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知事さんを迎える

明治乳業笠岡工場 原口 登

 三木知事の五大政策とかの一つに酪農振興があげられているそうである。そんなわけからか,いやそれにしても種雄牛一頭を見るためわざわざ笠岡の辺鄙へ来られたということは近来特筆すべきことと思う。
 そもそも我国の酪農業を現在の発展段階に至らしめた主たる推進力が国や民間資本であったといても恐らく過言ではないであろう。(勿論その是非善悪はしばらく背くとして)そういう生い立ちの故に今でも酪農家の物の考え方には他力本願的なところが非常に多いのは,残念乍らやむを得ない。
 曰く,サイロは県の補助がなければ作れない。集乳所は勿論県費で建設すべきだ。種子を只でくれなければ飼料作物は作らない。堆肥含改造に補助がないから野ざらしでも仕方がない。運賃を呉れれば品評会に出そう。日当を出してくれれば講習を聴こう。
 まさかそこまでは言わないだろうが,まるで他人様のために酪農をしてやっているようである。
 大なり小なりこういった空気にある酪農界に近頃奇特なことが出現した。それは酪農家が自力で乳牛の改良のために日本一と噂されるような優秀雄牛を導入したことである。三木さんおそらくこの話しに感激されて極めて多忙なところを特に私等のために半日を割かれたことと拝察する。
 その日は連日の霖雨には珍らしく好天気に恵まれお迎えする私等にはこの上なき幸せであった。
 先ず工場を案内する。粉乳製造の噴霧乾燥工程も見られた知事さん,「これを製塩に応用できぬかといつも考えるんだが」と技術的関心の浅からぬ片鱗を見せられる。スキムミルク(家庭用脱脂粉乳)の包装工程に来て,「いいものができるようになったね」と仰っしゃるので案内子すかさず「酪農の奨励もまことに結構ですが,国とか県が乳製品の消費振興の方にも少しは力を入れていただけるといいんですが」と日頃の鬱憤をつい出してしまう。知事さん苦笑。ところが外に出られて煙突の煙りを見上げられ,「どうも黒い。熱管理が拙いね,君」には案内子ギャフン。早速さっきの仇を討たれた形。
 やがて種雄牛の披露となると,あの堂々たる体躯を無造作に牛のそばへ運ばれ平手で牛の背を愛撫されたところは,素人とは思えない手なれた所作であった。そしてニッコリ一同へ向けられた顔とポーズは心にくきまで美しい情景を現出したことであった。
 いよいよ知事さんの祝辞となったが,酪農についての月並な文句や一応儀礼的な讃辞でなかったのがことの外うれしい気がした。少し欲を言わせてもらうならば「笑えば天国」(文芸春秋8月号)で大いに唱道されたユーモアかウィットの一つ位は聞かせてもらいたかったことである。
 おしまいに知事さんを囲んだ昼食の団らん。知事さんは奈良漬けにも酔うほどの下戸だそうである。それなのに酪農家等が差す盃を次ぎ次ぎと干されたのはよほど今日の雰囲気がお気に召したのであろう。種雄牛の愛称をとの私の所望をも快諾され,正午を廻った頃,山陽酪農の発展を祝福して高らかに乾杯,帰庁の車に乗られた。
 私等にとって忘れられない最良の日の感激をそのままに。

1954.7.25