既刊の紹介岡山県畜産史

第1編 総論

第2章 明治,大正時代における畜産の発達

第7節 獣医および蹄鉄工

 岡山藩においては,遠く200年以前から馬医を置き,牧馬および預け馬の保護に当たらせていた。本県においては,明治27年(1894)県会の建議もあり,同28年(1895)度から獣医2名を雇い入れ,牛種改良,獣医教育,獣類伝染病予防制圧等畜産保護に関する諸件ならびに公衆衛生上の屠獣検査の監督,牛乳検査等を行わせた。同30年(1897)に至り,岡山県農業講習所の設立に際し,一時経費節減のため,これを区分して,1名は講習所に,1名は警察費中警察医の目へ移し,各所属から兼務させて,辛うじて既設の業務を継続した。しかし,畜産改良の計画が着々進められ,業務がますます繁多になると,兼務では到底処理できなくなり,加えて,講習所は農学校に改変され.また衛生は独立の計画がなされるに及んで,同32年(1899)から,さらに旧態に復して,専ら特産の改善に従事させることとなった。其の後35年(1902)4月に,農事巡廻教師に,39年(1906)10月に農業技師に名儀が変更された。しかし,時世の要求はますます技術員の増設を促し,41年(1908)度から,さらに農業技手1名を増加した。明治44年(1911)における獣医師の数は,開業獣医師159名,同仮開業(免許)26名,計185名であって,蹄鉄工は,119名(獣医兼業26名,専業93名)であった。これが大正年代の終りになると開 業獣医師324名および蹄鉄工260名(うち獣医兼業53,専業207)となっていた。