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ニュージーランドの印象

藏知技師

はじめに

 昨年9月末から12月中旬迄約3ヵ月間ニュージーランドに出張を命ぜられ,ジャージー種の購買を手伝い,北と南の両島を視察し,最後に120頭の牛を護送して帰国したのであるが,その間に船の寄港した処や,上陸してバスで旅行したり,共進会や牧草試験場などを見学したので,この間に見聞したニュージーランドの印象を少しずつ書き記して報告に代えたいと思う。勿論あわただしい旅行であり,その上言語が不自由であり,又習慣も異っているので充分に意をつくして勉強することは出来なかったが話を聞き,書物を読み,自分で見て来たことを広い範囲で書いてみたいと思う。畜産に限定しないでニュージーランド人の風俗習慣にも面白い点や学ぶべき点が沢山あるのでそれ等の点についても書いてみたいと思う。論文や報告書の様に型にはまった書き方はとても出来ないので気のむくままに,頭に浮かんだ問題から書いてみることにする。何時迄続くか知らないが珍らしい内にせいぜい書くことにしよう。断片的にはすでに現地からの通信で報告しておいたのを本誌に掲載されたので或は重複する点が出来るかも知れないがその点は御容赦願いたい。

一.オークランドへ

 ニュージーランドは赤道をはさんで丁度日本の反対側になる南半球の島国であって気候的には日本とよく似た国である。横浜から一路南に下って行けば18昼夜で到着する。途中硫黄列島やソロモン群島等第2次世界大戦の時の古戦場があるが,船は一路南下にて何処にも寄港しないでニュージーランドに直行したのである。船中で多少ニュージーランドの事情については勉強したり,話を聞かせて貰ったりして行ったが最初に見たニュージーランドの景色は実に美しいと思った。
 日誌の一部を書いてみることにする。

 10月17日日曜日 晴

 夜半より波が静かになった,うねりも無くなり,近海に入ったことを思わせる。午前7時起床,最早島や陸が見えだした。外海の島は海岸は切り立った様な絶壁であるが上の方はゆるいカーブである。大小種々な島が右側に次々と遷り変って行く。はげ山も多い。然し航路の進むにつれて遠くに平らな陸地が続き,島も大きいものが見えて来る。波は静かで水の色も緑色になって来る。浅い海の様だ。鴎が次第に多くなり,高く低く船の周りを飛び交う。時々魚の群が島の様になって,丁度浅瀬か何かと間違う様に波を立たせている。日本近海ではこんなのを見たことが無いが,「魚島」という言葉から思ってみるとこんな風に魚が押寄せて来るものかと感心する。それにしても不思議なのは漁船が1つも見えないことである。或は今日が日曜日のせいかも知れない。それにしてもこの魚の大群が近海で泳いでいるのを見ると不思議に思う。オークランドに近づくに従って島の数も多くなり,船の左右に様々な型の島が浮かんで来る。丁度瀬戸内海を航海している様だ。海の色と言い,島の形といい,波の静けさといい,白砂青松と言いたい様な島々の景色は全く日本的で懐かしさが浮んで来る。ただ日本の島と違うのは人家が1つも見えないことと,段々畑の見えないことである。陸続きの所も殆ど人家が見えない。それとなだらかなスロープが全部緑の毛布を敷いた様に美しく見えることである。ここにも畑らしいところは一寸も見えない。今日一日入港迄これ等の島々の景色を眺めて時を過す。ただ風のみは冷めたくセーターを出して着る。午後5時半頃オークランドの町が見えだした。附近の原から,森の蔭から夕飯の支度をする煙が見えだした。西の空には横に長い雲が流れ,港の丘の一部しか陽が当っていない。富士山の姿をした島を左に見て船は静かに港に入って行く,今入って来た船の後の方はもううす暗くなっているが日章旗を風になびかせ,その周りを数十羽の鴎が飛び交う景色はえをも言われない。港の入り口の方から左を見ると小高い丘の下から上へ一面に人家が見える。所々に涯が大きく見える。大きく廻って右側にはこれ又小高い丘の囲りに赤い屋根の人家が沢山並んでいる。“緑の丘の赤い屋根,トンガリ帽子の時計台”と鐘の鳴る丘の歌をそのままに,ゆるい美しい緑のスロープのそこ,ここに赤い屋根の家が,まるでおとぎの国の人形の家の様に,積木を並べた様に美しく並んでいる。丘の緑と樹木の濃緑とクリーム色の壁,赤い屋根,これ等の色々がよく調和して一幅の絵となってあらわれる。日本のゴミゴミした町ばかり見ている者には全く美しく見える。色に対する考え方が違う。原色もあり,混合色もあるが,自然に調和して絵画的な1つの雰囲気を作っているのには感心した。自動車を満載した船が来る。対岸の町へ行くにもこの船を利用した方が早いらしい。右手に軍港があり巡洋艦が2隻入っている,船体を白く塗って如何にも軍艦が居るぞと言う様な姿である。戦争でも始まればすぐ灰色に塗るのであろうが,白い姿が見た眼には美しく感じられる。この国には何時来て見ても軍艦は2隻だそうだ,大英国でもこの辺は問題が無いのでこれで充分なのであろう。左側の阜頭には沢山の船が入っている。あちらこちらと客船や貨物船が多い。大小様々で明和丸は中位である。6時過ぎて入港したので今日は岸壁へ着けられないので,すぐ眼の前に見乍ら停泊である。クイーンストリートの時計台が眼の前にあり,小高い丘に一面に明りがついている。日曜日のせいかネオンサインが少い。家も大きいのと,町の整理が出来ているのか明りが大体揃っている。日本の港の様に雑然としていない。停泊中の船も皆明りをつけているので港一面が美しい灯に包まれている。緑の光が遠くの丘に一面に見えるが,赤い光りは殆ど見えない。水に写った美しい光を眺め,やっとイカリを入れて動かなくなった船の上で今夜は一晩泊まるわけである。検疫所の船が近づいて来る。防疫官らしい人が2人船内に入る。下の船を見ると可愛い女の子が2人上を見てニッコリ笑っている。久しぶりに見る子供の笑顔,何んとも言えない温かい気持ちになる。やがて防疫官も帰り,パイロットも帰り,船は全く暗の中に眠って行く。美しい港の中は小さな船が灯をつけて従横に走っている。水と陸とそして走る光を眺めつつ安着の祝杯をあげて眠りにつく。明朝は6時30分総員起床,7時にスタンバイして岸壁に着く予定である。20日目に土を踏めるのを楽しみにベッドにもぐり込む。

