既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第1章 酪農の発展

第2節 酪農奨励事業

1.岡山県種畜場の変遷と乳牛の改良

(2)岡山県岡山種畜場時代

 昭和12年(1937)県種畜場千屋分場は,岡山県千屋種畜場として独立し,鋭意和牛の改良を推進することになった。これにより本場は岡山県岡山種畜場と名称を変更し,乳用種を中心に業務が運用された。

 乳用種牛の改良のため次の種牛が導入された。
 昭和14年度の定例県議会において,岡山県岡山種畜場の移転が可決され,適当な場所を選定することになったが,決定が遅れ,その後毎年度の議会で種畜場移転の議が附帯決議されていた。しかし,第二次世界大戦がはげしくなり,実現を見ないまま終戦を迎えるに至った。終戦の混乱の最中,昭和20年(1945)11月3日「岡山県畜産経済指導農場建設案」が作成された。この案は英印軍の駐留により,その実現がおくれた。  

  岡山県経済農場の建設計画(抜粋)

  総説
 昭和二〇年(一九四五)八月一五日ノ大詔煥発以後ニ於ケル日本産業ハ,特ニ大転換ヲ余儀ナクセラレタノデアルガ,其ノ善キ意味ニ於テ農業部門ハ,日本産業ノ王座ヲ占ムベキモノデアル。農業ナクシテ立国ノ術ナキ新日本の建設ニ当リ,農業ノ占ムル位置ト其ノ合理化ノ有機的結合コソ,日本再建ノ礎石デアリ,日本経済ノ支柱トモナリ得ルノデアル。
農業ノ一部門ニ於ケル畜産ニ於テモ然リデアル。即チ,新日本ノ将来ハ,個々ノ農家ガ牛ヲ飼養スルコト,豚ヲ飼ウコト,鶏ヲ飼育スルコトニ依リ,農家ノ経済部面ニ犠牲ヲ生ゼシムルコトアルベカラズ,家畜家禽ノ飼養ニヨリ,農家経済全般ニ好影響ヲ及ボスコトヲ要スルノデアル。
 即チ,単ニ肥料部面ヨリ考察スルニ,終戦後千石農相以来,松村農相モ盛ニ硫安等化学肥料ノ大増産計画ヲ発表シ,年産二〇〇万屯ヲ目途トシテ居ルガゴトクデアル。然ルニ,戦前ニ於ケル我国化学肥料ノ生産高ハ,一二〇万屯ニシテ,食糧ノ画期的増産上,土地ノ改良及耕地ノ拡張ニ依リ,肥料ノ増大ハ見透シ得ルノデアルガ,何レニシテモ年産二〇〇万屯ノ肥料ノ生産ヲ見タル暁ニ於テハ,有機質的厩肥ノ価値ハ論外トシテ,肥料其ノ物トシテ厩肥ノ価値ノ滅殺サルルコトハ当然デアル。
 従ツテ,各農家ガ所有耕地ニ対スル需要肥料ノ大部分ハ之ヲ金肥ニ頼ル趨勢トナルハ当然デアル。即チ肥料(茲デハ全肥料分ヲ意味ス)ノ確保ノ為トシテノ家畜ノ価値ハ,飼料事情ノ好転セザル限リ,経済的ニ再考ヲ要スルコトニナル訳デアル。又労力部門ニ於テモ然リデアル。即チ今後過剰トナルベキ農村労力ニ対シ,単ナル労力補給ノ意味デノ役畜ノ価値ノ滅殺サルルコトモ当然予想セラルルノデアル。
 然ルニ,新日本ノ生活様式ナリ,或ハ食糧問題ヨリシテ,畜産物ノ需要ハ急増スベキモノト考ヘラレル。即チ,乳,肉,卵,毛,皮革等々ハ,何レモ其ノ需要ノ全部ヲ国内自給ニ待タナネバナラズ,戦後畜産ノ使命ハ愈々増大ノ一途デアツテ,畜産物生産過程ニ於ケル経済部面ト,前論トノ矛盾ヲ来スガ故ニ,戦後農村経済不況ニ対スル畜産ノ指導部面ニ於テモ,慎重ナル計画ト懇切ナル指導ヲ要スルモノト考ヘラレル。
 次ニ全国各府県ニハ、其ノ大小,良否ハ別トシテ,種畜場ヲ有スルノデアルガ,二,三ノ例外ハ別トシテ,其ノ殆ンド大部分ノ種畜場ハ,其ノ経営態度或ハ指導方針ニ於テ右ノ主旨ニ遠キコト甚シク,新日本ノ畜産指導機関トシテハ,其ノ根本ニ於テ抜本塞源的改革ノ必要性ヲ痛感スルモノデアル。
