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ジャージー会館

宰府 俤

 4畳半の茶の間,6畳と奥座敷の8畳,6畳の2階1間,30坪の庭,これが会館という名の住宅である。場所は蒜山盆地の一隅,海抜460m,少くとも住宅難の都会にあっては,羨望の住であろう。

 拙宅は,岡山,倉敷間の国道沿いで大供のロータリーを去ること西方約4kmの処にあるが,この間の国道沿線は,1,2年前までは備前平野の一角をなす美田の連続であった。ところが,この沿線を眺めながらの時折の県庁との往復の間に,県営住宅,市営住宅,と民主党の公約通りか,着々と洋館建築が出来上がっている。

 年々,この住宅,町工場等に約100町歩の耕地が県下で失われている(耕地の壊滅も含まれているのだろう)とか聞いているが,失われる耕地は別として,立体的とは云いながら土と別れた,この住居に住する人々の生活を想像し,田園にのみゆるされる大がかりな蒜山のこの住居とくらべて,感深きものがある。

 月,1,500円というこの家の借家料は,全く架空の住居に許された家賃であると都会の住に忘れられた人々は思うであろう。

 併しながら,今日においては家はまた商品である。その価格は需要と供給の関連において,その値段即ち家賃が決定されるものであり,又一面その需給のバランスは市場という人口調密の都会から遠隔の避地という条件が制約して安価におちつかせ更に亦,その住居におかれた四囲の環境がその値の起趨を決定するは,ブルジョア経済学の初歩である。

 従って,この月,1,500円という家賃は高くこそあれ安いとは思われない。

 私達は,客年8月,一袋の寝床フトンと鍋,茶碗,飯盒を携えてこの豪華な大住宅に引越して来たのである。

 それは,中福田家畜保健衛生所から約1kmはなれた川上村地内にあって,村の駐在所の真裏に位置している。

 空巣にねらわれる心配は微塵もないお互の持物であるけれど,男二人の生活でも年を経るに従い多少の生活物資は嵩まるものである。同宿のA氏は時下数万円のカメラを有する田舎ブルジョアであるが,駐在所の裏であるという好立地に恵まれ,至極のんびりと空巣にしている。

 夜,戸を閉め,朝,戸を解放して空巣に対する常識に反抗する生活様式の日々であるが,幸にこの住居には何一つの事故が起っていない。駐在所の主人は,我々がこの住居に出入りして既に2人目となっている。主,幾人かわれども,この家の安全は些かのスキもないであろう。我々はこの価値において1,500円の家賃の妥当性をシブシブとみとめる。ジャージー種という乳牛が仲に介して,蒜山に来た我々AMの二人のこの地の歴史は,この住居の歴史でもあるが,人呼んでこの住居をジャージー会館という。

 過去一ヵ年の短い歳月は,聞きなれぬ地の人々に,ジャージー会館という愛称を与えたわけである。

 快晴の朝,雀の足音は高く,コワ葺きの屋根を踏んで目覚の時を告げ,雨の朝,雨音繁く朝寝にメロディーをそえ,雪の朝,雪フンプンと頭上におちて枕上に頭をあげしめる。

 すべてが,天井なきこの会館の赤裸の姿である。K氏はこの天井なき住居を,銀行の如きとたとえている。ともあれ,自然と直結した生活の営みうる家であることに,即ち天井なきことの故に,1,500円の合理性を認める。

 飄然として尋ねる人々の手に1升ビンがみられる。茶碗にくみて,酒の精に豹変し,蒜山の天下を論ずること深夜に及ぶこと,しばしばである。

 この故に“ジャージー会館”と呼ばれるのであろう。月,1,500円の会館借上料,これが第三の合理性の拠点である。

 此宵,この会館の酒はうまく,5体に巡る。つれづれの筆は酔いて,我が宿“ジャージー会館”の断層を世の人々に語り筆を擱く(8月9日記)