既刊の紹介岡山県畜産史

第1編 総論

第4章 昭和戦後期における畜産の発達

第1節 畜産の概況

 終戦直後の農村経済は,食糧不足とインフレにより,一時変則的な好景気の波に乗ったが,ドッジ施策の実施により,昭和24年(1949)下半期を契機として,インフレは収縮し,また,主食を除く大部分の農産物の統制が撤廃されて,農畜産物の価格は低落した。一方,購入資材費は高騰して,いわゆるシェーレ現象の中で農村経済は行き詰まり,農業再生産にもこと欠く状況となった。
 昭和26年(1951)になると,戦後経済の復興期に入ったのであるが,この年公布された農林漁業資金融通法による農林漁業金融公庫資金制度を初めとして,その後つぎつぎに設けられた一連の制度金融を活用することにより,それまで補助金制度に依存度の高かった農家は,経営の自主性を強めることになり,農協金融と合わせて,制度金融は農業経営の中にきわめて重要な役割りを果すことになった。
 さて,戦後における岡山県の畜産のすう勢をみれば,戦中から戦後にかけての飼料不足と終戦直後の社会的混乱の中で,家畜数は激減し,昭和21年(1946)には99,264頭(家畜単位)という最低を記録した。その後の畜産の復興状況をみれば,家畜の激減により取引価格が暴騰したことで,投機的な面が強かったとはいえ,農家の畜産熱を高めることになり,飼料事情の好転と相まって,次のように昭和24年(1949)には,早くも戦前の水準に回復した。(表4−1−1参照)

 昭和27年(1952)度には有畜農家創設事業が開始された。また,岡山県が酪農振興計画を樹立して,本格的に酪農に取り組んだのもこの年であって,同29年(1954)の酪農振興法(法律第182号)の公布をまって,翌30年(1955)12月10日の美作集約酪農地域の指定を初めとして,岡山県の酪農はめざましい発展期に入った。また,この年代には,軍の需要のなくなった馬にわかる役肉用牛の増加を始め豚,めん羊,山羊および鶏の飼育も伸びて,畜産は全般的に発展した。
 このようにして,戦後の畜産は比較的順調に回復し,昭和31年(1956)になると,いわゆる神武景気を迎えたのであるが,余りにも早過ぎた経済規模の拡大は,わが国経済の底の浅さを露呈し,国際収支は赤字に転じ,再度不況に追い込まれる結果となった。
 昭和32年(1957)9月,農林省岡山統計調査事務所の実施した緊急センサス準備調査の結果によれば,従来の役畜から用畜へと,畜産のすう勢が変化し,乳牛は1万頭をこえた。一方,和牛は昭和29年(1954)度の117,000頭をピークに,その後,動力耕耘機の進出による漸減の傾向となっている。
 昭和33年(1958)に樹立された岡山県県勢振興計画は,昭和40年(1965)度を目標年度として,県民1人当たり所得を,国民1人当たりのそれ以上にすることを目標としたものであるが,とくに後進的な県の中北部の農業経済を改善することにより,全般的な水準の向上を図ろうとするものであった。畜産は,果樹園芸,工芸作物等とともに主産地形成による農業近代化の推進力として期待がかけられ,とくに,西部地域で養鶏,酪農を,西北部地域に和牛,乳牛を,北部地域に,乳牛,和牛,鶏,豚をそれぞれ中心とした主産地形成を企図するものであった。
 昭和36年(1961)度になると,畜産は酪農,肉畜,養鶏を中心に伸びている。中でも食生活の向上により,食肉,肉製品の需要が増加し,これを反映して肥育牛や肉豚の飼育が盛んになった。また,養鶏においては,採卵鶏だけでなく,ブロイラーの飼育が普及し,飼育規模も次第に大きくなる傾向となった。(本格的なブロイラー生産は,昭和41年(1966)以降となっている。)
 同年(1961)6月12日,農業基本法(法律第127号)が公布され,同日施行された。この法律は,農業生産の選択的拡大と生産性の向上を図り,自立農家を育成することを大きなねらいとしたものであって,畜産は園芸とともに選択的拡大部門の花形として大きな期待がかけられるようになった。とくに,酪農への期待が大きく,家畜導入や草地造成等により規模拡大がはかられて,いわゆる農業近代化の推進力となった。昭和37年(1962)から事業実施された第一次農業構造改善事業においても,牛乳,鶏卵,肉用牛などが基幹作目として相当大きく取りあげられるようになった。
 昭和40年(1965)ごろから,畜産主産地形成の促進,経営規模の拡大等のため,各種の畜産振興施策が実施された中で,各家畜とも飼養戸数が減少し,いわゆる多頭化の傾向が顕著となって来た。
 昭和43年(1968)になると,畜産をとりまく環境の変化があらわれて来た。すなわち,農村環境の都市化する一方で,引き続く畜産経営規模の拡大のため,この年初めて「畜産公害」が紙上で取りざたされるようになった。
 昭和45年(1970)になると,前年まで高値を保った豚,鶏卵が生産過剰となり,ブロイラー同様価格が暴落し,独り肉用牛だけが需要増で高値に推移した。このような状況の中で飼料価格が高騰し,畜産農家は大きな危機にさらされるようになった。また,畜産公害問題により,畜産農家は都市近郊から山村へ移転するものが増える傾向となったが,無秩序な移転は再び畜産公害を引き起こす心配もあるので,計画的に畜産団地を造成することが望まれるようになった。
 昭和47年(1972)の畜産の動向を見ると,食肉の需要増を反映して,肉用牛,豚は高値に推移している。中でも肉用牛の値上りが著しく,そのため肉用牛,乳牛とも繁殖牛が肉用として屠殺されるという行き過ぎの傾向が現われている。反面,ブロイラー,鶏卵は引き続き生産過剰のため低価格で推移し,一方において飼料高のため,生産費を割る有様で,廃業を余儀なくされる農家が続出した。このような状況から,畜産の規模拡大は僅かながら進んでいるものの,肉畜を除いては,肉用牛,乳牛,鶏とも飼育頭数が減少した。また,畜産公害に対する一般からの風当たりは,昭和45年(1970)12月に水質汚濁防止法が,ついで46年(1971)6月に悪臭防止法が制定されたのを機に,ますますきびしくなった。なお,食肉の輸入について,関係国からその自由化を迫られるということで,畜産はまさに内憂外患の苦境に立たされるようになった。
 昭和48年(1973),県に農政審議会が設けられ,6月から精力的に審議が行なわれ,10月12日の全体会議を経て答申書が作成された。その中で畜産の現状と問題点については,おおむね次のように述べられている。

