既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第1章 酪農の発展

第2節 酪農奨励事業

1.岡山県種畜場の変遷と乳牛の改良

(3)岡山県酪農試験場

  1 設立の経緯

 昭和20年代後半になると,無畜農家を解消し,さらに有畜農家の域を脱却して,産業として畜産を基幹作目とするよう,その位置づけを変えていった。特に養鶏と酪農においてそれが顕著であった。酪農は,単に乳牛飼養の時代から副業的酪農をとおり越し,主畜酪農経営に進みつつあった。このために技術開発が要請され,試験研究を必要とした。ところが,従来の種畜場は,優良種畜の払下げを主要業務として,試験研究は第二義的であったので,これに対応する十分な力はなく,名実ともに内容の充実した畜産関係試験場が望まれていた。
 昭和31年(1956)4月,岡山県岡山種畜場は,津山市大田の岡山県津山畜産農場に,乳牛その他の酪農関係の施設を移して,岡山県酪農試験場として新発足した。都道府県で畜産関係試験場を設けたのは,本県がはじめてであった。

  2 業務の概要

    所在地および交通
 津山市大田904番地。姫新線津山駅から北方4キロの高台にあり,高いタワーサイロを持った赤屋根のキング式牛舎は,草地を背景にして異国の情緒をかもしだし,道の両側に続くポプラ並木の風景は牧歌的雰囲気につつまれて,津山市の観光名所ともなった。
    沿革
 津山畜産農場の沿革については,第1編第4章に述べたとおりである。津山市にあった県立青年興農塾跡に昭和22年(1947)4月津山畜産指導農場が設置され,この農場は,各種の家畜を繋養し,施設を整備しながら地方における畜産指導の中核として活躍を続けて来たが,次第に乳牛を主とするものに移行した。このころ四囲の農業情勢は,農地改革の上に立つ農業近代化に漸く緒につき,各種の行政施策と相まって,その技術の飛躍的な発展が期待されていた。特に畜産部門については新しい畜産技術の確立が強く要望されていた。このような情勢の中で,前述のように県は昭和31年(1956)4月,岡山県酪農試験場をここに設置した。
    業務
 業務は試験研究,改良増殖,教育指導および飼料作物生産の4つに区分されている。

 @ 試験研究 試験研究については,乳牛・豚・自給飼料および経営についての課題を,行政,普及,衛生等の各部門と連絡調整を行いつつ実施し,研究成果については毎年畜産学会等に発表のほか,年2回岡山県酪農研究会を開催して試験成果を速報している。重要課題については,岡山県畜産技術滲透連絡会議(県畜産課内)を通じて農家に普及を図っている。また岡山県酪農試験場報告を関係機関,団体に配布し,新しい技術の滲透に努めている。
 昭和51年度までに実施した課題は全部で288課題で,内訳は改良繁殖18,飼養管理73,栄養12,飼料作物174,経営11である。
 大きな課題で国の助成をうけ,国又は他県と協同で実施したおもな業績は次の通りである。
  酪農部門
  (飼養)
 乳牛の飼養標準設定に関する研究(昭和32〜37年)
 乳牛の飼料給与基準設定のための飼養試験(昭和38〜41年)
 乳牛における生草の利用に関する試験(昭和34〜39年)
  (育成)
 乳用牝子牛の育成に関する試験(昭和35〜44年)
 野外集団哺育方式による乳用子牛の経済的育成試験(昭和43〜51年)
  (改良繁殖)
 県下の乳用種雄牛の凍結能調査(昭和37〜40年)
 凍結精液に関する研究(昭和39〜43年)
 乳牛の人工妊娠に関する研究(昭和49〜51年)
    飼料作物,牧草部門
 サイレージに関する研究(昭和39〜52年)
 岡山県下における飼料作物の耕種基準設定に関する研究(昭和31〜36年)
 飼料作物の高位生産に関する試験(昭和35〜44年)
 飼料作物系統適応性検査試験(昭和47〜52年)
 飼料作物栽培基準策定に関する事業(昭和33〜52年)
    経営部門
 暖地水田二毛作における酪農技術の体系化(昭和44〜49年)
    乳牛の肉利用部門
 乳牛の肉利用に関する研究(昭和42〜継続)
    環境保全部門
 飼料中の有害物質調査
 畜舎汚水の土壌,植物濾床による浄化の実用化に関する研究

 A 改良増殖 昭和31年(1956)に当場が設立されてからホルスタイン種,ジャージー種の精液を,勝山,高梁,笠岡,倉敷,岡山,和気,美作の各家畜保健衛生所に定期配布した。このため全国に先がけて精液処理のための3つの恒温室を備えた近代的な精液処理施設を備えた。その後昭和32年(1957)4月,御津郡一宮町(現岡山市一宮)に岡山県家畜人工授精所が設置され,翌年1月から県中南部の精液センターとして活動を始めたので,ここでは県北部,大原,美作,日本原,加茂,弓削,福渡,奥津,倭文,落合,勝山,分場,美甘(岡山)の各家畜保健衛生所を担当することとなった。
 その後,昭和42年(1967)に和牛は岡山県和牛試験場,乳牛は酪農試験場がそれぞれの人工授精メインセンターとなり,家畜保健衛生所をサブセンターとする人工授精組織網を形成した。
 昭和32年(1957)11月18日,米国アイオワ州ギスル・ブラザー牧場よりホルスタイン種雄牛パプスト・ウオーカー・コバーク号(1952生)を878万円,カリフォルニア,サンシャイン牧場よりジャージー種ブローニーズ・ツインクリング・スターOSF号を43万0,200円で輸入した。
 昭和39〜43年(1964−68)の間,凍結精液の現地実証試験,夏季受胎能率向上試験,細型ストローの受胎試験が実施され,昭和46年(1971)に配布精液はすべてマイナス摂氏196度の凍結精液に転換した。その後,昭和47年(1972)に社団法人家畜改良事業団岡山種雄牛センターが久米郡久米町に昭和49年(1974)10月15日に建設されたので,種雄牛9頭をこれに移譲し,6頭を廃用した。その後はこのセンターが県酪連を通じ,各家畜保健衛生所が指定するサブセンターに精液を定期配布することとなった。
 昭和44年(1969)9月26日,カナダオークリッジ牧場からホルスタイン種雄牛オークリッジス・コンテスター号を輸入した。購買には,県畜産課長橋本精が当り,ホルスタイン種雌牛2頭も同時に導入した。
 なお,昭和38年(1963)から43年(1968)には種雄牛性能調査事業を実施し,昭和51年(1976)から全国23カ所の畜産関係試験場と協同で国が実施する「優良乳用種雄牛選抜事業」に参加している。
 ここで乳牛の改良効果について見れば次のようである。県酪連が実施した高等登録牛の審査成績,能力検定成績を昭和32年(1957)(一部35年の成績)と昭和47年(1972)と対比すると,表1−2−4の通りである。なお,審査基準は体高138.0センチメートル(100),体長172.5メートル(125),胸深75.9センチメートル(55),尻長57.9センチメートル(42)腰角幅57.9センチメートル(42),胸囲202.8センチメートル(147),管囲18.6センチメートル(13.5)であるが,この基準に比べると,@体高は充分にある。A体長,尻長,胸囲が一般に足りない。(伸び,体積のないものが多い)。B得点は飛躍的によくなったが,一般外貌,乳器の改良が足りないという結果となった。