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酪農経営の本質

岡山種畜場 辛島 忠

まえがき

 朝な夕べに乳牛に親しみ,耕地に限りない愛着を感じつつ,仕事をやって来たその楽しさを,今ですら時折りに夢見る程の懐しい,あの千葉の畜試を振り出しに,畜産技術者として歩んで来た過去24ヵ年間の内,全く素晴らしいものだと特筆に値すべきことは,昭和初期に於ける養鶏振興の目覚しい成果と,現在に於ける酪農の華麗な展開である。
 然し乍ら,昭和初頭の深刻な農村恐慌を現実に見て来た私達は,農業恐慌は単に経営や技術の問題で解決の出来るものでなく,それは凡そ吾々の手に届かない大きな力,改革を必要とすることを知った。そして酪農の変遷を例え短い期間ではあるが実際に見せられているだけに,酪農が直接的に農村恐慌を克服し得るものと過大に評価している訳ではないが,終戦後日本農業の高度化の為に,例えばこれが基本条件の一つである土地生産力の沈潜停滞を向上させる一手段として,日本的酪農経営は考慮されねばならない大きな課題の一つであることは,否定されない事実であると思う。
 然し,現在この華々しい躍進を見せている酪農に対し,畜産関係者,畜産技術者たるが故に忘我的な陶酔にふけることは許されない。これが内部に存在する数多い矛盾を摘発し,逐次改善し,明日の酪農振興の為に挺進することは,当然私達の義務でなければならない。

最近の酪農情況

 終戦以来我国の酪農は,急速に伸展し一昨年に於ては,遂に待望の産乳が300万石を実現し,昨年6月頃から急激に牛乳並に乳製品の需要が増大したことは,一層これに拍車を掛け,乳牛飼養頭数は実に33万余頭を算するに到って,一段とその飛躍を示していることは,我国酪農の歩んで来た苦難,苦闘の過去を顧みると,蓋し感慨の深いものがある。
 然しながら,最近の所謂牛乳ブームの華やかさに眩惑され,これに陶酔した酪農人は,わが世の春を謳歌し,酪農の前途に対し眩想的な映像すらを画いている。一方に於ては,曾つての農村インフレに依る乏しい資本蓄積は,主として鋏状価格差の拡大によって次第に消耗し尽され,剰さえ,漸次その暗影を濃化して来た農村恐慌に脅されつつある農家にとって,乳牛に対する憧れは,営農技術の観点から亦農業生産経済の点から見た所の酪農経営の必然性について,深く理解認識することなく,徒に企業利潤追求の手段として,乳牛の導入に狂奔している傾向すらを認めることが出来る。
 現在のこの酪農ブームは明かに牛乳及び乳製品の需要激増に原因されているが,この需要増大の根源について一部の見方としては,乳製品,牛乳に対する国民の認識が深まり,粉食との関連に於ての必需的な消費の増大であると言われている。成る程この見方は,一部是認出来るとしても,エンゲル指数や,都市に於けるパン食の普及状況等から考察し,つきつめて行けば,この根源は,主として消費インフレの波に乗ったものに過ぎないものではなかろうかと言わざるを得ない。

酪農経営について

 酪農の健全な発展は,堅実な酪農経営によって,基礎づけられねばならない。即ちその経営の技術を分析検討し,その経営構造を究明解析し,合理性を具有せしめた経営であって,しかも私経済的収益性即ち経営経済的な収益性が,国民経済的生産性の観点から見て,妥当であり,より調和されていることによって,始めてその経営が強固に確立され,酪農の発展が約束される。茲に酪農経営の本質が存在するのではなかろうか。
 需要が生産を誘起すると同時に,生産は需要を誘起する。牛乳並に乳製品に対する需要の増加は,生産を刺激して原料乳を増産させたが需要の実態が,前述の如く消費インフレに主として基因されたものであり,且つ変転極まりのない,複雑な国際状勢に鋭敏に支配され易い政治と,浮草の如く根のない我国の経済事情等を考慮してみると,酪農に対し特に恒久的な画期的な,国家の保護助長政策を大きく期待することは,相当困難なことではなかろうか。又昨年末より,国民生活の内容は低下し,消費者物価は頭打ちだし,実質的国民所得を減少しつつある実状を併せ考察すると,乳製品,牛乳の今後の需要は増加と言うより,むしろ減退を見るのではなかろうかと予想危惧される。
 私達畜産技術者は乳牛に対し,農業経営上必要なる損失としての存在であると言う,旧時代の残滓的な観念を以って,この乳牛を見ているのではない。即ち乳牛は,日本農業をより高度化するに必要な存在の一つであり,且つ乳牛部門自体における経済関係に於ても,相当の純収益を挙げ得る乳牛でなければならないものとして,乳牛を見ている。同時に,この収益は前述の様に国民経済的生産性を前提としたものでなければならないことは特に強調せねばならない。

酪農関係者は強力態勢を

 需要と生産と技術の三者間には循環的な因果関係によって結ばれている。即ち需要は生産を誘起し,この生産は市場に於ける競争の為に新しい技術を生み,新しいこの技術は,更に生産に拍車を掛け生産費を低廉ならしめ,需要の増大を誘起することは明な事実である。
 斯くの如く種々の観点から考究すると,我国酪農の現況には,その内部に幾多の矛盾が包蔵されてはいるが,酪農に対する客観的な情勢はともあれ有利に展開しているこの秋こそ,酪農,製酪関係者は打って一丸となり,強固な協力態勢を布陣し,政治力を強化すると共に酪農技術(改良,蕃殖,飼養管理,飼料等の綜合的な技術)の普及向上を第一主義的に取り上げ,製乳工業の企業合理化,中間利潤の適正化を徹底化し,良質な,しかも個別経済からも国民全体利益から見て,妥当な適正価格を以って牛乳並に乳製品を国内市場に豊富に提供し,その限りない潜在需要を有効需要に転換させて行くこと,それのみが,我国酪農の当面の問題であるし,日本農業の近代化の為大きく期待された酪農の使命であることを脳裡深く刻み込まねばならない。