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岡山県獣医畜産学会 研究発表特集

(10)牝牛の膀胱結石と誤診された膀胱癌の手術

岡山県農業共済組合連合会勝田支部 井上 皎

まえがき

 本例を発表させて戴きますに先立ち一言御断り申し上げて置きますが,本例は牝牛の膀胱結石とばかり信じこんで手術を致しました処,計らずも手術不能の状態にまで進展致して居る膀胱癌でありました為,手術中途にして放棄致しました失敗例でありまして,貴重な時間を消費し皆様の御参考に供する何物もない事を内心恐縮に存じて居るものであります。が唯その病例に於て私共が現在に至るまで遭遇した事のない珍しい所見を得ましたので皆様に御披露申し上げ,聊かなりとも御参考になればと念じつつ発表させて戴くものであります。

経過処置

 本件は岡山県勝田郡勝田町に発生したもので和牛の牝牛であり,生後30ヵ月の未経産牛であります。

 30年2月28日尿意頻数であり背を曲げて尿を排泄するので勝田郡畜連安東技師及び小坂技師に診を乞いましたが,その初診時膀胱内に小鶏卵大の固形物がある為膀胱結石であろうと診断され,その後薬治療法(炭酸リチューム枸縁酸リチューム)によって結石の消滅を計りましたが全然効果無く以後症状も緩慢に悪化し栄養も極度に不良となり絶えず背を曲げて努嘖し疼痛を訴え,少量ずつ排尿する状態となり,尿も悪臭を帯びて来ましたので共済連支部に連絡のあったものであります,その後安東,小坂技師らと如何にすべきか協議致し結局外科的処置によって除去する事以外に方法はないとの意見の一致を見ましたのでその方法を種々考え次の三通りの方法を検討致しました。

 その一つは鼠蹊部切解による方法でありますが腹圧の為腸が飜出する事に膀胱切解時尿が腹腔内に漏出する事を恐れ採用しませんでした。第二の方法は右側「月兼」(にくづきに兼)部を切解する方法でありますが骨盤腔内に於ける膀胱手術特に縫合操作等は不可能であろうとの結論に達し之も採用出来ませんでした。で結局第三の方法,即ち横臥保定を為し背を下に腹を上に向けた状態にて,膣壁の尿道孔より約一寸奥を切解し膀胱を膣内に引き出して処理する方法を実施する事に致しました,此の方法が成功すれば手術時の血液及び尿と腹腔内に漏出する事を防止出来ると共に腸の影響を受けず手術が安易に而も完全に行えると信じたものであります。唯心配された点は膀胱の縫合等の操作が膣内でやれるか否かという問題でありましたが経産牛に於て膣脱,子宮脱が起る現実より見て膣を体外に引き出して手術する事も可能であろうと幾分手前勝手な着想の元に5月15日愈々手術を実施する事になりました。先ず横臥保定を為し抱水クロラール実量25g,5%500ccを静注し膣内に器具を挿入しようと試みましたが未経産牛であり全然開張せず操作が出来ぬ事がわかったので立会者安東,小坂,垂井技師等と協議し図の如く肛門及外陰部側方3cm切解し次に厚さ約3cmの結締織を分離切解しましたが,次に骨盤腔に手を入れますと鞏膜を通して膀胱を触知する事が出来ましたので鞏膜を触知する事が出来ましたので鞏膜を切解し膀胱を手で把握し精密に検査致しました処膀胱壁と膀胱内の固形物は遊離して居らず膀胱壁の周囲も腫脹致し而も鶏卵大の誠に固い石様の腫瘍である事が判明致しました,尚精査を加える為に尿道より鉗子を入れ膀胱内を探索しますに全く結石でない事が判明しました而も何か正体の解らぬ物に触れ不審に思ったのであります,尚膀胱はその容積約70cc位と思われ膀胱壁は硬化萎縮し伸張力を失い結締織の厚い層で破れ尿を蓄積する能力は殆んど居る状態でありました,加うるに左右輸尿管にまで腫脹が波及して居るので輸尿作用にも障害を与えて居る事を想像し治癒不能と診断し直ちに解剖する事に致しました。

 剖検して見ますと更に変った変化があるので驚愕した次第でありますが,図の様に膀胱前部に略鶏卵大の中心部に膿球がある癌腫がありました,これは誠に固く殆んど結締織の固りである様に見受けられ尚膀胱壁も分厚く結締織の増殖を来たして居り,貯尿の能力を失って居りました、尚癌腫以外の膀胱内面部には径2mm長さ1cm1.5cmの細長い肉鬚或は肉柱といいますか丁度蛔虫の一部の如き感じをした極く自然な感じのものが密生して居りまして、何が原因でかかるものが出来たか今以ってその原因及正体に疑問を抱いて居るものでありますが兎も角異様な解剖所見に遭遇したものであります。

むすび

 ともあれ本件は治癒せしめ得ず徒らに切解手術を強行しただけのものでありまして唯不可思議な膀胱癌と思われる一例を御紹介致した訳でありますが,結論と致しましてこれが結石であったとして手術可能であるかという問題でありますが,此の方法でやった場合輸卵管の伸張力が全然無く膀胱を引き出し得ないのでありまして縫合等の処置は先ず無理である事がわかりました。結局残る方法は少々困難かも知れませんが下腹亜部切解による方法しか無いのではないかと思われます甚だ不完全な体験で失礼致しましたがこれにて発表を終らせて戴きます。