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畜産雑感

三村主事

 畜産と言えば,私にとっては,何となく懐しい。それは,私が居た頃の先輩や友人が,今でも変りなく,何か目に見えぬ,つながりを保っている様に思えるから,かも知れない。技術課の特性として,さっぱりした又高い知性がそうさせるのかも知れない。
 私が居た頃の畜産は躍進の芽ばえの時期であった。予算でも機構でも今日では飛躍的に成長した。
 私は外に居て,この懐しい畜産行政の運営の現状を静かに眺めていると,何かしら,このままで推移していいだろうかと言う不安が無いでもない。
 名木は,やはり時勢に応じて手入れが必要なのではなかろうか。
 無造作に乱立して延びている枝やそっぽをむいて無意識に咲いている花は無いだろうか。
 地方財政という斧は,畜産の大木にもむいてはいないだろうか。
 畜産人は,今こそ,真剣にもう一度現状を振り返ってみる必要はないだろうか。
 1本の幹から枝,枝から梢へと纏りをつける事が要請されているのではなかろうか……という気がしてならない。
 役所の仕事(事業課の仕事)は,昔から,生産面への投資は旺盛である。
 而し,終局の目的は,出来たものを,如何に合理的に活用し,経済化してゆくかという事だと思う。
 ところが,比較的この面の施策が生産手段ほどすっきりしていないのが通例である。
 これは,行政責任の分野から来るのかも知れないが,指導奨励は,そこまでの見通しと対策を同時に整えておかなければ折角の投資もぼやけて来ると思う。
 ここに,生産,利用,流通,の機能がうまく一帯的に結びついて,合理的に協力して,初めて行政は浸透する。
 行政浸透の基本は,組織である。人と財政は,この組織によってどの様にでも動いてゆく。
 畜産を反省するに当って,先ず組織を振り返る事が先決であろう。
 種畜場,家畜保健衛生所,地方事務所,本部と眺め,そして,やはり,農業の一部門としての畜産として,農業改良普及所,農業試験場,を初めとする各種同類の出先,本庁の機構との綜合調整を,この際もう一度振り返る必要があるのではなかろうか。
 就中,地方事務所制度の全国的趨勢を予測して,今から,これら出先機構の在り方について検討を加える事も無駄ではないと思われる。
 役所の伝統的セクト主義からすれば,この綜合調整という事はむつかしい。而もこれを自覚する役人は稀である。一例を生活改善にとっても,またたく間に,五指を屈する系統があり,下部の組織においては,幾十を数える有様である。会議は毎日のように繰返えされている。
 この点,畜産は従来比較的,専門的,技術的な色彩が強く,又一般のレベルもそれほど綜合或は調整の悩を自覚していないであろう。而し,私は前にも言った如く,今後においては,益々,横の眺め,綜合的な自覚が必要なのではなかろうか。
 役人の弊として,独善,独り歩きに陥り易い憂があるから,である。私は,この頃,こんな事も感ぜられてならない。町村合併は目まぐるしく進捗している。村の役場はいつの間にかなくなって行った。
 昔から,県の行政は役場や組合までは比較的円滑に通っていく。而し末端までは通らない事が多い。町村合併が進めば進む程,益々この傾向が強くなるのではなかろうか,県の行政は直接個人を対象とする事は中々むつかしい。如何に立派な施策も,優秀な技術も末端へ浸透させる組織がぼやけると通らない。畜産と言わず,農林行政は,今こそ,この末端の組織を確立する必要に迫られていると思う。町村にとっても真剣に考えねばならない問題である。私は少くとも,部落単位のすっきりした受入態勢を全般的に確立しなければ駄目だと痛感するものである。
 青少年クラブ活動が比較的熱心なのもこの組織の確立にあると思っている。
 町村合併について,もう一つ感ずる事は,やはり,より高度の専門技術を要請されてくるだろうという事である。
 合併町村の行政の充実は,いつまでも,従来の我々の能力では,相手にされなくなるであろう。従って,今後の県の一つの在り方として,より高度の専門技術的要請は,必然的に起って来ると思われるのである。我々は今から,これに対処しておかなければならない。
 久し振りに,昔の追憶に浸りながら,取りとめもない盲言を述べて貴重な紙面を汚してしまった事をお詫びして,同人諸兄の御奮闘を祈ります。