既刊の紹介岡山県畜産史

第1編 総論

第3章 昭和前期における畜産の推移

第6節 家畜および畜産物の消費流通

 昭和初期における地帯別の牛馬商数,乳肉関係営業者数は,表3−6−1のとおりであった。

1 家畜市場取引き

 明治43年(1910),家畜市場法(法律第1号)が公布され,従来からあった家畜市場も同法に準拠して開設されることになった。この法律による家畜市場認可第1号は,同年2月1日認可の高梁定期家畜市場で,ついで3月に岡山常設市場が認可されている。これに加えて,岡山県では犢駒糴売規則(県令第50号)を,昭和4年(1929)5月27日に公布し,子牛子馬のせり市場を畜産組合が開設するように指導した。このようにして,家畜市場における取引きは漸次軌道に乗って来た。
 昭和元年(1912)の県下の家畜市場数は,常設2,定期29および臨時23であって,年間の取引きは,牛については,入場59,000余頭,売買34,800頭,売買金額3,662,000円,馬のそれは,それぞれ286頭,194頭,12,000円であった。
 昭和7年(1932)における家畜市場数は,常設3,定期31および臨時139であった。取引状況を見れば,牛については,入場6万余頭,売買37,000余頭,売買金額2,419,000円,馬のそれは,それぞれ327頭,263頭,12,000円であった。家畜市場内における取引きは,その後次第に盛んとなり,昭和17年(1942)ごろ,全国的に見て,牛の頭数の約70%が市場で取引きされるようになっていた。

2 県外移出状況

 昭和初年における家畜の県外移出入の概況を見れば,昭和元年(1912)の牛の県外移出が3万頭,移入が19,000頭となっていて,移出の多いのは子牛の移出によるところが大きかった。おもな移出先は,当時馬から牛へ乗りかえる傾向の著しかった東日本であった。馬は,移出が2,800頭,移入が2,500頭とほぼ均衡を保っていた。他の家畜を一括して金額で示せば,移出が514,000円,移入が298,000円であって,当時既に家畜および畜産物については移出県であったことがわかる。
 昭和19年(1944)になると戦時統制経済下で,牛馬の県外移出が禁止されている。
 酪農関係について見れば,邑久郡は古くから京阪神地方へ搾乳牛を供給する基地の役割を持つ育成地であった。当時からの因縁により,現在でも大阪府下乳業者の中に占める邑久郡出身者の割合は,兵庫県淡路島出身者とともに大きいと言われている。
 肉牛は,昭和の初めごろは肥育した牛の3分の2を県外へ移出していた。この時代,神戸牛の名で消費地市場へ出回るものの中には,岡山県産牛が,他の中国四国および九州地方各県の肉牛とともに,その供給源となっていた。
 鶏卵については,昭和11年(1936),県において鶏卵検査規則を制定し,移出鶏卵の検査制度をとっていた。

3 第二次世界大戦中における家畜および畜産物の流通

 昭和12年(1937),日華事変が勃発し,挙国一致で戦時体制の進められる中にあって,家畜および畜産物も戦時統制経済下におかれるようになった。
 昭和13年(1938)4月1日,国家総動員法が公布され,経済統制に関する諸規則は,議会の審議を経ないで,行政府の手で公布されるようになった。同年7月9日には,物品販売価格取締規則が公布され,これによって鶏卵を初め,つぎつぎに畜産関係品目の価格統制範囲が拡大されるようになった。同年10月15日,飼料配給統制法(法律第39号)が施行され,翌14年(1939)8月25日には酪農業調整法(法律第27号)が施行され,大日本製酪業組合という統制団体が設立されている。ついで,同年10月16日,価格等統制令が施行され,同法第7条の規程により,牛および馬の最高販売価格が決定され,同16年(1941)6月15日から施行された。これにより,登録資格が直接最高販売価格に連動するので,登録事業は,この面から推進されるようになった。昭和15年(1940)10月には,牛乳および乳製品配給統制規則が公布されている。