既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

4.昭和戦後期における和牛の改良と登録

(4) 和牛(肉用牛)の改良施策

 和牛に対する改良施策は,明治,大正年代から行なわれているが,その方策は,畜産組合等関係団体に補助金もしくは奨励金を交付することにより,間接的に奨励助長するという方法に終始していたようで,具体的には共進会の開催,国公有種牡牛の貸付または購入補助,優良牛の生産と保留の奨励などであった。
 昭和20年代の後半になると,畜産物の需要が多様化し,増大する中で,酪農など用畜の伸びに比べて役牛の退潮が著しく,30年代になるとこの傾向は,ますます顕著となって来た。戦後,和牛に対する奨励施策は,昭和27年(1952)から始められた有畜農家創設事業,32年(1957)から3ヵ年計画で実施された寒冷地農業振興対策などによる雌牛導入事業などが行なわれるまでは,余り見るべきものはなかった。
 近年の畜産物の需給事情は,生産の伸びが需要の伸びを上回り,相対的に生産過剰となり,生産調整を余儀なくされるものの多い中で,独り牛肉は世界的な供給不足が予測されていて,このため肉用牛の改良増殖が急務とされている。この項では,昭和30年代から実施されて来た肉用牛(和牛)の「改良」施策について,記録を追って記述することにする。
 昭和32年(1957),岡山県は,「優良種雄牛生産育成要領」を設定し,これに基づいて育成種雄牛の認定検査を行ない,35頭を認定した。引き続き和牛の系統調査,繁殖成績(遺伝的不良形質の有無)の調査を行なっている。そして,@種雄牛資濃確保委員会を設け,A岡山県種牡牛育成組合を設立した。
 昭和35年(1960)4月,県は和牛生産改良基地を設定して,和牛の積極的な改良増殖を図ることとし,和牛の生産適地を県が指定し,子牛生産改良の指導組織の整備,流通合理化などに集約的な指導助成を行なった。同年4月28日には,和牛試験場において「和牛大会」が挙行され,和牛の振興に意欲を示している。
 昭和38−40年(1963−65)実施された肉用牛改良増殖基地育成事業は,国の補助事業として初めての肉用牛改良施策であった。これにより,38年(1963)度中に中国7府県(京都府を含む)に20地域の改良基地が設けられている。岡山県では,阿哲基地(哲西町ほか2地域,繁殖基礎牛指定347頭),真庭基地(美甘村ほか2地域,306頭)および苫田基地(上斎原村ほか2地域,295頭)が設定されている。この事業は,県が事業主体となり,登録基礎雌牛が,おおむね500頭程度飼養されている市町村の中から,地域指定を行ない,計画交配のための雌牛引きつけ手当て,人工授精用器具一式,牛衡器などの設置に対する補助を行なうものである。
 昭和40年(1965)3月6日,和牛関係者の総意により「岡山県和牛研究会」が発足し,事務所を和牛試験場に置いた。第1回研究会を同年8月6,7両日,同試験場において開催し,その後毎年1回,時宜に適した課題をとりあげて開催していて,52年(1977)で第13回を数えるに至った。
 昭和42年(1967),県単独事業として,優良肉用牛造成保留事業が始められている。
 肉用牛種畜生産基地育成事業は,役肉用牛から肉用牛へと用途の変った和牛について,その産肉能力等の経済性の速やかな向上を期するため,ほぼ600頭程度の優良基礎雌牛が飼養されている地域を1基地とし,その中で200頭の基礎牛を指定して,優良種雄牛との計画交配により生産された雄子牛の中から20頭を選んで直接検定することによって種雄牛を選抜する一方,雌子牛40頭を選んで基礎牛の更新にあてるという事業である。岡山県では,45年度に美作基地,46年度に阿新基地が設定された。県では「岡山県種畜生産基地育成事業実施要領」(昭和45年10月28日)を設けて次のように事業を実施している。すなわち,事業実施主体は県とし,@生産された優良雌子牛を県有として基地内に保留する。A生産された優良雄子牛については,産肉能力検定(直接法)を実施する,というものである。
 事業実施地域は,美作基地においては,勝山,落合,美甘,湯原,新庄,鏡野,奥津,上斎原,加茂,富および阿波の11町村,阿新基地においては,新見,大佐,哲西,哲多および神郷の5市町である。
 肉用牛育種集団整備促進事業は,昭和47年(1972)から国の補助事業として始められたもので,肉用牛種畜生産基地で造成後,検定された種雄牛の受け血として,優良種雌牛を選抜,保留し,計画交配を推進して肉用牛の改良を促進しようとするものである。事業主体は,岡山県経済連であって,事業の内容は,育種農家を指定し,当該農家における対象雌子牛を調査,選定したのち,その発育等について自家記録を実施し,成績のよいものを原種牛に指定(6年間保留)して,計画交配を行なうというものである。指定雌牛は,同年から始められた全国和牛登録協会の本原登録の雌牛群ともなるもので,小組合形式による育種改良組合の組織的な活動を通じて,事業が遂行されるものである。
 この事業は,昭和52年(1977)度から始められた優良肉用牛増殖促進事業に引き継がれて現在に至り,8歳以上の老齢牛や登録点数78点以上の優良牛の供用促進により,優良肉用牛を維持し,進んで増殖を図る事業となっている。

   附 家畜改良増殖目標

 第二次世界大戦後,初めての家畜改良増殖立法として,種畜法(昭和23年,法律155号)が,7月12日公布され,8月20日から施行された。戦前からの種牡牛検査法(明治40年,法律第42号)は,民有財産である種牡牛を統制し,制約を加えるので,新憲法に照らして好ましくないということで,種畜法による種畜検査では,伝染性疾患の有無により検査の合否を決定するだけとし,種畜としての外貌,血統,能力などは自由選択ということになっていた。昭和25年(1950)5月27日,法律第209号をもって公布された家畜改良増殖法(8月20日施行)は,種畜法による種畜(第2章)の規定のほか,家畜改良増殖に関する目標(第1章の2),家畜人工授精(第3章),家畜登録事業(第3章の2)等を規定したものであるが,これによれば,第3条の2に「家畜改良増殖目標」を,担当大臣が定めて公表しなければならないことになっている。これに基づいて,現在昭和50年(1975)6月に,昭和60年(1985)を目標としたものが公表されている。
 岡山県においては,国の改良増殖目標に加えて,県自体の情勢を加味して,現在表2−2−20次のとおり改良増殖目標を「肉用牛の改良増殖に関する基本構想」の中で公表している。