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乳牛のお産と搾乳(5)

岡山県酪農協会 松田主事

搾乳

一.搾乳

 乳牛を飼養して利益を上げる,最も重要な仕事は搾乳である。その巧拙は乳量脂肪率に大きな差が出来,2,3割はおろか5割も違う場合がある。猶そればかりでなく搾乳が下手であるため,乳房炎を起こすことがあり,ひどい時はその乳牛を廃用にしなければならなくなる程大切な仕事であるが,搾乳の方法は至極簡単で,その秘訣と言うほどのものはなく,自分で会得しなければならない。唯一の上達方法は習い始めから正当な搾乳法に従い,只どうすれば乳汁を太く早く搾り出せるかを,念願しながら経験と習練を積むより他に方法がない。一人前の搾乳夫になるには延1万頭の乳を搾り,少くも3年の修業が必要であると言われて居る。

二.乳房の構造と泌乳の生理

 搾乳を上達するために乳房の構造と泌乳の生理の概略を知って置く必要がある。
 乳房の外部の構造は周知の通りであるから省略して,内部の構造について申述べる。乳房内には,乳腺組織,血管組織,淋巴組織,神経組織とがあって,それ等を支えるため結締組織と筋肉等より出来ていて甚だ複雑である。乳を造る乳腺組織を乳房従断面の模型図で示すとA図のようである。図や○印の乳腺細胞終胞を拡大するとB図となる。又B図の房胞の断面図はC図である。
 乳汁は乳房へ送られてくる血液から乳腺細胞中で生成されて胞腔に排出され,それが乳管を通って乳槽内を満し,次第に乳管中にも一杯となり,細胞内も一杯となって乳房内が乳汁で充満すると,その圧力によって乳腺細胞の乳汁合成作用が止む。この乳汁を搾り取ると乳腺細胞は又乳汁の生成を始める。それで搾乳回数の多い程乳量は多くなる。乳汁の生成をする乳腺組織の多い程優良な腺質乳房で搾乳前と後では,乳房全体の容積の差が著しい。その差の少い固い乳房は,結締組織や筋肉の多い所謂肉乳房で乳汁の生産の少い不良な乳房である。搾乳が下手で分娩直後のしこりを残したり,何時も搾り残しをしておると,折角のよい腺質乳房も肉乳房となる。


三.搾乳に要する器具

イ.搾乳バケツ
 充分に錫メッキをした丈夫な搾乳専用に造られたもので,容量は6升入が使いよい。乳汁を搾り込む穴を一部あけた蓋付のものを推奨する。このバケツを使用すると搾乳中に塵埃や,牛体の毛や垢が乳汁中に落下するのを防ぎ,清潔な乳を搾ることが出来る。
ロ.搾乳用腰掛
 腰掛は牛の糞尿や乳汁でよく汚れるものであるから,洗滌の出来る木製がよい。高さは8,9寸位(乳牛の体高,乳房の大きさによって加減をする)巾4,5寸長さ8寸位あればよい。これを一本足に作りバンドで尻に縛りつけて搾乳すると,牛が動く度に手で腰掛けを動かす必要がなく,従って衛生的に搾乳が出来る。
ハ.乳房洗滌バケツと洗布
 バケツは小型の普通のものでよく,洗布はタオルを2枚合わした位のものでよい。洗湯の温度は42・3度で一頭毎に交換する。
ニ.漏過布
 漏過布は晒木綿の分の厚いものか,フランネルの薄いもので1尺5寸角位が適当である。如何に注意して清潔に搾乳しても,塵埃や毛が乳汁中に落下するから,搾乳直後漏過する必要がある。然しこの漏過布の清潔度が重大で,唯簡単に洗って充分乾燥もしないでおくと,牛乳が残っていて細菌はどんどん繁殖して,漏過したため返って細菌を植付けたこととなる。使用の度毎に洗濯ソーダの温湯で洗い,よく水洗して充分に乾燥して使用する。1日か2日に1回は煮沸消毒をして,完全に殺菌しておかねばならない。5,6枚用意をして搾乳の都度殺菌をした布を使う習慣をつけ,漏斗は2頭や3頭の搾乳では必要がなく,器具が多い程清潔度が悪くなる。
ホ.牛乳輸送缶
 搾乳バケツと同様錫鍍金した頑丈なものを用い,容量は一斗入が使いよい。搾乳直後漏過する時,漏過布を牛乳缶の口に縛り付け牛乳をうつせばよい。そして直ちに冷水中にひたし,牛乳を攪拌しながら冷却する。水が始終替る装置をすれば大体15分位で,水温と同じ位に冷える。この冷却水の温度は低い程好しいがせめて摂氏15度以下の水が欲しい。牛乳の温度と細菌の増殖数を参考のため示せば別表のとおりである。

牛乳の温度と細菌数

温  度 搾 取 時 2時間後 6時間後 9時間後 24時間後
15度 9,300 10,000 25,000 46,000 570,000
25度 9,300 18,000 172,000 1,000,000 50,000,000
35度 9,000 30,000 12,000,000 25,000,000 77,500,000