10月18日 月曜日 晴

 朝早く眼が覚める,朝の港は実に美しい。7時税関の連中が乗船して来る。濠州で嫌な取扱いを受けた話を聞いていたので何んだか恐ろしい様な気持でいたが別に大したことも無く,パスポートを出すと入国の検印を押してくれ,携帯品も調べないでオーケーである。何んだか拍子抜けがする,然し寛大な取扱いを受けると悪い気持ちはしない。10時頃兼松の浜口氏が来船される。挨拶の後早速一行と連れ立ってトランス・タスマン・ホテルに行き室の交渉をする。浜口氏の室に入る,始めて見るニュージーランドのホテルである。なかなか立派なのに驚く。オークランドでは1−2のホテルである由である。
(ホテルについては面白い問題が多いので項を改めて別に書いてみることにする)今日は室が無いのであきらめて町の見物に出掛ける。クイーンストリートが一番賑やかな通りである。建物も大きく,通りも広い,両側に商店が並んでいる。建物の前に歩道がありその上に屋根を出してある,これでは雨の日も傘はいらない。自転車で来て買物をするだけなら簡単なものである。銀行に行って小切手を現金と換える大小様々な貨幣を受取ったがさて金の勘定となるとまごつくことおびただしい。1ポンドが20シリングで,1シリングが12ペンスで,1フローリンが2シリング,ハーフクラウンが2シリング6ペンスで,となかなかややこしい。一応頭の中では判っていてもさてとなるとこんがらがってどうにもならない。早速航空郵便用の用紙や切手を買ったり,本屋へ行って地図を買う。この辺は1人でどうにかやれる。デパートへ入ってみる。品物は日本の方が多い様である。ブラブラ見て廻っていると早速売子がやって来てキャン アイ ヘルプ ユーと言う。来たなと思って惣津課長直伝のジャスト ルッキング サンキューとやって軽く逃げると同行の連中が一寸驚いている。この関門一応無事通過はしたが骨のおれることである。
 町の中心地では人出も多く自動車の数も多い,中心地では自動車の駐車でも30分3ペンス支払わなければならない。電車は相当旧式なのが走っている。岡山の電車の方がまだましである。自動車の方はそれ以上である。20年前のものから新しい型迄千差万別である。古いガタガタの車に乗って平気である,なかにはこの車売物と書いて走っているものもある。道路の側に売物と書いたボロ車が置いてある。日本ならとうの昔に処分している様な車を平気で乗り廻している。こんな所にも英国人気質が顕われていて面白い。バスも種々な型式のものが走っている。ポールだけで軌道の無いトロリーバスもある。中には電車の軌道をそのままにして,電線のみを使ってトロリーバスを運転している処がある。聞いてみると人夫賃が高いので軌道を取りはずすよりそのままにして置く方が得になるそうである。