1 畜産の現状と問題点(昭和48年)

 昭和48年10月12日,岡山県農政審議会答申書
 食生活の高度化の過程で動物性蛋白質の需要は着実に増加しているが,中高級魚類の減少傾向もあって,畜産物はますます重要な地位を占めてきている。
 本県の畜産は,この旺盛な畜産物需要を反映して,県の農業粗生産額に占める割合を35年の18%から,40年には23%,46年には34%と高めてきている。
 しかしながら,この発展過程の中で,次のような現状と問題点を指摘することができる。 

ア.飼育農家戸数の減少と規模拡大

 本県の農家戸数は,過去10年間に11%減っているが,中でも畜産農家の減少率は,とくに著しい。これを畜種別に見ると,乳用牛飼養農家で53%,以下,肉用牛で63%,豚で74%,鶏(採卵)で80%と,耕種農家に比べて非常に高い。(中略)
 他方,家畜(禽)の頭羽数は,飼養農家数の大幅な減少にもかかわらず,肉用牛を除いては年々増加し,過去10年の間に豚は200%,鶏は175%,乳用牛は159%,(肉用牛は57%)と激増しており,そのため飼養農家一戸当たりの規模は拡大しつつある。
 さらに,これらの畜産農家の経営形態を見ると,畜産部門に単一化傾向を強めている。もともと畜産の所得率は,耕種部門より概して低く,最も高い酪農経営でも43%で,水稲経営に比べて9%も低い状態である。
 したがって畜産経営で所得をあげるためには,当然多頭羽飼養に向うことになるが,家族労働力の制約もあって,経営を単一化することになるのも当然であろう。本県の農産物販売総農家戸数に占める単一化した畜産農家戸数の割合は,全国または中四国地域の平均よりも高く,単一化傾向の強いことがうかがわれる。(筆者注 表4−1−3参照)

