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ニュージーランドの印象〔9〕

藏知技師

 私のこの印象記も回を重ねること9回になった。出発したのが昨年の9月29日であるので,今年のジャージー牛も11月には豪州から入ることになったのでもうそろそろこの記事も終りにしないと旧聞になるので,後1回位で終ることにしたい。

 そうなると今迄の畜産関係ばかりの記事では面白くないので広く一般的な面白い話題を捕えて書いてみることにする。風俗,習慣や人情が変れば当然変った面が見られるわけである。平素彼等の習慣として何等珍らしくも無いことが,東洋人の黒い瞳に映ると,それが珍らしいことになり,面白いことにもなるのである。従ってこの記事も東洋人,日本人としての私の目に映った彼等ニュージーランド人の生活をそのまま書いてみたいと思う。書くことは断片的であるし,紙数にも限りがあるので意をつくさないことも多いと思うがお許し願いたい。

◎道路に学ぶべきこと

 道路は実によく整備している。道路はこの国の動脈である。広く舗装された道路が延々と続いている。道幅も重要度に応じて広くなっているが,田舎に入っても自動車がフルスピードで行き違いの出来るだけの幅を持っている。舗装道路には必ず中央に白線の目印が付けてあり,これがどんな山の中に行っても判然としているのには驚いた。従って自動車を運転する方でもこの白線の左側を走っているので,スピードも50マイルから70マイル位出している。勿論町の中ではスピードの制限があるが,町の中で30マイルである。乗っていて気持ちが良い。ローン商会のダルトン畜産部長等は50マイルもスピードを出している運転台でハンドルを握り乍ら手巻き煙草を取り出してゆうゆうとハンドルの上で煙草を巻くのである。乗っている此方は気が気ではないが彼は馴れたもので平気でやっている。これも道路が良いからであって,日本のデコボコ道でこんなことでもしようものなら大変である。面白いことには道路に沢山文字が書いてあったり,印がつけてある。

 学校に注意,

 橋があるから注意,

 右に廻る。とか左に廻るとか,

 踏切りに注意,

 スピード30マイル,

とか種々な文字がある。横断歩道にはハシゴ型の印が入れてある。学校等の注意書きのあった後には必ずサンキューと書いてある。こんなところにも人の気持ちの表われがあって面白い。日本の道路にも最近は種々字を書く様になった。然し有難とうと書いたのを見たことがない。一寸した心遣いであるが人の気持ちをやわらげてくれるのには役立つ様に思う。

 横断歩道の印の付いている処は絶対人が優先である。この処を人が歩いていたら必ず自動車の方で止る。どんなに飛ばして来ている自動車があってもこの印の処へ来るとピタリと車を止めて人が通るのを待ってくれる。日本の様なつもりで車が来たので立ち止まってジットしていると歩けと自動車の中から合図して通る迄待っているのには恐縮した。日本ならチャンとした横断歩道であっても,自動車の前など横切ろうものなら「この馬鹿野郎」とばかり運転手に怒鳴りつけられるのが普通である。東京など全く自動車地獄と言っても良い位で田舎者などは一日外を歩いて来るとぐったりする程である。横断歩道でない処でも人が横断していれば大抵車の方で気をきかせてくれる。特に老婦人でも通れば絶対安全である。吾々もよくこの手を使って横断をしたが老人とは全く有難いものである。

 大きな町になると矢張りゴー・ストップがあり,交通巡査が立って整理をしている。然しこれは自動車の整理が主であって人間の方はトントおかまいない。自動車の間をくぐって赤の時に横断しても知らん顔をしている。

 全く呑気なものである。道路で驚いたのはロトルアから北島の脊梁山脈を縦走してウエリントン迄バスで出て来たが,この山中の道路が中心道路は幅20m位であるが,両側を入れると幅50,60m位から広い処では100m位もある広い道路が自然林の中を走っていることである。自動車が日に数える程しか通らないこの山中にこれだけの道路をつけた努力に対しては全く敬服させられた次第である。