 茲ニ農家経済ニ立脚セル畜産指導ト種畜場自体ノ経営態度トニヨリ,今後ハ如何ニシテモ,種畜場ヲ前述両部面ヨリ,経済農場的経営タラシムル必要アリト認ムルモノデアル。経済農場建設ノ意見ハ,斯クシテ生ズルモノナルコトヲ信ズモノデアル。
 構想
 岡山種畜場ハ乳牛,豚,兎,鶏,山羊ヲ繋養シ,之等種畜ノ配布,種付,種卵ノ払下,孵化ヲ行ツテイルガ,総面積僅カ一町六反三畝野一三歩ニシテ,土地極メテ狭小デアル。幸ヒ岡山市ニ在ルヲ以テ交通至便ニシテ,今次戦争前ノ如ク飼料問題ノ起ラザリシ過去ノ時代ニ於テハ,左程ノ不便ヲ感ジザリシガ,畜産経営指導ト言フ部面ヨリ之ヲ観ルトキ,飼料作物ノ栽培ハ勿論,雑草ニ到ル迄,購入セザルヲ得ザル状態ニシテ,運動場スラ十分ナク,マシテ経営指導ハ全ク不可能ナル状態ニシテ,一種ノ本邦特有ノ牛乳屋,若クハ養鶏家的存在ト言フモ過言デハナイ有様デアル。
 依テ県会ニ於テモ岡山種畜場ノ移転ガ問題ニナリ,昭和一四年度通常県会ニ於テモ,之ガ適当ナル候補地ヲ選定移転スベク決議サレテ居ルガ,日華事変,大東亜戦争ト県経費モ支出部面ガ多ク,今ニ実現セザル状況デアル。
 千屋種畜場ハ,本県特産ノ千屋牛ノ宣伝ノタメ阿哲郡千屋村ニ建設サレタノデアツテ,当時一般畜産人ノ考ヘ方トシテ種畜場ノ位置ハ,牛ノ生産ニ適スル場所ニ建設セラレタ。千屋種畜場モ御多聞ニ洩レズ其ノ一例デアルガ,現在ノ種畜場ノ位置ノ条件トシテハ,勿論前述ノ如キ条件ヲ具備スルコトモ必要デアルガ,交通ノ便利ナコトハ絶対条件ノ一トセザルヲ得ナイ。即チ,県ト場或ハ一般当業者ノ見学並ニ場施設ノ利用ノ為ニハ,是非交通関係ヲ考慮スルヲ要スルノデアル。尚又,飼料ノ購入,生産物ノ搬出ノ為,交通不便ハ如何ニ多クノ失費ヲ要スルカ計リ知レヌノデアル。其ノ点ヨリモ千屋種畜場ハ,種畜場トシテ適当デナイコトハ明カデアル。
 以上ノ観点ヨリ県ハ昭和一九年度ニ於テ,上道郡角山村県立農民道場徳塾ニ岡山種畜場移転ノ計画ヲ立テタノデアルガ,実現ニ至ラズ終戦トナツタノデアル。
 而シテ終戦ニ伴ヒ,軍用地払下ノ問題ガ起リ,御津郡牧石村三軒屋陸軍兵器補給廠が種畜場トシテ総テノ立地条件ニ適合スルモノト判断サレルノデ,此ノ際此ノ地ニ両種畜場ヲ合併シタル模範的岡山県経済農場(仮称)ヲ建設セントスルモノデアル。
 三軒屋ノ位置条件
 三軒屋ハ,岡山ノ北方御津郡牧石村ノ南端旭川ノ右岸地区ニ位置シテ,山陽線岡山駅ヨリ一里八丁,津山線法界院駅ヨリ数丁ノ所ニ在リ,構内道路ハ発達シ,交通極メテ便利ナリ,総面積25町歩(現在耕地二町歩,平地九町歩,山林一四町歩ウチ開墾可能七町歩)ニシテ,地形全体ハ南斜面ナリ。
 然シテ,各家畜家禽舎其ノ外附帯建物トシテ適当ナ建物アリ。家畜ノ運動場設備モ容易ニ作リ得ラレ,相当ノ耕地モ確保可能ニシテ,放牧適地アリ。水質良好ニシテ豊富ニ得易ク,南斜面ナレバ採光通風住良ニシテ,冬温夏涼,一般民家ト隔絶シ,為ニ人畜ニ対スル伝染病侵入ノ虞ナク,経済農業トシテハ三軒屋コソ最モ適当ナルコトヲ信ズルモノデアル。
 尚交通ノ便ハ,一般参観者,各種畜産指導講習会,研究会ニ当リ来場者ニ至便ニシテ,利用価値高ク,本県畜産発達ノ為県民ニ裨スルコト多大ナルモノアルヲ信ズ。(以下省略)