 牛乳を販売するについて1等乳と2等乳とでは,その利益は,大きな差があるから,牛乳の取扱いについては格別の注意が必要である。そのこつは1に清潔,2に消毒,3に冷却この3つを完全に行えば,2等乳を殆んど防止することが出来る。


乳牛の手入

四.搾乳の方法

 搾乳に当って心得なければならないことは,牛乳は殆んど手をかけずに食料とすることと,栄養価の高い食品であると同時に細菌の繁殖にとって無類の好条件を供えていて,一旦細菌が浸入すると,無数に増殖するから汚物と細菌の浸入は極力防がねばならない。それで埃の立つ作業即ち寝藁の交換や,乾草,藁の給与牛体の手入等は搾乳前に行ってはならないし,搾乳者の手腕,衣服等は清潔に心掛,牛体は常時手入をして糞尿,汚垢のついていない様,又牛舎は掃除を怠らず乾燥,通風,採光を充分にしなければならない。
 搾乳を始める前に温湯で乳房全体をよく洗い,水分を拭きとる。温湯で洗い清めることは清潔にすることだけでなく,乳房を気持よく刺激すると,脳下垂体から一種のホルモン(オキシトシン)を分泌して,これが催乳作用,所謂乳を済すと言う現象を起し乳房がよく脹ってくる。このホルモンは血液中に15,6分存在しているから,この間に気持よく搾り終らねばならない。何時までもだらだら搾っていると,牛はうるさくなって乳を上げてしまう。したがって,乳量,脂肪率共に全能力を発揮さすことが出来ない。
 搾乳の仕方には手搾りと機械搾りとあるが,機械搾りは我国の酪農家の実状に添わないので,手搾りの方法だけを申述べる。まず乳頭全体を掌と指5本全部を用いて握り,初め人差指と親指とで乳頭の基部をよく緊め,順次中指,薬指,小指を握り緊めて,乳頭中にある乳汁を搾り出す。直ぐに指全部をゆるめ乳槽内の乳汁を,乳頭中に流下せしめこの動作を繰返す。そして左右交互に調子よくリズミカルに動作するのである。初心の内はややもすると乳頭の基部の緊め方が悪く,乳汁を乳槽に逆流さすことがある。これは牛に不快な念を起させて,乳を上げさすから絶対逆流しないよう,人差指の上に親指を重ね握り緊めねばならない。又搾乳する時調子をつけて,腕を大きく動かし乳頭を引張りながら搾乳するものがある。一見上手のように見えるが牛にとって気持よくなく,乳の出もよくない,上手な人の搾乳は乳頭を握った腕を水平に張り,肘の上に水を入れた盆をのせて,その水をこぼさないように搾れる位腕を動かさない。又乳頭や手に牛乳をつけて搾るものがある,これは乳汁を汚染し,乳頭の皮膚を荒しいぼが出たりひびわれの原因となる。
 搾乳の順序は乳牛の右側に腰掛けて,乳房に向ってやや斜め後方に向い,初め前房から始め,右手で左の乳頭,左手で右の乳頭を握り交互に搾る,前房内の乳汁が大体なくなれば後房を搾る,搾って居る間に前房に乳汁が溜って来るから,又前を搾り後を搾る,2,3回繰り返えして居ると全く出なくなる。次で後搾りに移る。即ち両方の掌全体を用い,乳房を一区宛よくもんで搾る。2,3回繰返して,最後の一滴までも搾らねばならない。
 乳腺細胞で乳汁が旺んに造られる時,脂肪も同時に造られるが,脂肪は細胞外に余り排出されないで,大部分は細胞内に貯えられるから比較的脂肪率の低い乳汁が,乳槽,輸入管内に蓄積されている。殊に脂肪は比重が軽く上層に浮くものであるから,乳頭内の乳汁は薄くその脂肪率は1%にも達しない,乳頭口から浸入した細菌は,乳頭内で繁殖して相当の数に殖えているから,搾乳の初め2搾り位は,搾乳バケツ外に搾ることが望ましい。
 搾乳が始められ,乳汁がだんだん搾りとられると,細胞内の脂肪球はどんどん腺腔に排出せられ,輸乳管を通って搾られるから,搾乳後半は,脂肪率の高い濃厚な乳汁が出て来る。搾乳時の脂肪率の変化は,搾り初め1.87%終り6.28%位で終りに近づく程濃厚となる。殊に最後の1,2滴は12%にも達する。上手な人が搾乳すると気持よく,全部搾り切ってしまい,乳汁も濃いが,下手な搾乳では,初めの薄い乳汁は搾るが,終りの方の脂肪率の高い乳汁は,残してしまうので,量も少く質では猶一層損をすることになる。損もこれだけならばまだ良いが,いつもこんな搾乳をしていると牛の能力も落ち,腺質の良い乳房も肉乳房となってしまう,又往々搾り残しを重ねると乳房炎を起し,それが悪化すると乳汁が全く出なくなる。乳牛を飼育し酪農を経営する以上,搾乳は1日も早く上手に行わねばならない。(未完)