 もう一つ,ニュープリマスのエグモント山の中腹迄自動車道路がつけてあってそこ迄登ったが,山の下と上に電話の連絡所があり,下の小屋には番人が居てこの道路の通行の整理をしているのである。この道は一方通行で上りの車があると下りは通れないし,降りて来る車があると上りの車は下の番小屋で待っているわけである。日本の自動車なら無理したら行違いの出来る様な道でも一方交通で事故を防いでいるのである。一方の車が通ってしまう迄には相当の時間がかかるが、それをじっと待っている気永さにも英国人気質が表れていて面白い。

 道路の交通道徳のよく守られていることは全く気持ちのよい位で,お互に互譲の精神を発揮するので事故は殆んど無い。十字路等で出逢うと先に停めた方が必ず先に進む,これが一方が婦人であった場合には婦人の方が先に進む様である。もう一つ不思議に思ったことは,町の中でも田舎道でも殆んど警笛を鳴らさないことである。日本の自動車は引切りなしに警笛を鳴らして「其処のけ」とばかりにいばり散らして走って行くが,警笛の音はたまに聞く位なもので,自動車が流れる様に走っているのに町の静かなのには驚いた次第である。警笛を鳴らして操縦するのは余程下手な奴とされている様である。バスで旅行していると時々鳴らすことがあるが,追い越しの時か自動車に注意するか,誰か知った人に注意する合図に使う位なものである。

 ニュージーランドの道路で一つの珍らしい風景は田舎道に入ると家畜の群れを市場に送って行くのによく出会うことである。200,300と群をなして行く羊の群,肉牛の群は道路一杯になって進んで行く。田舎道をフルスピードで走っておってもこの羊や牛の群に出会うと絶対自動車の負けである。家畜が横へ外れる迄車を停めて待っている。家畜を轢き殺したら罰金であるが,それよりも家畜愛護の精神がハンドルを握る人の顔に現れている。皆笑って停める。この一事でも人間の気持ちが平和になって来る。こんな風景は千屋あたりに行けばよく見られるが,ただ違うのは一寸も警笛を鳴らさないことと,動物が道を開けてくれる迄何時迄も待っていることである。

 田舎道を走っていると盛んにキャラバン・カーに行き会う。これは普通の自動車の後に更に大型の乗用車の如き体裁の蒲鉾形の車を引張って走っているもので,内部は昼間は調理場,食堂になり,夜は寝台に改装が出来て窓からきれいなカーテンが見えているが,何のことはないお座敷を引張って旅行する様なものである。ホテルの予約の心配も無く,食事は車で食べてもよし,或いはレストランとかホテルとかで食べてもよく,夜は親子3人位は楽に寝られる。これで北島から南島へと途中は船に積んで渡り,一週間でも10日でも,仕事もして歩けば,夏休みの旅行もやって歩くという,所謂キャラバンの如き考えからこの名前をつけているらしいのである。

 ついでにもう1つ書き足すと乳母車が実に多いことである。この乳母車が天下を我物顔に歩き廻っている。車道と歩道の境には必ず乳母車の通路が作ってあり,デパートへ行ってもチャント乳母車の通る処が出来ているし,エレベーターの中へでも何処でも天下御免である。自動車も人も一応この小さな乳母車に敬意を表しているところは矢張り人口の少い国であることを痛感させられる。バスや自動車にこの乳母車をつけて走っているのを見ると全く愛嬌のあるもので乳母車まかり通ると言った感じである。

 何処の町へ行っても道路の傍らにKeep your cityと書いたごみ箱が置いてある。これを見ると道路へ何も捨てる気にならないで必ずその箱に入れる様になる。事実町の道路は全くきれいで紙屑一つ落ちていない。日本でもこのごみ箱は置いてあるし,「お互いきれいにしましょう」と書いてあるが,その側らに紙屑が落ちていても誰も拾って入れようとしないのとは大きな差である。公徳心の問題であると考えさせられる。

 大きな都市になると必ず自動車の駐車場以外には車は置けないわけである。駐車場にはメーターがついていて一ヵ所の駐車料は30分で12円である。時間が切れると赤札が出るので続いて駐車するものは更に12円を入れてメーターを掛けておかなければならない様になっている。この収入は市のものになる由である。

