既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第1章 酪農の発展

第2節 酪農奨励事業

 本県における本格的な畜産奨励施策は,明治30年(1897)ごろからみられる。すなわち,畜産共進会の開催,畜産組合の育成,県種畜場の設置,県立農学校獣医科の設置など積極的な施策が行われ,とくに,乳牛の改良のための諸施策が図られた。明治・大正年代の奨励施策は第1編総論にゆずることとして,岡山種畜場の変遷と乳牛の改良について述べることとする。

1.岡山県種畜場の変遷と乳牛の改良

 岡山県種畜場設立については,明治35年(1902)12月通常県会において満場一致で可決された。翌年設置の認可を農商務大臣に申請し,明治37年(1904)6月1日御津郡伊島町(現岡山市京山)に開場した。

(1)岡山県種畜場時代

  業務
 当場は,日露の風雲急を告げるころに創設されたもので,全国道府県立種畜場としては,第5番目に建設され,関東以西では唯一の種畜場であった。業務は,家畜の改良繁殖・育成配付がおもなものとなっていた。
 つぎに,酪農関係について摘記することにする。
 当場の主要業務は,家畜家禽に関する試験研究と牛の改良増殖業務であった。畜牛の改良業務のおもなものは,種雄牛の貸付事業であった。試験研究では,明治38年(1905)にバターの製造試験を実施し,明治40年(1907)にはバター400ポンドを製造している。明治42年(1909)には牧草栽培試験を実施し,大正2年(1913)まで5年間継続した。明治44年(1911)には全国でもまれな煉乳の製造試験を,大正9年(1920)には粉乳製造試験を実施している。種雄牛貸付事業は開場直後にオーストラリアからエアーシャー種のレアード・オブ・ラスリー号(1,400円)およびパーヘクション号(1,400円)の2頭を輸入して,開始している。頭数の多かったのは,改良和種で,大正10年(1921)までは毎年種雄牛10頭程度を購入し,民間に貸し付けて種付けに供していた。
 明治41年(1908)には英国からエアーシャー種種雄牛4頭を農商務省に依頼して購買した。またスイスからブラウンスイス種雄牛2頭を輸入した。
 明治44年(1911)には英国からエアーシャー種種雄牛1頭を輸入した。
 乳牛に関しては創立以来ホルスタイン種,エアーシャー種,ブラウンスイス種などを飼育し,繁殖に努めてきたが,県は大正12年(1923)以降ホルスタイン種をもって乳牛の基幹とすることを決めた。
 大正13年(1924)には,本県の乳牛の改良に大きな貢献をもたらした第27サーベス・ホームスビー・フォーブス号を,県費10,000円を投じて米国パブスト牧場から輸入した。
 種畜場創設以来大正末年までに購入した乳用種牛は53頭で,おもなものは表1−2−1のとおりであった。昭和2年(1927)イワノフ式家畜人工授精器具を購入して人工授精の試験を開始したが,それによる子牛が,邑久郡で初めて生産された(奥山吉備男メモ)。