既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

3.大正年代から昭和前期における改良和種時代

(6) 中国和牛研究会

 中国和牛研究会が,和牛の改良のうえに果たした役割はきわめて大きい。この研究会は,昭和2年(1927)3月創設され,同年10月,第1回研究会を広島県畜連主催により,同県比婆郡東城町において,岡山,広島両県によって開催した。その後,回を重ねるごとに漸次中国各県の参加があって,数年おきに参加県持ち回りで開催され,世の転変とともに歩み,昭和22年(1947)7月,山口県大津郡深川町(現長門市)における第14回をもって,その使命を果たし,発展的に解消した。この研究会のあとを受け継ぐ形で昭和22年(1947)12月中国和牛協会が創立され,和牛に関する政治的活動等を行う団体となった。これが現在の全国肉用牛協会の母体となった。一方,和牛の改良など技術的な分野については,翌23年(1948)3月3日,設立された全国和牛登録協会が担当して,今日に至っている。

   1 研究会設立の経緯

 和牛は,明治後期の雑種万能時代を経て大正時代にはいると,雑駁な遺伝因子を整理して,わが国農業に適した農用牛に改良しようということで,「改良和種」という名称で呼ばれるようになった。国は中国地方の和牛主産地をはじめとして,はじめは各県それぞれの実情にあわせて,独自の改良方針をもって,ことに当たるよう指導した。これにより大正9年(1920)鳥取県をはじめとして,同15年(1926)岡山県が登録事業を開始するまでの間に,中国地方や九州の数県で,各県ごとにそれぞれ独自に登録事業を実施するようになったことは既述のとおりである。
 このような中にあって,当時各県は,自県産牛の特殊性を強調し,独善性が目立つという風潮にあった。和牛界の偉大な指導者羽部義孝は,各県ごとに改良された和牛も,改良が進めば「良牛に国境なし」で,将来は一つの目標に統一されるべきだとの見通しにたって,隣県同志で合同研究の機をもち,漸次中国各県へ拡大するという構想をもっていた。
 このころ,広島県比婆郡畜産組合技師佐々木又一らは,これと同じ主旨をもって,同県神石郡畜産組合丹下乾三および岡山県阿哲郡畜産組合幹事土屋源市と相諮り,羽部構想による指導助言を得るため,研究会を設立することとし,関係両県当局ならびに県畜連に働きかけ,昭和2年(1927)10月,第1回現地研究会を広島県東城町で開催した。

   2 経過

 前述のとおり,この研究会は,産牛事情のよく似た岡山,広島両県の産地が相集って,道府県畜産共進会規則(明治43年,農商務省令第3号)または畜産奨励規則(大正8年,農商務省令第12号)などによらないで,民間主体の,自由な形式の共進会にしようということからはじまったものである。ただ,農林省から奨励金をもらえるように,共進会と併称して,調査研究という名称をつけたのである。
 この研究会の行なった調査研究が,その後のわが国和牛改良と登録のうえに,いかに大きく貢献したかについては,ここに改めていうまでもない。この研究会が,年を重ねて進展するにつれて,開催方法や調査研究内容も漸次変遷し,第二次世界大戦中から終戦時にかけて,次第に政治的,行政的方向へ傾斜して行ったのである。
 つぎに研究会の概要を,回を追って述べることにする。なお,第4回の研究(昭和8年 鳥取県根両町現日野町)において,「中国和牛研究会」を常置することとなり,会則がつくられた。

   (1) 第1回(参加県は岡山,広島2県)
    名 称 広島県畜産組合連合会主催「役肉用牛改良に関する調査会ならびに第1回岡山,広島2県連合産牛共進会」
    期 日 昭和2年(1927)10月1−3日(3日間)
    場 所 広島県東城町
    出 品 比婆,神石,甲奴,阿哲,川上の2県5郡,計104頭
    研究事項 (1)産牛的立地条件を同じうする地方の改良目標統一の可能性
         (2)通有的特色と地方的特色との調和
         (3)現行の岡山,広島の標準体型に関する検討

   (2) 第2回(参加県は,鳥取を加えた3県)
    名 称 岡山県畜産組合連合会主催「第2回岡山,広島,鳥取3県連合産牛研究会」
    期 日 昭和4年(1929)10月18−21日(4日間)
    場 所 岡山県新見町(現新見市)
    出 品 岡山,広島,鳥取3県から出品の種牛100頭
    研究事項 3県の研究員により,3県の審査標準を相互に適用して研究,さらに
         (1)出品優良牛の系統ならびに遺伝状況の検討
         (2)各地産牛の特殊性および通有性
         (3)各地産牛の長所および短所

 この研究会において,はじめて生物測定学的研究が行なわれた。また,審査標準を実地に活用することをはじめて行ない,各県の審査標準を相互に適用して研究が行なわれた。この研究会において各産地の特殊性あるいは産地の特徴というものも,漸次通有的なものとなりつつあることを認めるようになった。ここにおいて,近い将来各県の標準を改正して,共有的な標準とすることができるとの見込みがたてられ,画期的な成果が挙げられた。
   (3) 第3回(参加県は前回同様3県)から第14回までその概要は表2−2−15に示すとおりであった。
 第14回和牛研究会は,昭和22年(1947)7月,山口県大津郡深川町(現長門市)において開催されたが,この研究会は,わが国和牛界にとって重大な意義をもつものとなった。すなわち,当時中央登録団体であった全国農業会は,23年(1948)8月までに実施されることになった農業団体の再編成により,いずれ解散するという情勢にあったので,この研究会では,和牛登録は中国地方を主体として新たに開始すべきこと,新団体は和牛に関する一般的な指導や政治的活動を担当する団体と,登録事業のような純技術的な事業を遂行する団体と,別個のものとすることなどが論議された。

   3 中国和牛研究会理事幹事会

 昭和22年(1947)8月31日,岡山県津山畜産指導農場において,中国和牛研究会理事幹事会(第15回中国和牛研究会とする記録もある)が開催され,さきに第14回研究会で決議された新団体の設立について,関係者のきわめて熱心な討論が展開された。この時座長となって,会の進行と取りまとめを行なったのは,当時の岡山県畜産課長押野芳夫であった。また,出席者の中には阿哲郡の土屋源市があって,会議の進行に重要な役割りを演じている。
 この会議において,@登録団体(仮称中国和牛登録組合)のあり方,およびA和牛に関する政治活動を行う団体(仮称中国和牛協会)の設立について,出席者の自由討議という形式で大いに議論されたが,羽部義孝京都大学教授の指導により,次の2つのことを決定して散会した。

   @ 中国和牛協会の創立総会は,来る10−11月ごろ,岡山県新見町(現新見市)において開催する。
   A 中国和牛登録組合(仮称)の設立については,さらに9月下旬,鳥取県浜村町(現気高町)において協議会を開催してよく検討する。

 これにより,同年12月11日,新見町(現新見市)において,中国和牛協会の創立総会が開催され,初代会長に土屋源市が推された。この団体は,昭和38年(1963)8月30日,全国和牛協会となり,同43年(1968)6月12日,現在の全国肉用牛協会に発展し,わが国肉用牛界の強力な指導団体となった。一方,和牛登録事業に専念する団体として,昭和23年(1948)設立された全国和牛登録協会については,項を改めて述べることにする。