オークランド,ドメインのウインターガーデン

 レストランに入って昼食をとる,早速羊肉を食べてみたが実に美味い。パンはうすいものを1人に2枚位,バターは大きな切れを持って来る,肉も相当大きい,日本の食堂で出るものの3倍はある。後で紅茶が出て1食3シリング6ペンスであった。
 午後自動車でドメインに行く,美しい丘で緑の芝生が美しく,あちこちに花が咲いている。運動場も見事に手入れがしてある。樹の新緑と芝生の色と花の色がよく調和して実に美しい。カブトラクターを使って芝生の手入れをやっている。こちらの方では手押しの芝刈り機でのんびり手入れをやっている人々がある,羨ましい限りである。広い公園には殆んど人影は見えない。池や木陰に三々,五々と老人の休んでいる姿がある位である。
 公園の中心部にウインターガーデンがある,2棟の温室とそれを囲む植物園である。藤の花が今を盛りと咲いている。温室内には各種の花が沢山並べてある。金魚が泳いでいる。こんな景色を見ていると日本の何処かの温室に入った様で外国に来た感じがしない。2棟の温室の中央に池があり睡蓮が咲いている。噴水からは細い水が空高く噴き出していてとても美しい,裏の方にシダの樹の林がある,日本のシダを大きくしたもので初めて見るシダの大木には驚かされる。このシダの葉がニュージーランドの印に使われているが,珍しいものである。公園の中には名も知らない植物が多い,花の方は大体日本と同じ様なものが多い,物によると型がやや大きい様である。柏の大きな樹もある。その他松,檜,杉,柳,等もある。鳥が沢山来て遊んで居る。ブラックバードと呼ぶ鳥の小さい様な嘴の赤い鳥が沢山居る,その他名も知らない小鳥が沢山居るが人が近づいても逃げ様としない。雀も沢山群をなして遊んで居る,ベンチに腰を下していると雀が遊びに来て食物を要求する。何か投げてやると喜んで集って来る。


戦争記念博物館

 丘の一番高い所に戦争記念博物館がある。3階建の大きな堂々たる建物である。四方を見下す位置にあり,オークランドの港もすぐ眼の下に見える。1階が原住民マオリ族の遺物が半分程と後半分が人類の発達の歴史と各国の文化等を紹介している。陶器類,刀剣類,その他珍しいものが多い。日本のものも相当あり,神社,陶器,刀剣,甲胃等なかなか面白いものがある。伊部焼の徳利や皿がある。何んとなく懐しい。丁度小学校の生徒が先生に引率されて勉強に来ていた,何班かに分れて実物について話を聞いていた,一寸羨ましく思う。2階は動物,魚類,木材,農産物等の見本や剥製が一面に陳列してある。ゆっくり見れば1日あっても足らない,面白いものが多いが久しぶりに歩いたので疲れて来たのでざっと見て3階に上る。3階は戦争記念品の陳列と中央のホールに祭壇があり,四方の壁に戦没者の氏名をアルファベット順に記入してある。今迄の大きな戦争の戦没者が全部記してある由である。陳列してある戦利品の中には独乙のものと日本のものが大部分で,都市防備用の重機や高射砲等が置いてある。軍服や地下たび等迄ある。何んだかあのいやな戦争を思い起して変な気持ちになる。ここを出て再び自動車で町の中に出て町をぶらつき乍ら買物をする。本屋へ行って写真帖の様なものや牧草関係の本を探す。食料品も買ったが貨幣の種類がどうものみこめないでまごつく。町の中は種々な人が往来しているが対日感情は悪くない様である。マオリ人が沢山歩いている。日本人によく似ている,或いは吾々もマオリ人と一緒にされているのかも知れない。中国人が多い,この方が日本人によく似ている。ニュージーランド全体に約3,000人の中国人が居るそうである。その2世,3世が互に連絡して全国の八百屋を全部握っている由である。中国人の発展性の強いのには今更乍ら驚いた次第である。こんな様子であるから中国人の方は吾々を同国人と見ているらしく果物店に入ったら盛んに話しかけて来るがどうも言葉がおかしいのでよく聞いてみると中国語である。吾々が日本人だから中国語は判らないと言うと変な顔している。全く面白い話である。
 かくしてオークランドの第1日は暮れて行った。見るもの聞くもの総て珍しいものばかり,言葉がよく判らないで全く疲れる。言葉の発音も大分違い新聞を売っているのにニュースパイパーと言っている,エイトをアイトと発音している,馴れる迄には相当時間がかかることである。
 以上オークランドの第1日の模様を日記を通してお知らせしました。オークランドについては別に書く機会もあると思いましたのでただ見たままの最初の印象だけを書きました。次回はジャージー牛の購買と農場の様子などについて書いてみたいと思います。(以下次号)


オークランド競馬場入口