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工場従業員が養鶏経営に投資

神島ピカツポ工場の場合

 “従業員たちが別途に養鶏や園芸事業を計画,工場では従業員,一歩外にでれば事業主に早変りという二役で豊かな工場経営に励んでいるところが県内にある。笠岡市神島の辺地にある中西武商店神島ピカツポ工場がそれである。従業員20名たらずの小工場とはいえ,津々浦々まで労働攻勢の波が押しよせているこのごろ,新しい工場経営が明るい話題となっている”

 神島は周囲5里,内海の温暖な小島で約1,000戸が半農半漁の生活をしている。ピカツポがこの地に創業したのは昭和25年のこと。最初は外浦の神島化学工場内にあったが,28年の2月現在の内浦に工場を建設し,本格化したばかりのまだ若い工場。付近でとれる竹やシダ類を原料に皮膚薬“ピカツポ”をつくっている。従業員は20才前後の島の娘さんを主に総勢20人余り。創業以来工場長の山本さんは「富を積むより徳を積め」をモットーに,毎週水曜日の午後お茶,お花,料理など婦人としての情操教育の時間を設ける一方,300円とか1,000円とか任意貯金を奨励した。

 しかし貯蓄ばかりではいけないと28年の12月には,全従業員の出資と苦心で園芸事業に手をそめた。そして着々とその成果をおさめ,この間にも働きながら月々預金は続けられ8月で満2年半を迎えた。従業員の預金はそっくり銀行貯金をしてもわずかの利子にしかならず,それよりも何か事業をはじめて生活を豊かにしよう,労使の頭打ちを解決しようと意見が一致。2月11日には“ピカツポ園”という株式組織を設立,工場付近の敷地2ヵ所で150坪の土地を手に入れ,従業員で30万円の預金のうちから出資し,鶏舎を新築,採卵用と加工用の2とおりの養鶏事業をはじめた。まず最初は雄250羽を買入,4月にはメス500羽を追加,9月末から産卵するというところまでこぎつけた。こうなると従業員の合同仕事ではできず,係を一人雇い給料を支払うことにもなった。

 養鶏事業はさらに採卵用鶏5,000羽にふやし卵を大量に送り出す一方,加工用鶏を毎月200羽ぐらいつぶし“鶏のクン製”をつくり食ぜんに送り出す計画で,クン製場も新築,すでに80羽をクン製にし養鶏で得た金は4万円にのぼったという。

 又最近高熱堆肥舎を完成したが,この堆肥舎は普通堆肥につかうワラ,雑草などの材料へ米国の医学者アーフ・トマース氏が考案した特種バクテリアを混入,普通2,3ヵ月,完熟するには半ヵ年を要した従来普通農家でやっている堆肥をバクテリアの作用で数日中に完全堆肥となり,しかも菌の栄養素によって養鶏の飼料として優秀で鶏の成育を助長し,また農作物に施すことによって土壌を改良し,作物の成長と品質を倍加するという特長を有するといわれ,同工場の従業員たちはその成果に多大な希望をつないでいる。