既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

4.昭和戦後期における和牛の改良と登録

(1) 全国和牛登録協会

 全国和牛登録協会が,昭和23年(1948)3月3日に設立され,これに伴って同協会岡山県支部が,4月1日に設置され,県内の登録事業を行なうことになった。同協会の設定に当たっては,岡山県関係者の役割りは,決して小さくはなかったので,その設立に至るまでの経緯の概要を述べることにする。
 昭和22年(1947)8月31日,津山畜産指導農場(現酪農試験場)において開催された中国和牛研究会理事幹事会における決議により,同年9月27,8両日,鳥取県浜村町(現気高町)において「中国和牛登録組合(仮称)設立に関する協議会」が開催された。座長は,岡山県畜産課長押野芳夫であった。岡山県は,「登録事業は,中国和牛協会の事業として実施する」という案を提出したが,広島県の「中国和牛登録協会を設立する」,あるいは京都府の「和牛登録組合を町村単位に設け,漸次組織の大きい連合体とする」という,純技術的な意見に大勢として固まった。
 その後,全国段階の「役肉用牛登録打合会」が,同年11月8日,東京で開催されるなどの経過ののち,12月11日,新見町(現新見市)における中国和牛協会創立総会のあと,「全国和牛登録協会」の設立発起人会が開かれ,翌23年(1948)3月3日,兵庫県城崎町において,同協会の創立総会が開催されたのである。初代会長は羽部義孝,副会長は土屋源市であった。事務所の位置について,同年1月23日,島根県玉造温泉における中国和牛協会役員会の際,岡山,兵庫,京都の3府県がはげしく争奪戦を演じたが,結果は兵庫県畜連内に一応事務所を設置することになり,同年7月31日京都市に京都分室を設置した。
 さて,中国和牛研究会は,和牛の改良と登録に大きな足跡を残したが,この研究会の発足に当たり,当時阿哲郡畜産組合の土屋源市幹事の果した役割りは大きく,また,中国和牛協会や全国和牛登録協会の設立に当たり,当時の岡山県畜産課長押野芳夫の発揮した政治的手腕は,評価されるところであろう。