既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第1章 酪農の発展

第6節 酪農の指導機関と組合の発達

1.県営指導機関とその変遷

 酪農に関する県の指導および教育機関としては,岡山県種畜場,岡山県岡山種畜場,岡山県津山畜産農場,岡山県酪農試験場などと,これらから派生した次の各種の機関がある。先ず指導機関としては,岡山県酪農試験場が蒜山に設置した岡山県酪農試験場蒜山分場(昭和32年4月〜37年3月),成羽町に設置された酪農経営改善指導所(昭和37年4月−41年3月)があり,教育機関としては,岡山県津山畜産農場に併設された岡山県立中国酪農講習所(昭和28年8月〜45年3月),その跡に設けられた岡山県立農業講習所津山畜産分教所(昭和40年4月〜43年3月)がある。その後には同施設を利用して岡山県立農業大学校の津山第二分校が昭和43年(1968)4月1日から設けられ,現在に至っている。
 岡山県立酪農大学校が昭和36年(1961)12月,岡山県酪農試験場内に暫定的に設けられた。この大学校の設立には,当時県畜産課長であった惣津律士が異常なまでの情熱を傾けたもので,その教育には全寮制によるマンツーマン方式を採り入れた。これは,その翌年4月,真庭郡川上村西茅部に移転し,県下では珍しい最新式のルーズバーン(解放牛舎)を備えた近代的施設でジャージー種を主体にした省力管理による酪農経営を指導した。この施設は,昭和42年(1967)4月に財団法人中国四国酪農大学校に移譲され,一層近代化され拡充された。これらの指導機関で養成された青年は,現在(1978),ごく少数の例外を除き,本県のみならず,兵庫県を含む中国四国地方10県で中核酪農家として活躍している。その人員は累計498名(うち県立酪農大学校卒84名)に達している。

(1)岡山県立中国酪農講習所

 この講習所は,昭和28年(1953)8月31日に岡山県津山畜産農場内に設けられ,毎年高等学校卒業者25〜30名の受講生を募集して,主として酪農に関する知識および技術について研修した。実習は,岡山県津山畜産農場に繋養されている乳牛,和牛,馬,緬羊,山羊,豚などを対象として行なわれた。昭和39年度末の閉所までに218名の卒業生を輩出した。

(2)岡山県立酪農大学校

 酪農に関する基本的な知識技術を修得した健全な酪農経営者を養成するため,昭和36年(1961)12月1日から津山市太田の岡山県酪農試験場内に開校し,翌37年(1962)4月,真庭郡川上村西茅部の新校舎の落成をまって,酪農試験場蒜山分場を吸収してここに移転し,新たに岡山県家畜衛生研究所を併設した。募集人員は,1学年30名で,1年間に4カ月就学し,8カ月は在宅研修とし,3年修業とした。酪農を志望する青年で,高等学校またはこれと同等以上の学力を有する者を対象として,酪農に必要な論理教育をし,在宅期間中は自営実習を行ない,生きた教育を行なった。施設の概要は,昭和39年(1964)現在において,土地5ヘクタール,建物32棟,動物は乳牛26頭,和牛2頭であった。
 当時校長であった惣津律士が作詞した次の寮歌は,今も財団法人中国四国酪農大学校に受け継がれている。

  岡山県立酪農大学校寮歌

 1,緑したたる陽春に
   ジャージー遊ぶ蒜山の
   文化の香りいや高く
   学園したいて我は来ぬ
 2,流れは清し旭川
   北斗の星座仰ぎつつ
   固き決意の若人は
   誇りと栄を歌うなり
 3,錦繍の蔭映ゆる時
   偲ぶ故郷の秋の曲
   我れ感傷の夢追いぬ
   真理の道はいとけわし
 4,神秘の白衣蛭が峰
   無限の光ほほえみぬ 
   我らが築きし酪農の
   久遠の城を来り見よ

  作詞 惣津律士(昭和37年作詞)