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どうしたことか,最近参観者の足はとみに閑を呈しています。
木枯の風が此の山合いに,コトコトと窓をたたいて過ぎ去る此頃,路傍に生いし雑草の枯姿を見るにつけても,門外の人々と跡絶えた感慨は万人の味い得ないわびしさです。
年明けて午の年の今日,待ちわびていました参観者が県北の地からはるばる1時間余りの旅路を自動車で参りました。
30名余りの参観者のうち数名の主婦の方も混えて某会の集いの行事が此の種畜場で行われたわけです。
参観者は,種鶏,畜産加工,乳牛,耕作の各現場を,夫々の解説職員の案内で一順するのが恒例となっております。
此の一順のめぐり合わせで,大概最終の番組となっています私達の現場がどうしたことか番狂わせで最初になりました。
例によって例の如く,砂礫の路面に突出する農道をトボトボとポプラの大樹が亭々として冬衣裳にやつす並木路のあたりまで足を伸ばして,数10m後方に続く人々を待ちうけ一くさり駄弁を弄して参観者の御意見等聞いて解説職務を果したわけです。
ところで今日まで幾度か来訪の参観者を案内して四季の作物等見て頂き色々と御話を申上げ反面,皆さんの御質疑や御意見,御希望を承りたいと念願しておりますが,悲しいことに殆んどの方々は唯黙々として聞き及ぶという表情で終始されている実状に不審をいだくと同時に,参観者を遇する私達の立場がピンボケしているのではなかろうかと深く考えさせられるのです。
おそらく参観される人々は,その人自身の経営の内部に又個々の技術について不安と疑問をもち,更には経営改善のため何がしかの要素を得ようとしているに違いありません。
処がそういった切実な意欲は,農家と種畜場の2つが互に緊密に連携され,共通の流が自在に行ききしなければならない位置になければならないにも不拘,何かしらその流れを遮断する溝が出来上っているために,………或はこういった見方は余りにヒステリー的な現実をかけはなれたものであると非難されるかも知れないが,ともあれ種畜場というものが漠として捉えどころがないという実状のため,満たされない無念さに黙々として別離の客となるのではないでしょうか。
勿論,この事は私の見た小さな世界からの投影でありますが,万一,過言であるならば不幸中の幸で私自身の研鑚努力によって解決されるわけです。
しかしながら,その反対であるとしたならば1日とて放棄出来ない責任の恐ろしさを銘記して改善策を講じなければなりません。
先輩諸兄の御高見を承りたく,なおまた種畜場に対する農家の見方なり真実の声を,究極的にお聞かせ頂き度いと思っております。
農家の人々の目に触れ手にする農業雑誌は凡らく十指に余るものがあります。
全くもって,よくもこの様に出版されるものかなと驚き入る次第です。
おそらく此の数多い雑誌をすべて個人の資力で月々入手することは不可能な事でありますし又農事研究会,4Hクラブとかいう様な機関で購入したと致しましても総てに目を通すことは,これまた不可能に近いことでしょう。私達も共同出資で5,6冊の雑誌を購入していますが書棚に重なるを眺めながら御無沙汰している状態です。
もっとも私事で皆さんの動向を察し「かくあるべし」と断定することは,おこがましく不遜の謗をまぬがれ得ないかと思います。
無礼の点は不悪。
ともあれ,此の社会が資本主義経済機構の上に組立てられている以上,農業に関する雑誌とて企業として成立する成算ある限り,他の娯楽雑誌は勿論その他の文学雑誌等と同様に10数冊はおろか数10冊でも出版されるが道理で何の不可思議もありませんが戸迷いするのは読者のみだと思います。
此れらの数多い雑誌を取捨選択するに要するエネルギーは決して僅少だとは申されません。何も月刊雑誌だからと申しましても出版元に義理立てして月々購読する必要はなく,関心のある記事の記載されたものをその都度求めて読めばよいわけですが。
ところで本誌「岡山畜産便り」も5年の星霜を重ね益々隆盛の趣だそうでお目出度いことです。
彼の手此の手で奔流の如く出版される農業雑誌パレードの渦中において,些かその性格が異なる雑誌とは言え今日あるは編集者の敏腕の為か或は購読者の義理立てか,でも諸処で大好評の由漏れ承っております。
此の畜産雑誌ならぬ畜産便りは畜産行政=国なり県が法律等に基いて行っている仕事=の解説とか,畜産に関する色々のニュース,更には家畜家禽の飼養管理,飼養作物の栽培,等々の技術を畜産農民のお手許に親しみをもってお伝えするのが目的というか性格の由です。
処で,此の本誌が叙上の性格を持っているにしても,いやしくも代価を求めて読者と経済関係を結ぶ以上は読者は他の農業雑誌と同列において購読の可否を決定するにちがいありません。
此の様に考えて参りますと,矢張り畜産技術と申しますか農家が携える家畜家禽がより多くの富を生産するために必要な様々の問題点を農家の庭先に「生」のまま送りとどけ,それが直ちに消化される様に今一歩進めることが,より喜ばれ有難がられる畜産便りとなり,出版界において勝者となるのではないでしょうか。
言うは易いことかも知れませんが,編集者の一層の御活躍を希って止みません。
と同時に,─実は次のことを言いたいばかりに長々と綴ったわけですが─ 種畜場という職場に集う人々が真先に本誌のよきパトロンとなるべきであります。
過去において果して私達は如何程の協力を本誌に寄せたでしょう。口に畜産技術の普及を語りながら場内で自慰するが如き態度を放棄し,本誌を通じての弘報活動によって技術の普及滲透という命題の一面が果されるということを更めて自覚しなければなりません。
日々の真剣な家畜との接触から得られた経験に基く個々の技術を記録し誌上に送ることを,どの位い農家の方々が渇望しているかを再記しお互の活躍を希って止みません。