 市内電車は何処の町へ行ってもお粗末なものが多い。古い型の電車で岡山の電車よりもう一つ古い型のものまである。中にはドアーの無いものもあり,雨の日などシートで入口を鎖いで走っているものもある始末である。最近は軌道のある電車は次第に少くなり,バスかトロリーバス(ポールのみあって軌道の無いバス)に代っている。驚いたことはこのトロリーバスになった通りでは電車当時の軌道を取り除かないで,アスファルトでうめてその上へ自動車を走らせていることである。何しろ人夫賃の高い国であるのでレールをはずして道路を修理する人夫賃の方が高くつくのでそのまま放置しているのである。何しろ鉄屑等というものは第2次世界大戦後日本が初めて買ったと言う国であって,それ迄は屑鉄は全然放置されていたらしいので,レールなんかも誰も見向きもしなかったらしいのである。最近日本が屑鉄を買い出して値が出て来たので方々でこのレールが問題になっていると言う話を聞いたが,然し尚人夫賃の方が高いのでそのままになっているとのことであった。日本とよい対照である。

◎ホテルのことども

 旅行にホテルはつきものである。今回の旅行でも方々のホテルに泊ったが,一概にホテルと言ってもピンからキリ迄あり,新しいのから古いの迄千差万別である。吾々の一行もこの千差万別のホテルに泊ったわけである。同じことなら大きな処が良いと思って大体一流のホテルをねらったわけである。と言うのは宿泊料が公定であって大きい処も小さい処も大差が無いのでいい処をねらったわけである。

 英国人と言う人種は万事が几帳面であって旅行等も1ヵ月も2ヵ月も前から計画して,バスは何時に何処を出て何時に何処に着いて何日の夜は何処の何んと言うホテルに泊ってとすっかりスケジュールを作ってその通り行動するのである。従って何か特別な催物,例えば共進会やテニスの会や大きな競馬等のある場合には1-2ヵ月位前からホテルはもう予約で満員である。又土曜日や日曜日は絶対的と言っても良い位予約なしには泊れないのである。吾々の場合も早く予定を組んでローン商会を通じて予約しておいたので割合楽に泊れたが,さもなければ宿無し猫になったかも知れなかったわけである。

 ホテルに行くと予約によって室も準備されているので帳場で記帳して室の鍵を貰うわけである。面白いのはホテルによって鍵を呉れる処と呉れない処があり,又鍵を貰うのに5シリングから10シリングださなければならない処もある。これはお客がよく鍵を忘れて持って行ってしまうので,新しく作る時の代金だそうである。鍵には名刺大の真鍮の板にホテルの所と名が彫り込んである。若し忘れて持ち帰った場合にはその鍵はチャンとホテルに送り返されるそうである。この様な面倒な鍵であるが,ホテルに付いて驚いたことはどの室も殆んど鍵等掛けてないで入口の扉が開いているのである。種々な人が出入りするのによく開放して物がなくならないことだと感心してみたが,盗難等と言うことは考えても見たことが無いそうである。扉は全部中に錠があり外からは鍵が無ければ絶対に開かない様に出来ている。オークランドのタスマンホテルに最初泊った夜,さんざん羽を伸ばして夜遅く迄話込みさて寝ることにして同室のⅠ君と一緒に便所へ出たのは良いが,さて室に入ろうと思うとさあ大変,鍵は室の中に置いたままで扉は完全に閉まったままである。何と騒いでみてみてもどうにもならない。ホトホト弱ってしまって案内役のH君を呼び起して,ボーイを呼んで貰ってやっと合い鍵を持って来て貰って蓬々の態でベッドにもぐり込んだ。最初の失敗談である。以後決して鍵を使わないことにしたが,この方が余程気楽であった。

