既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第1章 酪農の発展

第4節 乳業の発達

1.煉乳製造事業の生成

 明治10年(1877)8月第1回内国歓業博覧会が東京で開催され,御野郡中山下,上垣源夫が乾酪(チーズ)を出品した。製法はエドーウイン・ダンが指導した。明治大正年代の本県の乳牛(洋牛)の歴史をみると,短角種をはじめ,種々の種類が飼育されていたが,その大半は育成が中心で,明治40年(1965)ごろはその数1万頭をかぞえ,全国でも著名な乳牛飼養県となっていた。しかし,育成が中心で利益が少く,また改良が進まないで,次第に他県に追い越されたために乳牛頭数は減少した。有志ならびに県はこのことを憂い,大正元年(1922)に奥山吉備男を県畜産会の嘱託として,岩手県の小岩井農場,北海道にある農商務省月寒種畜牧場に講習生として派遣した。大正2年(1923)に岡山県畜産会は煉乳事業創設準備会を組織し「煉乳事業創設ニ関スル意見書」を発表し,「煉乳製造所創設準備会約款」を設けた。

   煉乳事業創設ニ關スル意見書 (筆者注 句読点,傍点をつけたほかは原文のまま)

 本懸の畜牛ハ,普ク全懸下ニ亘リ適處ニ適當ノ種類飼育蕃殖セラレ,之ガ保護奨勵亦各用途ニ對シ均衡ヲ失ハザルハ,既往施設ノ跡ニ徴シテ明ラカナリ。然ルニ近時役肉用牛ノ順調ナル發達ヲ見ルニ反シ,乳用牛ノ較モスレハ頓挫ヲ来シ,時ニ非常ノ悲境ニ沈淪スルコトアル所以ノモノハ,前者ノ生産物タル牛肉ハ販路圓滑ニシテ,且ツ屡々企畫セラル,外品輸入ノ常ニ失敗ニ終ルニ反シ,後者ノ生産物タル牛乳ハ,僅カニ生乳ノ有利ニ運用セラル,外,一大需用タルベキ煉乳事業ノ振興セザルガ為ノ販路閉塞セルニ基因セズンバアラズ。本會夙ニ茲着目シ,該業興起ニ關シ,去ル明治四五年以来講習生ヲ農商務省月寒種畜牧場ニ派シ,技術ヲ修得セシメ,之ガ設立ヲ促ガシタルモ,由来斯業ニハ特種ノ技能ヲ要スルト,輸入品トノ對抗上良方案ヲ得ザルトニヨリテ,未ダ其緒ニ就カザルハ極メテ遺憾トスル所ナリ。
 今春本會煉乳事業興起ノ急務タルヲ決議シ,尋テ東京ニ催開セル全國畜産大會ニ該業振興ニ對シ國庫補助ヲ興フル事ヲ其筋ヘ建議ノ件ヲ提出スルヤ,當時輸入品防止ノ聲,高キニ拘ハラズ外品の壓迫酷シク,最近数年間漸次生産額ヲ増加セル内地各方面ノ煉乳事業ハ頓ニ窮地ニ陥リ,痛切ニ救済ヲ叫ブノ機會ニ逢着セルヲ以テ,本會ハ其ノ原因ヲ區々タル製造所ガ各地ニ孤立シ,連絡統一ヲ缺ギ,大組織ノ下ニ多年ノ熟練ヲ積ミテ經營セル外國品ニ對抗スルニ堪ヘザルニ因ルモノトナシ,本業ハ須ラク全國ヲ打ツテ一團トナシ,東京ニ本社ヲ置キ,各府懸乳牛ノ産地ニ支社ヲ置クノ制トナシ,其ノ製品ヲ同一ナラシメ,商標ノ如キモ本邦ノ人口ニ膾灸スル桃太郎印ノ如キモノヲ用ヒテ,輸入品ヲ驅逐シ,内地ノ需用ヲ充タスト同時ニ,進ンデ支那,邏羅,印度方面ニ輸出スルノ方策ヲ以テシタリ。是單ニ一片ノ理想ノミニアラズシテ,聊カ信憑スル所アリシニ因ル。即チ昨春来東京ニ於テ此種ノ計畫アリ,愈々成立ノ上ハ本懸ニモ工場設立ノ望アリシガ為ナリ。然ルニ大會ニ於テハ第一,國營ノ煉乳所ヲ設ケ,海外ヨリ相當ノ技師ヲ聘シ,一面煉乳教育ノ機關トシ,一面煉乳ノ製造販賣ノ機關トスルト同時ニ,煉乳検定ヲ為シ,民間製造ノ煉乳ヲ保證スルコト,第二,或程度以上ノ生産額アル煉乳業者ニ對シテハ,定率ノ補助 ヲ興フルコト(會社個人ヲ問ハズ),第三,現時ノ製造販賣業者救済ニ對スル應急政策ヲ執ルコトノ三案ヲ具シ政府ニ建議スルコトヲ決議セリ。抑々畜牛改良ノ結果肉ト乳トヲ充實シ得ルノ暁ニ達スルモ,内地ニ於ニ容易ニ原料ヲ供給シ得ラル,牛乳ニシテ,其ノ製品ハ依然海外ノ輸入ニ俟タザル可カラザル情態ニアルハ,畜産業發展ノ上ヨリスルモ,國家經濟ノ上ヨリスルモ,1日モ放任スベキニアラズ。