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再度の夏に想う

宰府 俤

 昭和25年の夏,2日程の旅程で蒜山地方の川上村を訪れたことがある。現在も引続き益々積極的に実施されている草生改良指導地の候補地調査の用向きで同村の亀山白さん,池田武徳さんにお会いし,半日ほど蒜山麓の野草を採取して岡山に帰ったわけである。
 丁度この地にガタガタの乗合バスが着いたときは夏の夜も暮れ人の顔のさだかならぬ時刻で出迎えを頂いた家畜保健衛生所のM所長さんに促されて下車し,高冷地特有の冷気が肌身に触れて一度に旅の疲れがおしよせたと記憶している。
 今でもその時刻にその場所を通ると,脳裡にあざやかに浮かび上ってくるのだが,乗合バスが現在の湖底に横たわっている羊腸の道を鈍行し,いささか視野が開けた八束村の小学校の附近に──この地方に滞在するようになってから考えてみるに八束村の上在所停留所だと思う──停車した頃乗客は2,3人という閑散ぶりで,加えて四界は刻々と夕闇がせまり,ほのかに蒜山盆地の夜景が家々をとりまく樹林をうかび出し,蒜山の寂寥さと奥の深きを味わしめたのだった。
 それ以来この地方を訪れることもなく忘れ去り,歳月はあわただしく過ぎたのだが、4年目の昨年7月,ふとした縁にあやつられてこの地方に居を求めることになった。
 高冷地の夏の夜の冷味を満喫し,冬は大雪になやまされながら再度の夏をエンジョイすることとなった。
 甚だ私事に亘って申訳ないが,27年頃ふとした事から自動車に乗ることが非常に億劫になり,つとめてこれを避けることにしていた。その頃のあるとき某家畜保健衛生所長のD技師が畜産課に在勤中,共に和気郡の香登町に出張したことがあるが,上道郡の三徳塾の所在地あたりに乗合バスが来た頃は酔がまわりほどほど閉口して以来のことである。矢張りこの乗物酔は精神的な役割が相当あるようで爾来,乗れば酔い,乗るとこの事ばかり思って忘れぬ努力は益々意識さすのみであった。
 併し汽車の旅はどうしてか至極平気であった。この様に自動車に対する酔の恐怖心は可成りひどく,たまたま蒜山行が決定になったときは,自動車にのることが心配の種であった。これから度々くりかえすであろう。2時間以上の長距離の自動車の旅は満足な結果には終らないとみたのである。
 梅雨の7月も珍しく青空の見える8日,同行のA技師と恐怖の出発点勝山町で落合い案じつつ中鉄バスの人となったのである。道中湯原ダムの建設現場を近くに眺めながら今は湖底に沈む道路をたどりつつ,幸に快適に旅を送ることが出来た。げに不思議な現象である。
 爾来,今日までおそらく10数回の往復を自動車によっているが,新型バスの運行もあって──新型バスとて主要路線で使用された中古車ではあるが──酔うことはただ酒席においてのみということと相成っている。
 矢張り快適の旅ゆえに5ヵ年前の処女地の印象がほのぼのと己の身を包むのであろう。蒜山原の何処かでただ1羽の閑古鳥が「カッコウ」と鳴いている。 (7月5日記)