 何処のホテルも室内には洋服ダンス,鏡台,整理ダンス,シャワー,洗面設備があり,湯と水が自由に出る様になっているし,洗顔用の新しい石鹸とタオルが大小2枚,ガラスコップ等が備付けてある。ベッドは上等のスプリングが入っていて寝心地は実に良い。食事は食堂へ行くのであるが,キチンと服装を調えて行くのだから大変である。4-5人で1テーブルを占領して居ても室内の注意が全部吾々の方に注がれている様でどうしても堅くなり,馴れる迄は何か落ち着かない気分で,食事も余り美味しくなかった様に思う。御馳走は相当量あり,種類も多く,自分の好きなものが注文出来るのは有難かった。然し料理は下手でお世辞にも美味いとは言えなかったが,羊肉だけはさすがに本場だけはあると感心したものである。夕食後のコーヒーは別室でゆっくり飲むのであるが,大勢で話し合っている所はどうも苦手で早々に引揚げることの方が多かったわけである。

 一流のホテルには大抵パブリック・バーがあり,昼12時から1時迄と夕方は5時から6時迄の各1時間宛酒を飲ませるのである。5時が来ると待ちかねた様にお客が入って来て賑やかに飲んでいるがこれも6時になると閉店になる。閉店になるとホテルの支配人等が出て来て全部追い出しである。ぐずぐずしていると「この飲ん平出て行け」とばかりにつまみ出されてしまう。ホテルの夕食はそれからである。ホテルの中にはホテルのお客を相手のバーもあり,此処は何時でも飲めるわけであるが,吾々はこんなバーで飲むのはどうも窮屈なので何時も瓶を室に持ち込んで適当にやってから食堂へ出掛けたものである。

 ホテルには勿論風呂場もあり,シャワーもあるが,外人は殆んど風呂には入らないでシャワーで済ますのであるが,日本人はどうしても風呂へ入らないと気が済まないらしく,ホテルの風呂場で音がしているなと思ったら大抵吾々の仲間であった。風呂は勿論洋式であるので流しは無く,風呂の中で洗って,その湯を捨ててしまうのである。他の班では掛け湯をして大失敗をした人もあったとか聞かされたが,幸い吾々の一行はそんなへまもやらないで済んだ様である。

 この国には街の靴磨きが全然居ないので靴は自分で磨くか,ホテルで磨いて貰うかである。夜寝る時靴を室の外に出して置くと朝迄にはチャンと磨いてくれている。靴の中に小銭を入れて置くとそれがチップになるわけである。チップが入っていようがいまいが,靴だけは必ず磨いてくれるから有難い。然しどうも吾々の様なドタ靴では気が引けるので自分で磨いたが,夜屋の外に出ている靴を見て廻ったが,必しも上等ばかりではないのに安心をして時々は外に出したものである。

 朝は7時になると必ずお茶と新聞を持って起しに来る。起きたくない者や,入って貰っては都合の悪い者は扉の外に札を掛けて置けばソッとして置いてくれる。ダブルベッドの室などは新聞だけを扉の下から入れて行っている。

 お茶には砂糖を入れるかどうか,ミルクを入れるかどうか尋ねて返事をして置けばやってくれる処とそれ等のものを付けて盆で持ってくるところとある。尚気のきいた処では別に熱いお湯迄つけて来て何杯でもお茶を飲ましてくれるところもある様である。お茶を持って来た時に必ず今日泊るかどうかを尋ねるがこれが早口なのでいい加減な返事をしていると行ってしまう。

 シーツや枕カバーは毎日取り換えてくれるので気持ちが良い。宿泊料は大体2,000円から3,000円位迄である。田舎へ入っても大して差はない様である。

 ボーイ達は殆んど老人であって若い者は非常に少い。人の少い国だけにあまり労力を要しない仕事には老人が多い様である。酒なんかも頼めば室迄持って来て呉れるが一杯毎にチップがいるので非常に高いものにつく。老人にわざわざ運ばして知らぬ顔も出来ないのでチップがいるわけである。

 ホテルで面白かったのはロトルアという温泉地があるが,此処は北海道の登別温泉を数倍したような大きな温泉で,町中到る処に温泉が出て居り,間欠泉では世界一だとも言われているが,ここのホテルではすぐ裏に湯が涌出しているので,日本の気になって温泉に入るつもりで風呂に入ったところ,何とそれは温泉では無くて沸かした普通のお湯だったのには驚いてしまったのである。

