経験上から,ある種の技術的手段を講ずることによって出来やすいとか,勿論,決定的ではない。
 かつての日,繁殖生理学を教授され,この事など聞くに及んで,某学友下宿に帰り駄弁して曰く,俺は是非ともその学理と技術手段を労して男児を作ってみせると,
 既に4年余りを過ごした現在,かの学友,妻をめとって佐賀の国で繁殖生理学なる代物と取りくみ学園生活を送っているが,人間誕生の便り2回ありすべて姫の由。
 彼の駄弁は正しく駄弁なりと苦笑するも,2人の姫共にすくすくと育ちゆくの知らせあれば,彼の喜びをしのぶに余りあり。
 友の前途を祝して筆を擱く。