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豊野便り

豊野家畜保健衛生所

 白備線の備中高梁駅で降りるとこぢんまりした町がある。これこそ此間新しく誕生した高梁市で旧松山藩の城下町である。
 昔からこの町の有名なものを数えれば先ず「松山踊り」と「松山城」が挙げられよう。殊に後者の「松山城」は全国でも最も高いところにある山嶽城として有名である由。その外にここの家畜市場は全国でも有数の大市場で毎年莫大な頭数の牛が取引されている。
 最近又名物が一つ増えた。と言うのは今年の初から野猿の集団がすっかり馴れてきて見物に来る人の前でさまざまの生態を御覧に入れると言うことである。今ではすっかり観光名物として,見物人が引きもきらず仲々の盛況であるとの由である。
 先日私も子供にせがまれて行って見たが,子供にとっては異常の興味を引くらしい。私もこの猿の様子を見ているうち人間の祖先と言われるこの猿は,結局は人間の支配を嫌って家畜化をしなかった許りに野生のまま群棲しているが,何かとり残されたあわれを感ずる。
 而し我々人間社会の中でも猿と比べて万物の霊長とか言った優越感を持ってはいるが,様々な社会面には猿にも劣るような人間も無しとはしない。なんて想い巡らしていると隅々見ている場所の直ぐ下の方の家でメガホンを持って奇声を挙げてる人が居る。何だか様子が変なので附近の人に聞いてみると,最近脳病院から御帰還された許りの人との由,猿に呼びかけるには案外こんな人の方が通じ易いかも知れない。
 リンゴを食っている様子も仲々衛生的?で皮は必ず残し,喧嘩をしてても親分らしいのが来ると忽ち素知らぬ顔をして御叱りをさける小しゃくさは猿知恵と言われる程の社会的秩序があるようだ。
 扨て,この高梁市を距ること5里,バスにゆられて山合いの坂道をたどり,漸く台地に出たところ旧名豊野村,現賀陽町が当所の所在地である。
 明け暮れ坦々として変化の乏しい土地柄なので珍しい話題もないが2−3のこぼれ話を拾ってみよう。

その一つ

 私の知人で毎年100羽位の育すうをやっている人がある。或る日その人と一緒に山道を歩いていると蛇がニョロニョロ這っている。私は何より嫌いな奴に出会して及び腰になって逃げかけると,その人はやにわに引っつかまえて何の造作もなくクルクルと皮をむき骨を取り出して「良いものが取れたわい」と悦に入っている。「何だ薄気味の悪いものをどうするんだ」と聞くと彼曰く「之が私の育すうのコツさ,之をエサに混ぜてヒヨコにやると絶対失敗もなく何時も上々の成績になるんだ」と得々としている。果して育すうに良いものか否かは別として,動物質の利用と言う面では成る程未利用資源の活用でもあることになる。

その二つ

 或る日お百姓が牛を連れてきて「何と先生!この牛は生種付6回−5回も行ったがさっぱりしまらんがどうしたもんだろうか?」と診断を求めてきた。ドレドレと言うので早速裸になって直腸検査をしたは良いが,終って手を抜くと何だか臭気ぷんぷんとして変だ。腕の皮がむげる程洗ってみても一向に利き目がない。「おぢさんどうしたんだ?」と聞いてみると「アンマリしまらんかにニンニク焼酎で元気をつけているんだがね。」と平気で言う。よく種牡牛管理者もこの手を使って大いに宣伝しているとか……どうも漢方療法も良いとしてもその臭いをうつされた獣医泣かせの方法は辛い。

その三つ

 或る人工授精師がそのうちの種牡牛がどうも全然擬牝台に乗らないと言うので行ってみると,台がバカデカイ。どうしてこんな大きいのを使ってるかと聞くとそれ以前の牛が使ってた台で,その牛は恰度良かったと言う。然し今の牛でしどうしてもつり合いがとれないから,小さいのに取り換えてみたらと言うて早速新しい台に取換えた処,良い調子にとれ出した。後日その人がやってきて曰く,矢っぱり後家でも新しいのが良いのかなあ」と………