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編集室より

◎岡山藩学校の記録によると毎月朔日には白鹿洞書院掲示の講義が行われているが,その白鹿洞書院掲示の初めに次の様に書いてある。
 父子有親,君臣有義,夫婦有別,長幼有序,朋友有信。
 即ち礼儀を重んじ,世に処する道を教えているのである。
 戦後の日本では自由思想が盛んになり,学校教育に於ても生徒の自由を尊重してか生徒の気ままに行動をさせている様である。その結果は自分中心の思想が先に立ち他人の迷惑を少しも考えない結果が生れて来た。此の頃の修学旅行の学生生徒の車中の行儀は全く眼を覆わせるものがある。然も引率の教師は見ても止めようともしないし,中には一緒になって騒いでいる先生達もある。もう少し公共の施設や大衆の集る処での行動に対しては秩序と礼儀と公徳心を教えてほしいものである。

◎水は低きに流れ牛乳は高きに流れるとは万人の知る所であるが,然し眼先きの利に走るばかりが酪農人の総てではない。農業の経営が1日にして成るものでない様に酪農地帯も1日にして或るものではない。多年の努力と指導の結果が今日の牛乳を生産したのである。金さえ出せば牛乳は集ると言う思想の裏には,不用になればその日からでも不買を実行することである。酪農家はもっと信義を重んじてほしいものである。

◎工場誘置を盛んにし,産業の振興を図っている時に,然も一面全県を挙げて酪農振興を行っている時に突然淡路煉乳岡山工場の移転問題が起って来た。地元の声はまちまちであるが,高きに流れる思想と利潤追求の域を一歩も出ていない。かつては日本一の高い乳価を出したこともある淡路煉乳である。工場の存在価値をもっと永い眼で眺め,理解ある行動をとってほしかった。何にしても世界的な乳製品専門の工場を地元から失うことは邑久郡の酪農の将来にとって大きなマイナスである。更にもう一考願いたいものである。