>既刊の紹介>岡山県畜産史 |
昭和32年(1957)から全国的に生乳生産が急増し,又一般経済の不況と重なったため,第一次酪農危機を招来した。昭和34年(1959)4月,政府は酪農不況対策として酪農振興法の一部改正を行い,酪農経営改善計画の制度を設けた。従来の集約酪農地域振興政策のあり方をきめ細かくし,より小地域の酪農集団の形成を図り,経営改善を指導して,その質的改善をねらったものであった。
本県では,昭和34年度に35市町村,35年度に36市町村,36年度に1市の合計72市町村が酪農経営改善計画を樹立した。昭和34,35両年度に計画を樹立した71市町村は,昭和37年度において,昭和40年度まで計画を延長した。
1 酪農経営改善の概要
(1)酪農経営改善計画を作成することができる市町村の基準
その地区内における乳牛の飼養頭数−100頭以上。
飼養密度(酪農家数を農家戸数で除して得た数)−3パーセント以上。
農用地の利用に関する条件−飼料自給度を維持するのに要する十分な粗飼料供給基盤があること。
生乳の販売に関する条件−県酪連による共販が確実に行われ,生乳の共同集乳組織を有すること。
(2)改善計画を樹立した市町村
表1−2−12のとおりである。
2 計画樹立の経緯
酪農振興は,昭和40年度まで集約酪農地域振興計画並びに酪農経営改善計画に基き実施されたが,昭和40年度に酪農振興法の一部改正により酪農近代化計画に変更されたので,酪農近代化計画と集約酪農地域振興計画との両者によって振興が図られるようになった。