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何はさて御喜びを申し述べます。
此の世で幾十回申し述べられるやら知る由もありませんが,昭和29年年頭,今流には1954年,まずはつつがなくお迎え出来ましてお目出度うございます。
木枯の風がガラス窓をたたく寒々とした四界のうちにも新年のめぐりに旧年の澱んだような気持を一掃して,大らかな希望にあふれた決意が往来する人々の顔に見受けられます。しかし考えてみますと大方の人々は,正月元旦という日でないとこの様な気概が生まれないと気めつけて,振いおこしているのではないでしょう。
2月1日とか12月31日とかいう長い1年の時の流れの過程のうちでは,この言い得ない心のふるいを呼びおこすことはむつかしいようです。
矢張り,年の暮れも迫ったという,おしつめられた意識がこの心のふるいに必要なようです。
常々思うことですが,人間の偉大性というものは1年1回の元旦に限り,かくあらねばならぬと生活の希望を画くに止まるか,又は日々の暮らしのうちに始終かくあるべしと意識して精進するかの何れかで判断されるといっても過言ではないと思います。
私など新春の日に屠蘇をくみ溌剌たる生活希望図を自画自讃し,酔のさめるに従って旧年に増して,のんべんだらりとセンチ虫の如くにうようよする前者の類に属します。
ともあれ,此の種畜場にも牛声,鶏鳴の楽の調と共に,ほのぼのと新春の朝がやって参ります。
騒々しいと言えば騒々しく,静寂と言えば静寂そのもの,動物の集うこの種畜場の元旦は些か人間世界に縁遠いもののようです。
不幸にして,種畜場生活での正月元旦は本年が初めてで,どの様な雰囲気がただようものか全く未知のものですが,おそらくは牛と遊び豚と戯れる環境で真実のものを追求しようとする山中の場員でも不粋人の集いでないようですから何れは元旦後日談がもの語るものと思っております。
私達は種畜場へ訪れた新春の歓喜に酔いしびれることなく,家畜と共にある冷厳な使命を一層自覚自重すると共に皆さんの御多幸を希って止みません。