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随想

加本 生

 ある同僚との酒席で放談の挙句,たまたま「岡山畜産便り」に話題が集中し,誰が良く書く,誰が書かないと言うことから「課長や蔵知さんは全く見上げたものだ」と異句同音の賞賛となる迄は良かったが,さて誰が駄目だとの順番となると「近頃さっぱり書かないのは加本だ」と最も駄目な部類の張本人の槍玉にあげられたので「よし,やるぞ!」意気込んではみたが酔いが覚めれば酒の勢は何処へやら,その上将来の不精と横着さが加って至って筆が動かない。
 殊に近頃ボケテ来たようで物事の焦点が合わなくなってきているようなので人様の前に出せるような文章にならないが叱られて鞭が恐さによだれをくりながらの漫筆で御かんべん願いたい。
 さて畜産関係で最も喧しい問題は乳価の話題のようだ。あれ丈調子に乗っていた酪農もこの処寄るとさわると陰気な取沙汰で持切りでお先真暗らの弁も聞くけど私はそう悲観するには当たらんと思う。手放しの楽観をブツわけでもないが待てば海路の日和位にはならないものかと思っている。
 その昔ブラジルでコーヒーが余って困って焼き捨てたとかアルゼンチンで小麦の過剰に悩んで海へ投げ捨てたとかのエピソードも聞くが日本の牛乳は少々増えたからと言って所せんは食糧不足に困ってる現状で果して前述の各国の絶対過剰の挙句の始末とはわけが違う。
 問題は生産コストと販売価格の関連が解決すれば潜在需要を増して消化はらくだと思う。言わば乳牛の先と後との問題であって其れは何時か安定線をたどってくるだろう。
 アメリカでは粉乳の過剰に弱って之を「牛に食わせる」計画が生れ,商品金融会社が手持の粉乳を飼料とする為に1ポンド13セント位を損をしても構わないと言う所迄話が進んだそうだがさてよく考えてみるとこんな良い餌を乳牛にやったら牛は益々牛乳をたくさん生産して牛乳の洪水を起し延いては更に余分の粉乳となって始末に困ることになるわいと言うことになり折角の名案も迷案となったと言う。
 どうも世の中は儘ならぬもので喩えにも蛇は蛙をねらい,蛙はなめくじを食うが又なめくじは蛇をやっつけるとか……之を俗に三すくみと言ってるようだが儘ならぬとは言うものの廻り廻れば動物の中でも均衡がとれて夫々過剰現象をセレクションしているわけだ。アメリカの乳製品の過剰は虎視たんたんとして獲物をねらっているわけで差しずめ日本当りは良いカモだとねらわれているわけだ。蛇にねらわれた蛙のようなものでさしずめすくんでいる形だろう。
 然し観念するには未だ早い,逃げる手もあるしたとえ食われても次代の卵は又育つと言うこともある。野生動物の生態をみても仮りにねずみの繁殖率は計算で言えば一対のねずみは3年間に3億5千万頭に増えると言うが実際は結構そんなねずみ算的増殖を許していない。自然の摂理と言い,人工の科学は一生物の過剰現象は絶対に受けつけないと同様に「過剰は激減へ」とつながって居り不規律乍らの周期性は繰り返えされているのが人類乃至は人間に連がる生物史の過程である。
 少々理屈ぽくなったが当面の問題をひかえて暢気そうなへり屈を並べていては申訳ないが結局時勢が解決す。そしてその解決には決して暗いものとは限らないと言いたいのだ。
 人為的な情勢の変化と言うこともある。政治態勢も徐々に変ぼうしている。
 アジア諸国との貿易の問題も進展しているようだ。かつて戦前は餌でみても大豆粕は100%,フスマでも90%以上輸入していたのはアジアの地域だった筈だ。日本と言う土地の面積から考えれば全て原料資材的なものは大陸に求められるのが当然だがそれには先ず安いものが最も大きな条件だ。それが今迄目の前におあずけになってチンチンしてる犬みたいな格好だったことに無理もあった。決して之のみが解決の曙光ではないが一つのルートではある。然し一方輸出貿易促進策としてガット加入を至上命令としてる事情もあるし,砂糖戻税(1斤当り28円,練乳1缶当り518円)の廃止問題も風前の燈であるようだ。もしそうなれば練乳価格が上るか原料乳にシワ寄せされるかの影響は無いとは言えない。
 主婦連合やその他の猛烈な牛乳値下げの運動で都市では10円牛乳や9円牛乳がホウハイとして増加しつつある。
 敢えて10円以下は望めなくても10円牛乳で良質のものが出廻るように牛乳の加工流通機構が改善されてくれば之は極めて結構な話だ。結局は消費者が支配するもので消費層の拡大と安定があれば牛乳も貴重な食糧としてのウエイトが増してくるわけだ。アレヤコレヤ楽観・悲観的情勢を繰り拡げてみたが何れは牛乳は我々庶民の食料として生活に結びついてくる時機がくることにより所謂「拡大均衡」の状態で安定してくるだろう。締切り時間が近づいて駄筆がアッチコッチと戸まどいし乍ら漸やく動きが止ったので,この辺で御かんべん下さい。