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酪農放談

◎某有名人が農村座談会に招かれ,一席酪農の必要性につき弁じた後,黒板に大書して曰く,楽農と,酪農人も,農村青年も驚いたが御当人何のことやらさっぱり判らず鳩が豆鉄砲を喰った様な顔をしていたが,楽農を指摘されて大あわて,弁明して曰く,酪農をやれば楽農になる,酪は即ち楽に通ずと,これ位が今迄の酪農に対する認識であった。
◎某農業関係技術者の試問に酪農と言うことを一言にして言えばどんなことか,との質問に対し,大部分の答えが乳牛飼って乳を搾り,バターやチーズを造ることが酪農であるとの回答であった。専業の所謂牛乳屋さんと混同しているのが今迄の酪農であった。従って土地との結合を考えなかった所に本県酪農の発展しなかった原因があった様に思われる。土地に立脚した酪農であってほしい。
◎同じ試験の中で実地試問の時バターとチーズとラードを並べて品名を質問した。勿論香りを嗅いでも,味を見てもよいことにしておいたが,完全に答えた者は2,3人しかなかった。チーズを知らない者は殆んど全部と言ってもよかった。農村指導者として活動するこれ等の知識人の乳製品に対する認識がこんな程度であるのを知ってガッカリした。百聞は一見にしかずと,それ以来子供の教育は専ら実地教育を行うことにしたものである。
◎酪農協会の総会に知事が出席されたことは酪農界に大きな反響を呼び起した。酪農人も今年こそは酪農を伸ばさなければと大した力の入れ方である。たしかに活気が出て来た。そこへ某会社の設立の話が飛び出して,酪農界はてんやわんやの大騒ぎである。酪農地帯と言うものは1日で出来上るものではない。永年に亘る受入工場と酪農人との努力の結晶が今日の所謂酪農地帯を形成したのである。これが少々の乳価によって破壊されたのでは,工場は安心して投資出来ないことになる。安定しない酪農地帯は決して栄えるものではない。酪農人も一時的乳価に左右されず,全般的条件を考慮して安定した酪農地帯を育成したいものである。
◎今年もボツボツ夏乳不足の声を聴く。例年のこと乍ら夏乳の需要量は上昇の一途である。消費量の増加は生産者には有難いことである。良い乳を多く,安く生産することが酪農の伸びる道である。水神様とのお附き合いはホドホドにして,消費者に喜ばれる乳を生産したいものである。
◎待望の酪農講習所が遂に産声を挙げた。作北の地は従来和牛の金城湯池として知られた処であったが,時代の波は遂にこの地にも白黒の牛が入った。尤も岡山県和牛の改良史を見ると苫田,勝田地区には古くからホルスタイン種が導入されて,これ等の牛によって改良されたことが記されているのでまんざら縁が無いことは無いが,それは専ら和牛の改良の手段としての導入であって,乳用牛として導入されたことは意義の深いものがあると考えられる。この地に酪農講習所が建設されて,酪農の技術を指導することになったのであるから世の遷り変りは面白いものである。
 従来岡山県の酪農の欠点として大きく取上げられた問題は酪農技術者の不足であった。酪農の技術は誠にむつかしいもので,特に泌乳問題を控えてなかなかゴマ化しの出来ないものである為めに酪農を志す人は少いのである。然し考え様では酪農人はゴマ化しのない生活の出来ることは幸いであると思わなければならない。明るい生活は即ちゴマ化しの無い生活である。酪農人はゴマ化しの無い生活と,ゴマ化しの無い取引をしてほしいものである。
 何はともあれ,酪農講習所が発足して,農村に入って指導の出来る,所謂中心指導員を養成することになったことは,それだけ本県の酪農が前進したことになるのであるから,吾々酪農人としては大いに喜ぶと共に,お互の子弟を送って後継者を造ることに努力しなければならないと思うのである。

胖生