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味噌汁の味

宰府俤

 不安の台風22号は,差程の魔手をのばさずここ蒜山盆地の稔の秋は,人々の心を軟げている。

 所謂,ジャージー会館の主の一人,5尺7寸の好漢A氏は,台風の訪れと共に岡山を立ちジャージー種種牡牛引取りのため横浜に旅立った。一人当り畳数の多いこの宿に一人ポツネンとして嵐の一夜を送るのは,男なら男ならと思ってみても決して楽しいものではない。

 まして屋根に故障があり,障子,フスマ等些か調子がくるい風をふくんで空中に遊離し,天井板のない悲しさは強風の来襲毎に長年蓄積のゴミを散り落す等の環境であってみれば……

 台風去って晩秋の十五夜は,県南では十二分に堪能出来たようであるけれど,この地では特有の悪天候がわざわいし,明年に譲らねばならないこととなった。

 しかし,仮に鑑賞に値する好夜に恵まれたとすれば,ただ一人天を眺めて絶景なりとオツにすましてもいられまい。酒代が助かったというものであるかも知れない。

 いや,月を眺めてチビチビと酒酌み台風の難の少なきを喜び五穀豊穣の秋を祝うのが神の摂理にむくいる道であったかも知れない。

 話は余談にそれるが,最近どうも体の調節がよくないようである。ビタミンB12は可成り摂取はしているけれど,歯齦が出血しやすく,時に痒覚をおぼえて体の一部をかけば真赤に腫脹する。自分一人かと思いながらA大人に聞けば同病りという。

 おそらくビタミン欠乏の為ではあるまいかと牛乳飼養の論法で彼は答えてくれる。よく考えてみればここ数十日野菜というものとは絶縁の身である。この地方では最近生産の青菜類は全然店に出ていない。誰しも土地を持ち自給しているからである。純然たる寄宿の我々にとっては,農家に買出しというわけであるが面倒くさい限りである。

 てっきりビタミンC欠乏と診断したわけである。

 月額2,000円で食事の労一切を頼んでいる当会館の賄女史にしてみれば,ビタミンがどうであれ問題にするほどのことはないのかも知れない。事実,去年の冬等凍った飯をよく食べたものである。ヤロビ農法を地で行くようなものである。

 海から遠く,市場から離れた地方ではきまった食料品,サンマの塩物,竹輪,サバ,シイラの焼物,缶詰といったもので簡単に料理出来る事が賄女史にとっては有難いわけであろうと思ってみたりする。

 といって,彼女に料理の要求をするほどの元気もなく,これまでは如何なる物が膳にあれ,食う事が生きる事であるという意識が潜在していたのであろう兎に角口に運んでいた。

 が昨今ではいささか栄養のこと等気になり出した。

 それにつけて思い出すのだが,現在の賄女史の先任者の頃はいくらか料理に変化があったように思われる。我々二人の2ヵ月に亘る自炊のあと二人の年若き女性が労をとってくれた。この二人の娘さん達は共にこの会館に足を運ぶようになって1ヵ月程のうちに縁談がまとまり我々の知らぬ何処かの人に嫁している。全く不思議な因縁で近所の口達者は縁結びの家とさえ言っていたのを耳にしたことがある。

 勿論,仲々と恋愛結婚の盛んな地方のようであるから我々の食事が彼女達の結婚に関係があると速断するのは些か自惚にすぎるかも知れない。我々をダシに料理の勉強に来たかも知れない。

 ともあれ,この娘さん達の料理は色々と変化もあり野菜もうんと食べさせてくれたように記憶している。 

 現在の賄女史に若い娘さんの料理を求めることは,50才すぎた賄女史に恋を語るようなものであろう。

 A氏と二人の食事では,食事は義務であるとか何んとかブツブツ言いながらもすましていたが,嵐の去った今宵,一人で座した食膳に2日前の竹輪と塩サケがのっていた。

 ほどほど野菜が恋しく,炊事は億劫であるけれど,キャベツを1ツ何とか手に入れ味噌汁にしてこの欲望を沈めた。

 食事をおえて一服,ちまちま近くの闇に聞こえる横笛の音は,静まりかえった高原の秋の夜に響き渡り,人の心に寂寥の感をかきたて,故郷の味噌汁の味をしのばせてくれた。(1030日記)