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蒜山の片隅で(二)

宰府 俤

 10月という月は天高肥馬の快適な気候とされ,実りの秋である。しかしながらその様な形容はオセジにも此処蒜山盆地には適用されそうにもない。
 水稲は冷害におそわれ,数々の台風がその後を追い決して実りの秋等と大仰に口には出来まい。
 年間降雨量が2000㎜にも達し,春の6月秋の10月は多雨の天候が続くそうだ。
 ところでそれを裏書きするかの如く,9月末から暗雲が低くたれこめて,霧雨,小雨をよび肌寒い状態である。
 まさに“秋去りぬ”の感慨一入のものがある。
 静かな夜,ようやく寒気がせまり,コトコトと戸をたたいて過ぎ去る風音は岡山地方の11月中旬頃を思わせる。
 折にふれこの地方の人々に冬来るの早きを告げれば,口を揃えてそんなことで雪の真冬をどうされますか等と,この男の冬空に佇むあわれな姿を思い浮かべてか冷笑し問い質される始末である。
 ともあれ冬足は県南部より1ヶ月以上1ヶ月半位は早いようである。
 予期せざるこの寒空にかかっては,里から冬衣装をはやばやに取り寄せねばなるまいがただ一つ真夏を通して履いていた長靴は,それが種畜場当時からの習慣であったにしても.地の人々はこの暑いのによく履くものだとほめてくれたのか,笑われたのだったのか,知らないがともあれ今日では人々の目をひかなくなったことは事実であり我が足下の彼,もって喜ぶべきである。
 冬の訪れの早いということは積雪寒冷単作地帯の所以であるが,無雪無霜の短い期間における農作業を過重なものにし,あまつさえ,火山灰土壌が荷なう地方の低位性と相俟って,単位労働生産力を低下せしめ,いわばミゼラブルな農家経済を構成せしめている。
 戦後,農地解放,農業技術者普及機構の改変,あるいは農業団体の再編成等,農村をとりまく社会経済構造の改革が農村近代化の道に沿って実施されつつあるけれど,いかんせん,やはりこの地帯特有の自然的外的条件はその近代化のコースをかなり強く阻止していたのではあるまいか。
 労働生産性の向上ということが,農村近代化の一つの姿であるとするならば,この地ではそれがとりわけ阻害され,反面,土地生産性の向上のための個々の技術いじりに終始し,ただ働く事を強い,もって素朴となり過重労働を賞すが現状ではなかったろうか。
 土地生産力向上のために,わき目もふらぬ過重労働投下の現実,この現実の苛酷が身をさいなめばさいなむ程,それを宿命と知って農村をうかがう外部感作にうとく無感性となり真の農村近代化の画策実地は天恵に待つべしというが如き極言が許されないだろうか。
 ともあれ,この天恵がまさに与えられようとしている。この高冷地農家に導入されるジャージー種乳牛は,あと2旬にしてその容姿をこの地にあらわすわけである。
 過去3ヶ月余,人々はその受入準備に大童となり,世人注視の眼は鋭く,無智なる者の不真面目な流言飛語は交錯し,時にその帰趨に迷う瞬間が人々の間に起ったりはしたけれど,今日においてその不安は薄らぎ消失し,こられの人々の間には萎縮停滞せる農村打開のパイオニアの気迫が充満しつつある。
 蓋しよろこぶべきではあるまいか。
 しかしながら,一考を要すことは,我々が求める酪農経営は,従来の我々の農業経営を自分自身の手でもって分析し検討を加え酪農経営に移行し得るに足るだけの素地を,探し育ててはいない,ということである。
 酪農経営が伸びるに足るだけのかなり長い準備期間を持たなかったということである。まさに突然として与えられた恵みなのである。
 天恵による以外にその気力なしとこの地の現状を極言し,天恵今日来たるとは前にのべたとおりであるが,かかる機会を捉えての農業経営改善の妙薬,酪農経営の一服が,苦患する積雪寒冷単作地営農の甦生回天に効あるや否や,これはすべて今後における経営のたゆまざる養生にかかっているのではなかろうか。
 希望に燃えた苦難の時の流れが必要ではなかろうか。
 あえて老婆心までに(10月5日記)