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親馬鹿日記

杜陵 胖

雑草園

 新しい住所に遷ってもう1年が来る。裏庭が広いので有難いが雑草には閉口である。
 「許可なくして生える草を雑草と言う」と誰かが教えてくれたが,なるほど無断で入って来て,無断で生長しているのだから,確かに雑草である。この雑草たるや不都合な奴で,許可を与えてある草迄覆い被せて枯らしてしまうので手がつけられない。
 「芽生える前につみ取る百姓を精農と言う」と物の本に書いてあったが,生長して花が咲き枯れる迄も取ろうとしない人間が居るんだから,草の方でも安心して大きくなっているらしい。凡そ雑草などと名のつくものは人間が名を知らないから十把一からげにして「雑草」の名のもとに片付けてしまうのであって,これでも植物学者に言わせれば個有の名を持ったれっきとした植物であるのであって,彼等には彼等で又特性もあり,存在理由もあるに違いないのである。彼等に言わせれば,「人間の奴が勝手に吾々の世界に入って来て住むようになったのであって,此処は元々吾々の土地である。何を人間は大きな顔をしとる」と言うかも知れない。彼等は空いている土地を無駄なく活用しているのであって,おまけに雨が降った時土が流れるのを防いでやっているのに雑草とは何事ぞと言うかも知れない。
 とは言ってみても庭中に雑草が繁茂して来ると全く有難迷惑である。何んとか片付けなければと思ってみても,あの草の生長力を見ていると何んともはや手がつけられない。何んとかかんとか理屈をつけて眺めている,草は日一日と生長するばかりである。
 母親がたまりかねて子供達を動員して,草取りを始めたが,思う様にはかどらない。唯取れと言ってもなかなか取らないので受持ちを決めたり,お菓子を買ったりして居るが,こうなると子供の方が賢い。適当にやってはお菓子の注文である。約束の手前お菓子を出さざるを得ないのでしぶしぶ出しているが子供の方はいい材料が見つかったと喜んでいる。
 隣りの部長さんの家では人夫を入れて除草されたらしいが,日当300円としてもこの方がきれいになって余程安くつくわけである。母親も今頃になってしまったと思っているらしいが。女の智恵なんて大抵こんなものである。こんな悪口を言っているので何んとか親父を引出した草取りをやらせたいと思って智恵を搾っているがどうもその手に乗らないので弱っているらしい。
 「部長さんは朝早くからお庭の手入れをしておられますよ,一寸は部長さんを見習って草取り位なさい」とやられる。  「AさんでもIさんでもお庭は御主人の受持ちよ」と持ちかけて来ても何の反応もないのでぶつぶつ言っている。
 御主人様が何んと言おうと,何んと考えようと,草の方は吾関せずである。雨が降り,日が照れば好機とばかりに伸びてくれる。これこそ天下御免である。伸びほうだいに伸び,拡がりほうだいに拡がって,空地をうめてくれる。何んと雑草の生活力の旺盛であることよ。いっそのこと雑草を取ることを止めて雑草園とでも銘打っておいた方が良さそうである。雑草園ならば誰に遠慮もいらないし,誰も笑う筈がないからである。案外それを喜ぶのは自分独りだけでもないらしい様な気がする。

子供も使いよう

 年寄りの冷水ではないがこの歳になってもまだ若い連中に交ざって野球をやっている。気分だけは若くても体はとうの昔に硬くなって,なかなか思う様に動いてくれない。それでもやっている時は一人前の様な顔をしてわいわい騒いでいるが,帰って服をぬいだとたんに,体中が折れる様に痛くなるし,足はだるくなる,腰をおろすとやれやれである。
 夕飯が終ると伸びてしまって子供達を総動員して体を踏ませるのである。大きいのや小さいのや種々なのが居るので,それぞれ彼等の体重に応じて踏む部分が違うわけである。足の裏を踏む者,股を踏む者,腰を踏む者と皆それぞれの場所があるわけである。時には3人位一度に上ってヨイショヨイショとやっている。親父は下でうんうん言い乍らも,もっと上,もつと下と勝手なことを言って踏ませているのである。子供に踏ませる方法はなかなかよい方法で下手な按摩よりよっぽど良い。
 子供達の方は平素親父に喧しく言われているので,この時とばかりに力を入れて踏みつける。少々強く踏んでも親父の方で文句を言わないのを知っているから,平素の仇打ちとばかりに踏みつける。見ていれば全く面白い風景に違いない。大きな親父を3人掛けで踏みつけてヨイショヨイショとやっているのだから,知らない人が見たら何んと親不孝な子供達と思うに違いない。
 子供達にしてみれば面白半分に仇打ち半分であるが,親父にしてみれば結構これで按摩の代用になっているのだから世の中は良くしたものである。少々痛い位我慢すれば安い按摩であるし,子供達も喜んでやってくれる。
 どうですか,一つ物は試しにやってみては?