政府ニ於テモ毎年二百餘萬圓(朝鮮満州ノモノヲ合スレバ五百萬圓ニ上ル)ノ巨額ニ達スル輸入超過ニ對シテハ,漫然看過セザルベク,必ズヤ何等カノ方法ニヨリテ,之ガ解決ヲ謀ルノ日ノ遠カラザルベキヲ信ズベキ理由アリ。加之ナラズ,今回ノ戦乱ニ方リ,外品輸入ノ困難トナリ,國産奨勵,内地品使用ノ聲,囂シク,煉乳事業ハ再轉シテ有利ノ地位ニ向ハントスル絶好ノ時期ニ際シ,他府懸ニ於テハ既ニ着手セル者アルニモ拘ハラズ,生牛地トシテ殊ニ乳用牛ニ於テ聲價ヲ博シ來リシ本懸ニシテ,此ノ事業ニ對ニ未ダ一指ダモ染ムル能ハザルハ,實ニ一大缺陥 ト言ハザル可アラズ。他日政府保護ノ途,開カレ,各府懸ノ事業其緒ニ就キ,乳牛ノ秩序的蕃殖行ハル,ニ至ラバ,本懸ハ保護ノ均霑ヲ受クル能ハザルノミナラズ,乳牛ノ販路ハ益々閉塞シ,自滅ノ不運ニ陥ルハ眞ニ見易キノ理ナリ。茲ニ於テカ本會ハ,懸ニ於テモ産牛政策上當然起スベキノ事業ハ,速ニ之ヲ興スノ策ヲ講シ,各用途ノ畜牛ヲ通シテ健全ナル發達ヲ遂ゲシメ,以テ従来施設ノ徹底ヲ期スルヲ急務ナリト思料シ,左ノ申請ヲナスニ至レリ。
 1.本會ハ輸入煉乳ト對抗スルニ足ルベキ技能ヲ有スル經營者ヲ誘致シ,共同事業トシテ一會社ヲ組織セシメ,優良品ノ製出ニ努メ,以テ本懸ノ産牛界ニ貢献スルト同時ニ,他日大合同ノ素地ヲ作リ,輸入防止,海外發展ノ途ヲ開クコト。
 1.懸ハ起業費ニ對シ相當ノ補助ヲナスト同時ニ,國庫補助ヲ要請シ,以テ斯業ノ獨立經營ヲナシ得ルノ気運ニ至ル迄ノ間,毎年一定ノ補助ヲナスコト。
 1.本會ハ起業者ヲ出現セシメ,事業着手ニ至ル迄ノ指導ヲナスコト。
 斯クシテ各方面ニ交渉スル所アリシモ,以上ノ三要素具備スルニアラザレバ其ノ端緒ヲ開ク能ハザルヲ以テ,有志ノ協議會ヲ開キ左ノ成案ヲ得,更ニ運動ヲ開始セリ。
 1.本會ハ,本會指導ノ下ニ煉乳事業創立準備会ヲ組織(事業經營費ヲ五萬圓トシテ之ヲ株式組織トナストキハ一株五拾圓一千株トナル其ノ證據金一株貳圓五拾銭計貳千五百圓)シ,證據金ノ代リニ是ト同額ノ醵金ヲナスコト。
 1.懸ハ煉乳事業調査費ヲ來年度ノ豫算ニ計上スルコト。
 1.本會ハ既設ノ會社ト提携ヲ畫スルコト。
 而シテ今ヤ如上ノ三項トモ各曙光ヲ認ムルニ至レリ。如斯ハ今日ノ場合緩漫ノ譏ヲ免レザルモ,本懸ノ如キ(一)乳牛ノ産地ハ初腹ニテ賣却スル習慣アルヲ以テ,是ヲ革メ,搾乳産犢経産ヲ基礎トシ,秩序的蕃殖ヲナサシムルニハ多少ノ年月ヲ要スルコト。(二)農家ノ産乳ヲ蒐集スルニ困難ナルコト。(三)零碎ノ資金ヲ吸収スルノ煩雑ナル等ノ理由ニ因リテ,急速ニ着手スル能ハズ。是レ一面懸營説ノ現ハルル所以ニシテ,最モ慎重ノ考慮ヲ要スル所ナリ。 
 是ヲ要スルニ本會ガ全力ヲ傾注シテ畫策スルモ,若シ民營トシテ成立セザレバ止ムナク懸營トナスノ必要起リ懸營トシテモ尚ホ且ツ成ラザルノ日ハ,茲ニ大英斷ヲ以テ本懸産牛ノ方針ヲ變更シ,當業者ヲシテ歸向スル所ヲ知ラシメザルベカラザルノ日ナリト推斷セザルベカラズ。故ニ本會ノ主張ハ,陽性ノ結果ヲ得ルカ,陰性ノ結果ヲ得ルカ,何レニシテモ徒労ニ屬セザルベキハ深ク信ジテ疑ハザル所,若シ夫レ役肉用牛ヲ改良増殖シ,併セテ其加工品ノ生産ヲ謀リ,利用ノ途ヲ擴張スルノ必要ナルハ明白ノ事實ナレバ,之ニ向ツテ最善ノ努力ヲ盡スベキハ言ヲ俟タズト雖,刻下逆境ニアル乳用牛ノ気勢ヲ挽回シ,其基礎ヲ鞏固ニスルハ,最モ急務トスル所ナリ。有志諸君幸ニ本會趣旨ノ存スル所ヲ諒シ,此ノ業ノ興起ニ關シ一臂ノ勞ヲ辭セズ,多年ノ懸案タル難問題ヲ根本的ニ解決シ,以テ本懸産牛改良ノ實ヲ全ウセラレンコシヲ切望ニ堪ヘズ。茲ニ本會ノ主張ト經過トヲ録シ,煉乳事業準備會創設ノ賛成ヲ求ムト爾云フ。
 大正  年 月 日

