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種畜場の片隅で

宰府 俤

一.転勤と背広

 真夏の太陽がギラギラと照りつけ一寸歩いても肌着に汗をする7月も半ば頃,僅かの家財道具を携え,家族を伴って明日の不安を覚えながらも,一かけらの幸を希求して山合いの岡山種畜場へ参りました。
 岡山のような田舎めいた都会では決して見受けられそうにない立派な舗装道路が場内を縦横に走っていることは,過去の歴史の遺産でありますが当県の道路が夙に内外の人々から悪評を買っていることと思い合わせますと,何か変な気持になります。この光景は誠に偉観を呈してはいますが,床柱に白ペンキを塗った座敷のように種畜場の雰囲気には何かしらそぐわない感じがしました。
 でも昨今では種畜場の雰囲気が都会の機械的文明に追いかけられているようですから,この様な感覚は時代錯誤かも知れません。
 ともあれ,この舗装道路は両側にアカシヤを配し赤クローバーが繁茂し急勾配の坂道となって事務所に通じています。コンクリート道路に照り返える暑気は一入です。事務所でうら若き婦人のくむ一椀の渋茶に喉をぬらし,これから始まる種畜場の生活に口ずけしたのでした。
 古戦場も夢の跡とか申しますが,その昔一国の平和を銃剣に托して軍靴の音高らかと四囲にこだました日の三軒屋もその面影を逝く才月が綺麗に拭い去り緑の草地に乳牛が三々五々と遊び一声高くモーと鳴けば真白いアヒル水の面に波紋を画いて対岸に去り,のどかな一幅の絵画をものにしております。
 赴いた日,場の片隅に木蔭に臥して青空に浮ぶ白雪に目をやれば,それは漂々として遠くの彼方へ何の変化もなく飛び去って行きますが,その奥底に潜む時の動きに果てしない宇宙の神秘にも似た底知れぬ驚駭を覚えてなりませんでした。
 種畜場生活の始まりは,現代衣裳論が称讃している背広からの解放であります。
 凡そ今日の世人は衣裳論の忠実な使徒としてマネキンの一役を喜々として買っております。そうして皮肉にもこの背広に追い廻される結果ともなり,店頭に飾られたスタイルブックを手にして胸をはずます乙女のそれにも似て憂身をやつしている恰好は猿に劣らぬ道化者の図であります。
 しかしこの背広も此処では無用の一物であります。
 1年のうち数回しか陽の目を見ない彼はいわば私達の生活のアクセサリーでしかありません。快なる哉 背広の奴め 私は世の風俗を紊さない限りにおいて弊衣弊服を身にまとい彼に反抗を威示してやりたい。と思っています。と同時に世の背広マニアの反省の糧となればと秋の夜長に夢みています。
 ともあれ,真夏に汗を流して訪れた種畜場にも秋風が立つようになりました。
 開墾畑の燕麦が青々として来ました。天の恵みは此の人数少い山にも尋ねて呉れました。
 人々は楽しく己れの生命を愛撫しております。
 だが,何時の日,陽の目をみるよう行李の底深で背広は相変らず眠り続けています。

二.参観者

 今日も亦十数人の参観者の一行が当場を訪れて参りました。
 最近とみに参観の方々が多くなり相当遠路からもおいでになっています。
 種畜場の存在意義がこの一面にも現われているわけで,私達は参観者があれば,あるほど益々自重し勉励しなければならないと決意しています。
 人里から離れた山の中で暮らしていますと、ノンベンダラリと安易な進歩のない生活に随し易いものですから参観者からあれこれと御気付の点を指摘して頂き農家での切実な問題を投げかけて頂ければ,私達にこよない刺戟剤となるわけです。
 参観の繁閑は農作業の繁閑と比例して農閑の8−9月,12月−3月が多い様です。農繁に体力を使い農閑に頭脳を使うという農村生活の片鱗がうかがえます。
 参観者の一行は数人から数10人という巾をもって市内バスや汽車を利用する方は津山線法界院駅附近から種畜場まで徒歩で,或はロマンスカーで,はるばる訪れて参ります。
 某社の標識をクッキリと浮かした黄色のロマンスカーが堂々と警笛を鳴らして場内のコンクリート道路を走る光景は,都会の片隅におかれたような幻覚におそわれます。
 酪農という営農方式が戦後急速に起り今日益々盛んに普及滲透しつつある御時勢のため,また場の繋養家畜の主体が乳牛の関係から参観者は酪農家乃至は酪農を志す人々が多いようです。
 乳牛の運動場を囲む木柵の周囲に集まる参観者は心身気鋭のベテランO技師の説明に耳を傾け指さす乳牛に眼をやる場面は当場参観の花形であり明るい酪農村がほのぼのと脳裡に浮かぶのです。
 鉄柱につながれた三頭の種牡乳牛をとりかこむ人々の胸には,雄大な牡牛の姿におどろくと同時に、我が家のよき婿殿の選択に大童という処なのでしょう。
 参観者は殆んど男性ですが時には女性が数多く混じっていることもあります。
 多分,婦人会の方々なのでしょう。一家の主婦らしき方が多いようです。
 これからの農業は主人ばかしにまかせておけぬというわけなのか,ともかく御主人と共々に農業経営を真剣に考えてゆこうという心構からと拝察しています。
 誠に結構至極でその発展を希って止みません。
 こんなことを書いては叱られましょうが,うら若き女性の少いのが残念です。
 これからはどしどし乙女の訪れを頂いて,香水の香りが馥郁として場に漂よう如くありたいものです。
 鮮明な衣服をまとって歩むマドンナの後姿に一日の労働の疲れがより早く癒えるかもしれません。