既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

3.大正年代から昭和前期における改良和種時代

(5) 中央団体による和牛の登録

1 中央登録開始までの経緯

 後述の中国和牛研究会によるたゆまざる研究討議,とくに昭和10年(1935)10月の第6回の同研究会において,各県統一の審査標準案が,実地に適用され,いろいろ検討されたが,この段階において,各県産牛の特殊性はうすらぎ,各県の登録の進んだ牛については,同一標準で審査してさしつかえないまでに改良が進んでいると認められた。この審査標準試案は,同年6月,姫路市の兵庫県種畜場において開催された中国6県種畜場長会議において試作されたもので,これがのちに昭和13年(1938)中央登録をはじめた中央畜産会の採用するところとなり,さらに同23年(1948)全国和牛登録協会黒毛和種審査標準のもととなった。なお,中央登録団体は,畜産組合法(大正4年,法律第1号)により大正4年(1915)7月,中央団体として創設された中央畜産会にはじまり,昭和16年(1941)8月,帝国畜産会,18年(1943)10月中央農業会(畜産部),20年(1945)4月,戦時農業団,同年9月,全国農業会畜産部,と引き継がれ,そのあとGHQ(占領軍総司令部)の指令による農業団体の再建に当たり,昭和23年(1948)3月3日,設立され,和牛登録ひとすじに専念する社団法人全国和牛登録協会となって現在に及んでいる。
 さて,昭和12年(1937)12月28日,農林省令第53号をもって,「牛登録及乳牛能力検定事業奨励規則」(昭和12年,省令第53号)が公布され,これにより翌13年(1938),和牛登録は,地方においては従来どおりの登録規程により予備登録までを実施し,本登録は中央畜産会が全国を統一して行うことになった。
 この規則は,「役肉用牛の登録」と「乳牛の能力検定」の2つの事業に対して,第2条により専任職員設置費,その他の事業費について,道府県または登録事業を実施する中央または地方の団体に対して,補助金を交付して,事業の推進を図るものであった。当時,中央登録に対する中国地方の反発は,かなり根強かった。中央畜産会は,登録実施に先だって,昭和13年(1938)1月13日,岡山市において「役肉用牛登録事業協議会」を開催し,前記奨励規則についての説明を行ない,事業の円滑な推進に努めた。この規則の第2条第4項に規定されている登録審議会は,その第1回を昭和13年(1938)3月16日,中央畜産会において開催し,次の事項を決議した。

   @ 全国の役肉用牛を,黒毛和種,赤毛和種および無角和種に大別し,登録を実施すること。
   A 従来地方において行いつつある本登録を中央畜産会に移すこと。
   B 中央畜産会において本登録したるときは,暫定的に種類名は和種とし,括弧して県名を付すること。
   C 地方の登録事業の淘汰整理による畜牛の改良固定を促進せしめ,幼稚なる地方に対しては,中央地方協議の上その標準を高めしむることに努力すること。
   D 将来なるべく早き時期において,総合的和牛の標準体型をつくり,この標準に基づき全国的に登録を施行すること。
   E 右により現行登録規程の改正をなすこと。

   2 中央登録の実施

 昭和13年(1938)10月1日,中央畜産会役肉用牛登録規程が制定され,本登録は中央で,予備登録以下の登録および登記は地方で実施することになった。この時点で,地方登録団体の本登録牛は,兵庫県25頭,島根県5頭,広島県3頭および岡山県1頭の計34頭であったが,これらはそのまま中央登録に引き継がれ,「継承本登録」略して「継本」という登録記号になった。岡山県の1頭は,阿哲郡矢神村(現哲西町)羽場盛太郎の生産にかかる第2愛徳号(予岡第391号,累進登録制度により本黒(岡)第1号)で継本34号となった。この種雄牛は,昭和11−19年(1936−44),千屋種畜場において供用されたもので,石原盛衛(昭和24年)の『和牛』に岡山県の和牛改良に貢献した名種牡牛第13花山号の子孫中の名種牡牛として紹介されている。
 昭和16年(1941)8月,帝国畜産会の創立により,和牛登録事業が同会に引き継がれたのを機に,登録規程が一部改正され,「基礎牛」の登記が規定された。基礎牛登記の生れた背景は次のようであった。同年6月15日,公定された「牛の最高販売価格」は,登録資格を基準としたものであったので,続々と登録事業をはじめる県がでてきた。そして,従来補助牛としなかった牛まで補助牛として登記する傾向が生じたので,従来から登録を実施している先進地の現実をふまえ,新しく登録をはじめる地方の登録事業の乱雑を防止するため,基礎牛制度が設けられた。基礎牛の条件は,少なくとも父母が明らかに和牛(黒毛,褐毛というように純粋のものであること,これらの交雑したものはいけない)であることが証明されるものであって,失格条項に該当しないものとなっていた。そして,その生産した子牛は,犢登記を受ける資格はないが,血統証明書がつけられ,これにより登録補助牛になる資格はあるというものであった。岡山県においては,この基礎牛登記事業は郡畜産組合へ委託して実施された。

   3 黒毛和種

 昭和19年(1944)2月1日,和牛登録の一元化を図るため,中央および県農業会の事業として,「役肉用牛登録規程改正協議会」が開催され,ついで3月10日の審議会の議を経て次の事項が決定された。

   @ 予備登録,本登録は血統上の条件に差をつけるが,合格点数は両者とも75点以上とする。
   A 本登録のうち,形質,能力の優秀なもの(雄雌とも審査得点80点以上で,雄ではその交配により生産した子牛の中に75点以上の登録牛を15頭以上生産したもの,雌では75点以上の登録牛を3頭以上生産したもの)を特選牛(ホルスタイン種牛登録における高等登録牛のようなもの)とする。
   B 失格条項を次の4項目とすることに改正する。
     (1)異毛色,(2)牡の恥骨部,牝の乳房部以外の白斑,(3)白舌,(4)豚尻
   C 登録規程は,中央農業会のものだけとし,地方登録団体の規程を廃止する。予備登録以下の登録事業は県農業会へ委託する。
   D 和牛を固定種とみなし,「改良和種」という名称を廃止し,黒毛和種,褐毛和種および無角和種とする。

 このうち@については改良意欲を損なうものであるとして,中国各県はこぞって反対し,登録料金の一方的な値上げとともに中央登録に対する不信が高まった。このことは,昭和21年(1946)7月,農林省畜産試験場中国支場(現中国農業試験場畜産部)における第13回中国和牛研究会でやかましく論議され,県によっては本登録合格点数を77点とか76点とかに引上げて実施するところもあった。岡山県では77点として取り扱っていた。なお,本登録のうち78点以上のものを推奨牛とする制度が,昭和19年(1944)8月から実施された。岡山県においても,本登録特選牛や推奨牛が登録されているけれども,その件数ははっきりしない。