 しかも,この傾向は鶏,豚など農家戸数の減少率の高いものほど高く,また,購入飼料への依存度の高いものほど顕著である。
 ただ,ここで注目すべきことは,全国的傾向とはいうものの,和牛の多頭飼養および単一化が遅々として進展しないことである。

イ.飼料の需給動向と生産基盤の整備

 わが国の畜産は,購入飼料への依存度がきわめて高いことを特色とするが,本県の畜産も例外ではない。しかも,この購入飼料の多くは輸入に依存しているのが実情である。最近の飼料需給動向から見て,今後濃厚飼料の調達が必ずしも従来のように順調な推移を期待できるかどうか疑問視されており,このことが関係者にとって大きな不安となっている。
 濃厚飼料の自給度向上については,関係機関はもちろん,農家サイドでも従来から検討されてきたところであるが,これまで廉価な輸入飼料が比較的安定して入手できたため,関係農家においても,これに積極的に取り組む姿勢が見られなかった。
 これに反し粗飼料の増産確保による自給度の向上については,かなり積極的な対応がなされてきたが,休耕地をはじめ既存農用地の利用も,必ずしも期待された成果をみていない。また,草地造成など,新規開発への対応も農外資本の土地買占めや地価の高騰などによる用地確保の困難性から今後の推進に暗影をなげかけているのが現状である。

ウ.畜産による環境汚染と排泄物処理

 家畜の飼養頭羽数が増加すれば排泄物の量も多くなるのは当然であるが,この処理がいわゆる水質汚濁,悪臭等の公害問題とも関連して畜産経営にとって重要な問題となって表面化してきた。従来は,飼養規模も小さく労働に余裕があったので,自己の農用地への還元が容易であったが,多頭化による排泄物の増大はもはや自己の農用地だけでの処理を不可能にしている。しかも畜産農家そのものが前記したように減少してきている現状から地域ぐるみで解決するということも容易ではなく,地域内一般住民はもちろん,農家の間でも時には感情問題もからんで社会問題化する場合も各地で見られる状況となった。

エ.多頭羽飼養と家畜衛生

 家畜(禽)の疾病は次第に複雑化しているが,特に伝染病の発生は経営の波たんを招く結果ともなるので,多頭羽飼養の進展にともなって畜産農家の防疫に対する関心が著しく高くなっている。
 たとえば,かつて発生した子牛の奇病(筆者注 昭和47年から発生している牛の早死流産)は今日では終息に近い状態であるが,今なおその原因は不明確であり,農家の不安感はまだ解消されていない。また,消費者や地域住民からも,畜産物の品質についての食品衛生上の問題,畜(鶏)舎から発生する蚊やハエの防除についての環境衛生上の問題などが提起され,これら諸問題が表面化している。
 また,ビタミン,抗生物質等の添加剤その他諸剤の使用に関連してこれらを混入した配合飼料で生産された畜産物の品質に対する不安がもたれるなど,各種各様な防疫,衛生面での関心が高まってきている。

