既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第1章 酪農の発展

第2節 酪農奨励事業

4.ジャージー種による酪農

(2)ジャージー種の導入

  1 国の導入

 ジャージー種がわが国へ最初に輸入されたのは,明治10年(1877)で,大蔵省はアメリカから原価100ドルで購入した雄牛を,明治16年(1883)に岡山県に貸付した。その後,大蔵省勧農局香取種畜場(のちの下総御料牧場)が明治18年(1875)に輸入した。以後ジャージー種の飼養が続けられている。また,民間では,明治38年(1905)神津邦太郎がアメリカ,カナダから優良種牛40余頭を購入した。彼こそわが国における本品種改良の先駆者と言っても過言ではない。神津牧場のジャージー種は,宮城県,京都府,愛知県,埼玉県,新潟県,千葉県等に拡がっていった。本格的にわが国に輸入されたのは昭和28年(1953)から始められた集約酪農地域設定事業によるものであって,アメリカ,ニュージーランド,オーストラリアからの導入である。
 ジャージー種導入の経緯をみると,農林省畜産局が乳牛の輸入を提案したのは昭和26年(1951)のことで,その当時の状況は,昭和25年(1950)牛乳の配給統制が廃止され,一般家庭の牛乳,乳製品などの消費が急増するとともに,学校給食に大量の脱脂粉乳が輸入されていて,国内の牛乳生産を急速に増やす必要があった。当時,畜産局は昭和26年(1951)畜産振興計画をたてて,10年後に乳牛100万頭,その生産乳量1,000万石(187万5,000トン)にする計画をした。この実現には国内に現に飼養されている乳牛(ホルスタイン種および同種系が絶対多数を占めていた)の増殖のみでは達成することができないという見地から,その不足分を外国から輸入することとした。輸入牛の品種の選定は,わが国の酪農振興と,草資源を活用して,いわゆる草地酪農の振興を図るということで,次の理由からジャージー種が適当であるとした。@飼料の利用性が高く,放牧に適している,A気候風土に対し適応性が強い,B小格で温順であり扱い易い。C購買地が地理的に近くにあり,割合安価に輸入でき,防疫上の問題も少ない。
 このようにしてジャージー種は,昭和28年(1953)から計画的に輸入されることになった。当初,3カ年はパイロットプランとして,国が直接購買し,国有貸付牛として,4,891頭をアメリカ,ニュージーランド,オーストラリアから輸入した。農林省(国有)の事業が打切りとなったあとも導入希望が強かったので,昭和31年(1956)からは世界銀行の借款によって,農地開発機械公団がこれを輸入し,国の指定地区に売却した。公団扱いのジャージー種は昭和35年(1960)まで8,373頭になった。
 わが国の乳牛界は,ホルスタイン種が圧倒的に多く,その生産乳に全面的に依存してきた状況であったから,つねにこれと比較された。ことにジャージー種輸入の可否については,雑誌等でしばしば論詰された。濃脂肪はわが国の市乳需要に不適当であるとか,あるいは一部に比較的に低能力牛が輸入されたこと,また,多くが開拓地に導入されたことのため,技術の幼稚さから収益が上がらなかったこと等に対して批判が加えられた。

  2 岡山県の導入

 県は岡山県酪農振興計画の一環として「蒜山地区酪農振興計画」をたて,草資源の豊富な蒜山地区を,ジャージー地区に指定されるよう国に申請した。農林省は,昭和29年度新規指定地区として,津山,蒜山地区を認可指定した。はじめアメリカ,ニュージーランド,オーストラリアから国の輸入したジャージー種が国有貸付牛として導入された。第1陣は,同年10月27日,津山市に63頭(アメリカ産)が横浜動物検疫所を経て到着し,1日遅れて92頭(ニュージーランド産)が神戸検疫所を経て蒜山に到着した。続いて12月28日から30日にかけて82頭が導入された。また昭和30年(1955)1月から3月にかけて34頭が輸入された。また昭和30年(1955)1月から3月にかけて34頭が輸入された。このようにして同年度には271頭が導入されたのである。国有貸付牛は昭和32年度まで引き続き導入され,合計588頭(追加5頭を含む)となった。昭和33年度から世界銀行融資をうけて,農地開発機械公団が輸入するジャージー種を691頭導入した。昭和34年(1959)3月16日美甘,新庄,東粟倉,西粟倉,大原の各地区が新たにジャージー地区に加えられた。これらの地区へは昭和34年度からジャージー種が導入された。これらの導入牛は国有貸付牛の産子と,世銀融資による輸入牛又はその産子であった。
 その後,農家の意欲が高まり,農家の自己資金により昭和39年(1964)にニュージーランドから98頭を輸入した。のこ購買には岡山県立酪農大学校長蔵知毅が選定に当り,竹原宏,岩井敏之,渡辺一正が輸送に当った。2週間の検疫の後,11月1農家に渡され,現地では岡山県北部酪農業協同組合が中心となり,11月4日岡山県立酪農大学校で導入祭が盛大に挙行された。昭和43年(1968)4月アメリカから10頭を輸入した。購買に花尾省治,永井仁が当り,柴田公夫,定金正皓,坂本米男,野上行男が輸送した。ホルスタイン種97頭も同時に輸入した。また昭和45年(1970)にも,ニュージーランドから64頭(種雄牛1頭を含む)を輸入した。この輸入のためには,浅羽昌次と木村信弥知が購買に当り,守屋典彦,内藤照章,橋谷高徳が輸送に当り,8月13日に導入した。昭和49年(1974)ホルスタイン種9頭とともに。ジャージー種2頭をアメリカから輸入した。購買には三宅律太,近藤文夫が当り,同年12月25日蒜山に導入した。これらの輸入牛はいずれも泌乳能力が高く,好成績をあげたので,蒜山地区ジャージー種改良の基礎牛となった。さらに 昭和53年(1978)に38頭をニュージーランドから輸入した。