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岡山県種畜場講座

和牛講座

千屋種畜場 嘉寿技師

 昨年末より一般畜産に比べ特に和牛は非常な価格の暴落の憂目に合い全く之が最低の感が有る時浅学菲才の私が之の講座を初めると言うことは到底出来そうもない事で有りますが,各界の要望も有り先輩各位の御援助によりこの貴重なるページを汚させて戴くことに致しました。

一.和牛の農業経営上の形態について

 全国的に広まって来つつ有る和牛が戦後馬産地にまで侵入し,我が国の家畜の約60%(家畜単位換算)を占めるに到って居る現状からして和牛が如何に農業経営上に必要で有るかが判ります。即ち和牛が我が国の農業経営にどんな点で適しているかと申しますと,
 第一に和牛の畜力が我が国の農業経営規模に適合していることで,水田の多い我が国の農家の耕地面積は狭く経営規模も小さいので一般に大農以外機械力を導入することは至難です。それかと言って農繁期に人手で之にかえると言えば労力は勿論収穫高にも大きな影響が有ります。
 それでは馬ではと言われますが役用能力は水田に於ては差がないので安く容易に飼えてツブシに効く和牛と言うことになります。
 第二に厩肥に生産です。農家の肥料代は現金支出の内で大きいほうですが之が厩肥により最小限に食止められ,金肥のみでは出来ない田畑に腐植を入れた土質の改善が行われます。
 第三に飼料が方法により完全に自給できることです。人の利用できない粗飼料殊に藁,野草が主飼料分なので完全に飼料は自給出来農業生産物の残滓に依って濃厚飼料もまかなえます。
 第四に強健で飼料管理が容易であること。家畜の中で斃死率は最小であり勿論罹病も極めて少なく婦女子にも容易に飼えます。
 第五に立地条件や経営規模に応じ自由な生産形態がとれること。
 山間部で野草の多い土地や経営規模の大きい農家は繁殖を,平坦地で粗飼料は少いが濃厚飼料が多い処では肥育を,小農や兼業農家では犢の育成が出来ます。
 第六に毎年纏った金が入ること。
 現今のごとく牛価の暴落では多額のものと言う訳には行かない現状乍ら矢張り生産地では犢を生産すれば安いと言い乍らも2,3万円の金が入って来ます。犢育成も約1年の育成に依り肥育の場合はうまくやれば年に2,3回は売上金が入って来ます。
 その他最近本県等にも導入の有った酪農に観点からも牛乳を欲すれば分娩後6ヵ月で1日4,5合の乳が搾れ飼料費不用で管理が容易であり,しかも最後にはこの上もなく美味な肉と他の家畜の追従を許さぬ革とを生産するのであります。
 要は我が国のごとき極めて集約的規模農家に於て一番よく合った家畜が和牛で有り農宝的存在と成って来て居る処で有ります。
 そう言えば今頃和牛は役肉用牛と言われていた時代を逸し農用牛で有ると言われて来たのもこの辺に有ると思います。

二.和牛の沿革と品種について

 和牛は大和民族が殖民の当時朝鮮から這入ったものと推定されて居ります。歴史的には応神天皇の時代や聖徳太子の頃百済からも輸入されて居りその後も朝鮮との交流は多く,度々入ってきたものと想像されます。故に和牛の基礎は朝鮮牛と考えられて居ります。
 それから推古天皇の時代インドとの交通が開けたのでそれ以来インドの肩峯牛も多少這入って和牛に交雑されたことも推定出来るので有ります。
 我が国では古来農耕を主業とし牛は主に農耕用として役立ったもので応神天皇の代には耕牛の有ったのは古画にも表われて居り,その後仁明天皇の時代牛車の輓式に使役されたのはずっと後の事で有ります。江戸時代には物質の運搬用と食肉にも幾分利用されて来て居りましたが天武天皇,聖武天皇の御代肉食は禁止令が出たのを見ると以前より肉をも食べて居たことが推定されます。
 之が又仏教や当時の幕府の命令によって禁肉のまま明治の御代に移ったので有ります。乳の利用も文武天皇の時代には有ったとも言われて居ります。
 明治時代までは主に役用即ち農耕用として飼育されて居たのでした。
 明治維新以来外国の文化が這入ると共に肉や牛乳に対する需要が増したので従来の牛をもっと大きく肉も多くて発育も早く乳も出るように改良しようという機運が表われました。明治33年に政府は外国からいろいろの品種を購入して和牛へ交雑し改良を始めました。入った品種はブラウンスイス,シムメンタール・ショートホン・デヴォン・アバーデインアンガス・エアシアー種等でホルスタイン種も一部では交雑が行われました。
 その結果体格は大きく発育も早く,泌乳量は増し,後躯も立派になって来ましたが,非常に雑多な牛が出来てき約10年間位で雑種繁殖は止められました。大正9年頃になって古来の和牛の美点を主とし,これに外国種の優点をも採り入れ本邦の農業経営に最も遍した牛を造り上げていこうと言う考えが起って来ました。その為中国その他和牛の主生産県でそれぞれ標準体型を作成し登録制度によって一つの目標に向って和牛の改良を進めて行くことにしました。
 昭和12年には改良の進んだものについてはこれを同じ標準で審査してもよいようになったので,その年から次第に和牛の登録の一元化が進んで来ました。
 昭和19年には和牛を固定品種と看做しても差支えない域に迄進んだので和牛を分けて,黒毛和種,褐毛和種,無角和種の3品種に分けたので有ります。
 その後昭和23年には全国和牛登録協会が創設されて全国の和牛を一つ組織の下で改良して行く事になったので有ります。
 次にこの3品種について申しますと,

(1)黒毛和種

 黒毛有角の和牛では体高は牝125㎝,牡136㎝,体重は牝約420㎏,牡約650㎏を理想としています。本邦の農業経営と密接なる農耕用に適しており,その肉質も非常に優秀である。乳も乳房の質の中等以上のものでは哺乳期間中1日4・5合程度搾乳して人が飲んでも仔牛の発育に影響を与えない程度の泌乳をする。全国に広く飼養されていてその頭数も圧倒的に多く役肉用牛の8割を占めております。

(2)褐毛和種

 褐毛有角の和牛で体高牝127㎝,牡138㎝,体重は牝約450㎏牡約680㎏を理想としています。同じ褐毛であるが高知産のものは毛分とか目黒,鼻黒と言って角,蹄,眼瞼,鼻鏡,舌等が黒く皮膚色は石盤色であります。又牡では尾房,陰毛,目の周囲,耳内,陰嚢下半,蹄冠部等の被毛が甚だ黒色を帯びています。これに反し熊本産のものはどこにも黒い部分はなく角蹄等はべっ甲色であり鼻鏡,舌,皮肢等の色は淡い肉食を呈しています。
 本種は黒毛和種よりも役の能力を強調し殊に畑作地帯の農耕とか陸上運搬に適しています。その代り肉用能力については黒毛和種程の好評を博していません。
 熊本と高知の両県を主産地とし関東,東北の一部に飼われています。

(3)無角和種

 黒色無角の和牛であります。英国の無角肉用種アバデイーンアンガス種を和牛に交雑して作りあげた品種で,体高は黒毛和種と同様で体重がこれより重く,牝約450㎏,牡約700㎏を理想としています。黒毛和種よりも早熟早肥で肉用能力が高く泌乳能力も優れていますが役用能力は黒毛和種よりもやや劣っています。併し粘土質の土壌の地帯でなければ,農耕用には一向差拡えないし産地では農用車などを引かせています。
 山口県阿武郡及び萩市が主な生産地となっています。