オ.価格安定制度と畜産物の流通

 畜産物のうち鶏卵,肉用子牛,加工原料乳,豚肉等については,法令又は,制度等で一応の価格保証制度がとられているが,これらの現行制度や,基準価格について関係農家の間に不満の声が高い。これは飼養規模を拡大し畜産専業農家をめざす経営にとって価格のいかんが経営収支に大きく影響するようになったことおよび,単一経営で収支が明瞭となったこと等の理由から出たものであり現行価格保証制度の改善は畜産農家の切実な要求となって現れている。
 流通問題についても同様で,流通経費の節減が農家の収益増につながることになるので,これに対する関心が深まっている。
 農協のあり方についてみると,総合農協か専門農協かの論議がとくに畜産部門で強く現れているが,その理由の一つに,戸数的には少ないが取引量の多い畜産農家への配慮のとぼしいことに対する総合農協への不満がある。
 また,価格安定と流通の合理化の問題は消費者サイドにとっても大きな関心事である。畜産物価格の不安定性は消費者家計に大きな影響をおよぼし,流通マージンの多いことは,それだけ消費者価格を高くするものである。そのため,価格安定および流通合理化問題の解決が強く望まれている。
 昭和48年(1973)後半から49年(1974)にかけて,いわゆる石油危機の直撃を受け,畜産農家は重大な危機に直面した。その原因の第一は,輸入飼料価格が急騰したことがあげられる。つぎには,政府がインフレ対策の一つとして総需要抑制策を打ちだしたため,国内景気は「ナベ底景気」となり,牛肉を初めとして,高級食料品である畜産物の消費需要が激減して,畜産農家の出荷価格が暴落したことである。なお,これについては前述したように,昭和47年(1972)から48年(1973)前半にかけて,食糧危機ムードの中で,畜産物の増産を指向した矢先であったため,被る影響が,とくに大きかったことが指摘される。このような緊迫した情勢の中で,全国農業協同組合中央会(全中)主催による「畜産危機突破緊急全国農協代表者大会」が東京九段会館で開催されたのは,49年(1974)2月14日であった。
 昭和50年(1975)になると,飼料価格は幾分落ちつきをみせた。しかし,畜産農家にとって,前半の痛手は余りにも大きかったため,経営規模の小さい農家の脱落が相つぎ,飼育戸数は引き続き減少する中で,飼養頭数は横ばい気味で,一戸当たりの飼養頭数は増加し,専業化が進んでいる。
 家畜および畜産物の粗生産額と,これが農業粗生産額のなかに占める割合についてみれば,表4−1−4のとおりである。すなわち,昭和40年(1965)には,畜産計158億円(鶏87億円,乳牛36億円,肉牛21億円,豚14億円の順位)で,農業全体のなかに占める割合は22.7%であった。同45年(1970)になると,畜産計309億円(鶏152億円,乳牛83億円,肉牛43億円,豚30億円の順位)となり,実数において5年間で約2倍近い増加を示し,とくに乳牛の伸びが大きかった。農業全体のなかに占める畜産の割合も,31.3%とかなり大幅に伸びている。同50年(1975)になると,畜産計559億(円鶏231億円,乳牛170億円,肉牛82億円,豚74億円の順位)と依然高い伸びを示しているが,同年における作物や園芸等耕種部門の伸びもまた大きかったので,農業全体のなかに占める割合は,30.6%であって,昭和45年(1970)以降はおおむね30%ていどと,ほぼ横ばい状態で推移している。

2 畜産をめぐる情勢(昭和53年)

 昭和53年(1978)の畜産およびこれを取り巻く農業経済の動向について,全国農業協同組合中央会(全中)(昭和53年)の『畜産をめぐる情勢』は,おおむね次のように述べている。
 昭和48年(1973)の石油危機を契機として世界的な不況の中にまきこまれているわが国経済の中で,昭和53年(1978)9月の「農村物価指数」による農業生産資材(総合)は,前年同月比3.2%低下している。中でも配合飼料価格は,外国為替相場の円高推移,蛋白質原料の値下り,さらにはマイロ,大豆等の生産国アメリカの作況のよかったこと,などにより,昭和52年(1977)後半から数次にわたり値下げが続き,同53年(1978)には対前年同月比10−16%も値下りした。一方,低経済成長下,雇用状況の悪化により,昭和53年(1978)に入り,勤労者世帯の消費支出は,ほぼ横ばいに推移する中で,食糧費の支出はマイナス傾向で停滞している。このような状況を反映して,同年9月の「農村物価指数」による畜産物価格は,前年同月比1.5%減と低迷し,きびしい状況におかれている。
 同年における畜産物の国内動向を要約すれば次のとおりである。すなわち,飲用乳の消費の伸びを上回る生乳生産の伸び,乳製品価格の低迷,肉豚の出荷増と豚肉消費の停滞による調製保管の実施,養鶏における鶏卵・鶏肉の消費の頭打ちと,供給過剰による卵価の暴落およびブロイラー価格の低迷,牛肉輸入についての外圧など各般にわたり畜産をとりまく諸情勢は,まことにきびしいものとなっている。昭和53年(1978)に入って牛肉生産の伸びは,対前年同月比10−16%の大幅な伸びを示しているが,一方需要の方も10%を上回る伸びを示していて,需給はほぼ均衡を保っている。ところが,牛肉の輸入自由化を迫る外圧は,再びはげしさを増し,工業製品の集中豪雨的な輸出により生ずる黒字べらしのための政治品目として,オレンジ,果汁等とともに牛肉が取りあげられているという,容易ならぬ状況のもとにおかれている。
 ここで参考までに食用農産物の自給率の推移を示せば表4−1−5のとおりである。