 終戦を迎えて,新生日本を育てるのは農業を基幹とした産業の復興であり,農業の中核をなすのは畜産であるという観点から,当時ふん畜的存在であった家畜を畜産経営の主役に引き立て「岡山県畜産経済指導農場」建設を計画した先人たちの先見の明に深く敬意を表するものである。
 さて,御津郡牧石村(現岡山市宿)へ種畜場移転がいよいよ実現するに当たり,財源として牛馬税が充当されたことについては既述したとおりである。

  1 位置・地積・繋養家畜等

 位置は岡山市大字宿(旧御津郡牧石村宿)で,津山線法界院駅から東北約15町にある旧陸軍射的場の跡地で,半田山と三野公園の間を北に入ったところである(現自衛隊弾薬庫)。
 地積は表1−2−2の通り。
 繋養家畜・家禽は,乳牛23頭(牡4頭),和牛1頭,馬2頭,豚28頭,山羊1頭,鶏830羽およびあひる15羽で,職員31名であった。

  2 業務

 経済農場として誕生したこの農場は,独立採算により県費の節減を図った。しかし農場は開設後日が浅く,生産性に乏しく,その経営は非常に困難であった。酪農関係のおもな業務は次のようであった。
  @ 畜産指導者並びに有畜農場経営者とくに酪農に中心をおきその中心人物の養成をした。
 A わが国農業の将来性に鑑み,水田酪農の経営,果樹園と畜産,養蚕と畜産の結びつき等について,実地研究を実施した。
  B 将来の山地と酪農経営との結びつきを研究するため,飼料木の栽培利用の研究をした。
  C 食生活に関係ある畜産加工・貯蔵等の研究をして,農家の生活に直結した農場とした。

(1)牛の人工授精
 当場の牛の人工授精の研究は古く,昭和6年(1931)にイワノフ式授精器具を購入して研究を始めている。しかし,本格的に実用化されたのは,昭和19年(1944)である。昭和28年(1953)から,当場は乳牛および和牛の精液についてセンター業務を開始した。県北部(奥津・日本原・豊国・倭文・落合・勝山の各家畜保健衛生所)を津山畜産農場が,南部(福渡・和気・長浜・児島・総社・鴨方・中川の各家畜保健衛生所)は岡山種畜場がそれぞれ担当した。
(2)畜産加工
 畜産加工施設は,当時としては他の種畜場では見られないほど充実していた。バター,乳酸飲料,市乳のほか,ハム,ベーコン,ソーセージ,ピータン等を製造していた。
(3)飼料作物
 燕麦,ザートウィッケン−甘藷−囁ロ(なたね),玉蜀黍−燕麦,ザートウィッケンの輪作方式による青刈利用が主体であった。
(4)技術指導
 このほか外部に対する指導を重点的に実施するとともに,畜産練習生に1カ年間技術指導した。また短期講習会も開催した。また,おもな試験調査は,抗生物質による雛,豚の発育調査,牛精液のヒアルロニダーゼに関する試験,その他であった。

  3 行事

 昭和27年(1952)10月12日,岡山種畜場50周年記念式典を挙行した。同時に第2回乳牛共進会を10月10日から12日の間,当場で開催した。この日,畜産研修館の落成式が挙行された。
 昭和30年(1955),自衛隊からここを弾薬庫として買収したい旨の申入れがあった。ここには,谷間のあちこちの山麓に厚さ2米近いコンクリートの壁に,内面リノリュームを張った立派な防空壕があった。県は1億9,000万円で自衛隊に移管することとした。収入金は,畜産施設の改善のために支出するという議会の付帯決議もあり,これを基金として岡山県畜産関係試験場が,昭和31年(1956)4月設立された。