岡山懸畜産會

  煉乳製造所創設準備會約款(抜すい)

 第3條 本會ハ岡山懸畜産會ノ指導ヲ受ケ以テ煉乳製造所創設ノ準備ヲナスモノトス
 第4條 煉乳製造所の資本ヲ五萬圓(一口五拾圓壱千口)トシ本會員ハ各其引受口數ニ對シ一口ニ付貳圓五拾銭ヲ醵出スルモノトス但株式會社設立ノ上ハ証據金ニ振替フルモノトス
 第6條 煉乳製造所創設ノ要素具備シ株式會社ヲ組織スル場合ニ至ラバ更ニ協議ノ上,法定ノ手續ヲナスモノトス

 大正4年(1915)には県から県畜産会に対し調査費を交付して,千葉,静岡,北海道の煉乳事業および同地方における産業の状態を調査させ,事業の促進を図ったけれども,一般の情勢はこれをいれなかった。一面製造方法において,当時の会社はそれぞれ秘密を保ち,製品も統一されていなかった。
 このように,この事業の創設が困難な状況にあったので,一部の識者の間には,県営事業としてはと言う意見もあったが,これも実現しなかった。このため大正5年(1916)から煉乳製造事業調査費を出し,国内を調査したり,岡山県種畜場に平鍋2個を置き,大正6年(1917)から同8年(1919)まで,奥山吉備男の担当で,乳製品試験を実施した。岡山県種畜場の「煉乳試験製造報告書(大正8年)」によると,平鍋式の共通した欠陥である色沢や香味の不十分な点を除けば,本品の生命である乳糖の結晶ならびに保存力においては,アメリカ製の鷲印煉乳と同程度のものができた。大正6年(1917)9月からこの製品に対し鈴印の標証をつけた。大正8年(1919)4月,中央畜産会主催の畜産工芸博覧会に,鈴印の煉乳と乳油(バター)を出品して入賞した。