 このホテルのマネージャーが日本人びいきで吾々が居るのを知って室へやって来て一杯やろうと言うことで自分の室へ引張って行った。このロトルアと言う処は原住民のマオリ族の本拠地であって,マオリは沢山日本に来て居たらしく,彼等の取締りをやっている若い男も入って来て懐かしそうに歓迎してくれた。マネージャーの室には日本の海軍の某提督がニュージーランドの陸軍を閲兵している古い写真が掲げられて居り,その案内をしているのが彼の親父である。そのことを非常に自慢しているし,又そのために親日家になっているのである。彼自身もスポーツマンで若い時にはスプリンターとして活躍していたらしく,幾つかの写真が掲げてある。その彼が,

 日本は何故日英同盟を破棄したか,

 何故米国と手をつなぐか,

と喧しく言って,日英は昔のように手をつないで行かなければ駄目だと言っているのを聞いた。田舎のホテルで思わぬ人に会い,思わぬ歓迎を受けたが,一般人の対日感情と言った物もこれに近いものであるらしい。特に日本に来ていた連中は一様にもう一度東京に行きたい,もう一度山口に行きたいと言っているのを聞いたが,退屈なニュージーランドの生活に比べて確かに日本の生活は面白かったことと思うのである。

 ついでにロトルアのことを書くと,全市到る所に温泉が噴いているし,この近郊にも沢山の温泉が出ているが利用されているのは温泉公園の公設の浴場のみで,然も時間に制限があり,日本の様に何時でも気の向いた時に入れないので不便である。浴場は立派なものがあり,お湯の種類により入浴時間も何分と制限されている。仙波場長はこの時間を読み違えて長く入ったため皮膚をやられて大変苦労されたそうである。吾々の一行がこの地に着いたのは土曜日の夕方であり,日曜日の朝のバスで出発したので折角土曜日に温泉場へ来て居り乍ら遂に一回も湯に入らないで,翌朝早く浴場内を見物しただけで帰らなければならなかったのは洵に残念であった。

 ホテルで面白いのは英国人の伝統を守ると言うことで古い何十年も前のものが矢張りそのまま営業を続けていることで,泊る方もあのホテルは家の親父が泊ったからとか,祖父が泊った家だから自分も泊るんだと言った様な有様で結構古いホテルも経営出来るそうである。現にエリザベス女王等もこの調子で一流の大きなホテルには殆んど泊らないで関係のあった室に泊られたと言う話である。又こんな話も聞いた。

 皇太子エドワードはこの国を愛したし又今までこの国を訪問した人の中で最も人気のあった一人であるが,彼が王冠を裏切った事は何時迄もニュージーランド人の感情を傷つけたし,王室に対する忠誠心を奪ったことは明らかであるが,それでもこういう話がある。1942年のこと或る満員のホテルの事務員が支配人に不平そうに呼びかけて言ったそうである。「アメリカの兵隊達がエドワード殿下の部屋を占領したままで騒いでいるが良いのですか」と,皇太子エドワードは20年前にその室に一晩泊まったことがあったそうである。

 ホテルで弱ったことは便所に手洗いの無い所が多いことである。町の便所でもそうであるが,日本人の様に必ず手を洗う習慣のある者には一寸不潔に感ぜられ閉口したのである。然し食事の前には必ず手を洗う様であるから,それでもいいのかも知れない。

 ホテルの廊下は全部厚い絨毯が敷いてあり吾々の様なドタ靴で歩くには一寸気が引ける位である。従ってくわえ煙草は禁物である。廊下の隅によく砂を入れた箱が置いてあるので何に使うのか知らんと思っていたが,それは煙草の捨て場所であった。

 各室にはラジオがあるが,これ又面白いことに1回宛使用料を払わなければ聴けないのである。1回が30分で6ペンス(24円)である。6ペンスの銀貨を入れて聴くわけであるが,30分経てば切れてしまうので又次の分を入れなければならない。途中でスイッチを切っておけば余った時間だけは次の時間に聴けるわけである。時々前の人が入れてスイッチを切ってそのままにしてあるのにつかってそのまま聴けることもあるようである。ホテルで一番困るのは用事がある度に電話で話されることである。聞き馴れないのに早口で話されると何んのことやらさっぱり判らず,まごまごしていると向うでも困るらしく大抵のことは向うで負けて切ってくれる。