ホーム岡山畜産便り > 復刻版 岡山畜産便り昭和30年6月号 >無題

無題

かもと生

その一つ

 妹がお嫁に行った時私は態と遅れて式場に行った。と言うのも田舎の悪い癖で恐ろしく時間の観念がない。予め相方共時間の打合せは喧しくお客様も勢揃いしていても色々と舞台裏や段取りに手間取ってズルズル延びるのがオチだと思ったからだ。
 案の定相当ズラシタ積もりで行ってみると未だ三々九度の盃も済んでいないと言う。こちとらそんな型式ばったものよりもくつろいだ披露宴の方が好みに合うのでガッカリしたことおびただしい。でも仕方がない。覚悟をきめて座り込んではみたものの幕合いの長い芝居を待っているようなもの。まだしも芝居なら出る事も出来るが結婚式ではそんな訳には行きかねる。
 妹はと見ればかつらの下に頭があり,白粉の下に顔がありそして帯の中に肉体があると言ったような格好でまるでそ像のように座っている。いや動けないかも知れない。第二の人生スタートに臨んだ緊張と外装がそうさしているのかも知れない。
 お客さんはと見れば何れも勿体振ってはいるが少々焦り気味で矢鱈に煙草を吹かしたりボソボソと天気の話をしたりしてバツを合わしているもの,モジモジと足の入れ換えをやるという者等,……それでも嵐の前のような静かさ,面接を待つ前の緊張と言ったような状況だった。
 その折である。床の間の方から突然「グーッ」腹の鳴る音がしだした。「アレッ」と思っていると又しも「グーッ」とくる。誰かなと思って方角を定めてみると正しく花嫁の方である。
 イヤこれは大変だ……と思い乍らもなるほどふだんはもんぺかアッパッパで伸び伸びと暮らしていた身体に急に何本もの紐や帯にしめつけられて長い時間据えとかれた挙句おなかが異常発酵を起したものらしい。こうなると御本人どころかこちらの方が気がもめる。早く何とかならないものか,何とか早く切り上げる手はないかと私自身の我儘どころではなくなった。トツテもない話題を出してごまかそうとしてみたが話の切れ目に「グーッ」ときたりしてちっとも効き目がない。
 ホトホト弱ったなと思ったとたん,「嫁の屁は五臓六腑をかけめぐり」の古川柳を思いだしてついニタリとした。

その二つ

 暮れの事である。夕げを終って皆で炬燵を囲んだ。平素は夫々各地に職を得て出かせぎしているのが孫共を引きつれて帰ってきているのでそれこそ泣くはわめくはの大にぎわいだった。
 その騒ぎをよそにおじいさんは何か調べものでもあるらしく老眼鏡をかけてしきりに帳面のようなものを引っくり返していた。おばあさんは持病の腰が痛むと言って横になっていた。その回りで子供等は絵本や玩具を引っかき廻していた。叱ったりスカしたりしてやっとひとしきりの騒ぎが止んだなと思ったとたん……いきなりおじいさんの威勢の良いおナラが飛び出した。「マアマア人の枕もとで……」とおばあさんがこぼすと同時に皆が「ワアーッ」と騒ぎ出した。小学校へ行っている娘は「クサイッ」と許りキャーキャー言うのにつれて一番小さい坊主迄が廻らぬ舌で「クチャイ,クチャイ」と真似れば又ひとしきり笑い声が爆発する。「ブーをしたらごめん,ごめんと言いなさいよ」とおばあさんが坊主共に言い聞かせると早速「ごめんごめん」とコックリし乍ら謝る真似がおもしろいと言ってまた賑かさが止めどなく続く。昔から「屁と火事ア主から騒ぐ」と言うけど当の御本人はケロリとしている。「何をお前達は何時迄もゲラゲラしているんだ,ウルサイのに」と言った格好である。「汝等は何を騒ぐと隠居の屁」之も古川柳をちょっと拝借。