既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

6.和牛(種牛)の共進会

(1) 全国和牛共進会

 政府が農商務省内に畜産課を設置したのが明治32年(1899)であって,翌33年(1900)は畜産にとって画期的な年となった。すなわち,七塚原種牛牧場の新設,畜牛改良調査会の設置,産牛馬組合法の公布,外国種牛の第1回大量輸入,第1回中国連合畜産共進会の開催と,つぎつぎに重要なできごとがあった年である。この年から50年を経過した昭和25年(1950)10月,全国和牛登録協会(会長羽部義孝)は,鳥取県倉吉町(現倉吉市)において第15回中国連合共進会の開催を機に,これと同時同所において「畜産50周年記念全国和牛登録牛研究会」を開催した。これは,共進会という名称はつけられなかったけれども,実質的には全国規模の共進会に類するものとみなされてもよいものである。
 全国和牛登録協会の主催になる全国規模の和牛共進会は,第1回を昭和28年(1953)に開催して以来,現在までに回を重ねること5回に及んでいる。
 第1回全国和牛共進会は,昭和28年(1953)10月,広島市において,第16回中国連合畜産共進会の開催された場所において,同共進会終了後引き続いて開催された。ついで,第2回は昭和30年(1955)10月,名古屋市において開催された。昭和40年(1965)12月から翌41年(1966)10月までの約11ヵ月間,第1回全国和牛産肉能力共進会が開催され,その最終集合比較審査は,同年10月岡山市県営総合グランドにおいて開催された。第2回全国和牛能力共進会は,昭和44年(1969)7月から翌年5月までの約11ヵ月間開催され,その最終集合比較審査は,鹿児島市において昭和45年(1970)5月開催された。第3回全国和牛能力共進会は,昭和51年(1976)7月から翌年5月までの約11ヵ月間開催され,その最終集合比較審査は52年(1977)5月,宮崎県都城市において開催された。これらを一括表示すれば,表2−2−32のとおりである。

   1 全国和牛登録牛研究会

 この研究会は,畜産50周年記念として,全国の和牛登録実施県の生産牛を一堂に集めて,これを比較検討し,過去現在の成績を知り,かつ,種畜を購買する新興地に絶好の参考資料を与え,さらに種畜を供給する中国各県にとっても,こんごの施策推進上の参考になるようにと,昭和25年(1950)10月25日から30日までの6日間,鳥取県倉吉町(現倉吉市)における第15回中国連合畜産共進会場において,同共進会と会期を同じうして,21府県から63頭の和種々牛の参加を得て開催された。
 研究会は,所期の目的を達成したけれども,この研究会々期中に痛ましい事故の発生したことは,まことに残念なことであった。会期前から断続的に降雨があったところへ,さらに27日の大雨があり,地盤が極度に軟弱になったところへ,急に晴天となったため,29日早朝に会場裏山の土砂崩壊があり,大量の土砂が出品人舎宿を圧壊し,出品人の中に死者3名,重傷者3名のほか,軽傷者を数名出すという大惨事が起こった。
 そもそも多雨多湿の山陰の気象は,10月下旬は降雨の確率が高いということで,はじめ会期は10月上旬として諸準備が進められていた。ところが,折しも西日本一帯に猛威をふるった牛の流行性感冒のため,防疫上の措置として,農林省の強い指導により,会期を下旬に延期せざるを得なかったもので,もし当初の計画どおり開催できていれば,このような大惨事を免れ得たかも知れない。

   2 第1回全国和牛共進会

 昭和28年(1953)10月10日から14日までの5日間,広島市基町,旧西練兵場(現広島県庁所在地)において,31府県から,種牛159頭(肉牛は,同月7−10日,同所において開催された第16回中国連合畜産共進会へ出品)が出品されて開催された。

 出品頭数と褒賞についての概要は表2−2−33のとおりであった。なお,岡山県の出品は,雌雄各6頭,高等登録牛1頭の計13頭であった。その成績は1,2および3等賞各4点,4等賞1点で,きわめて優秀な成績であった。最高位の名誉総裁賞こそ逸したものの,都窪郡三須村(現総社市)守安完一出品の雌牛こざくら号が,総理大臣賞を獲得し,また農林大臣賞9点の中には阿哲郡神代村(現神郷町)大塚淳一出品の第3山根号と高等登録牛で上房郡水田村(現北房町)平岡平治出品の雌うえだ号があった。なお,1等賞を受賞した者は,この他にも阿哲郡草間村(現新見市草間)長岡国雄出品の牝牛あきこ号があった。

   3 第2回全国和牛共進会

 昭和33年(1958)10月11−15日の5日間,名古屋市において,36府県から種牛124頭および肉牛60頭合計184頭の出品を得て開催された第2回全国和牛共進における岡山県の出品は,種牛10頭(雌7,雄3)および肉牛去勢1頭の計11頭であった。褒賞については,別表のとおりで,岡山県についてみれば,1等賞3点(うち農林大臣賞1点)および2等賞8点(うち銀賞5点および銅賞3点)で,3,4等賞はなかった。農林大臣賞を受賞したのは新見市の坂井留吉の出品になる種牛牡第6松田号であった。なお,真庭郡落合町曽根芳太郎の出品した牝牛ふじはな号は中央畜産会長賞を受賞した。

   4 第1回全国和牛産肉能力共進会

 岡山市津島(現いづみ町)県営総合グランドにおいて,昭和41年(1966)10月14−17日の4日間,第1回全国和牛産肉能力共進会の第3期集合比較審査が行われた。出品は,兵庫,鳥取,島根,岡山,広島および山口の中国6県から,種牛51頭,肉牛49頭計100頭であった。これに加えて参考牛17頭(中国,九州から出品)の出陣があって,合計117頭をもって開催された。
 この共進会においては,単に牛の外貌だけでなく,経済能力を考えた出品とし,会期は40年(1965)12月1日から翌年10月17日に至る約11ヵ月とし,その間出品牛の飼養管理などの調査を行ない,あとでこれをまとめて発表するなど研究会的色彩が加味された。
 岡山県の出品は,はじめ種牛53頭,肉牛38頭計91頭であったが,最終審査への参加は,種牛11頭(うち雄4頭)および肉牛去勢12頭であった。このほか参考出品された種雄牛ないし同候補牛10頭のうちに,岡山県関係として和牛試験場の第1猛号(黒8743)と阿哲郡哲西町沖田洋美の第11松田号(65犢阿黒117号)があった。
 岡山会場における最終審査に出品されたものは,すべて1等賞ないし2等賞に入賞したが,その成績について,岡山県の出品は,種牛と肉牛に1点ずつ2等賞があったほかはすべて1等賞に入賞した。その内容をみても,種牛における阿哲郡哲西町の沖田洋美出品の雄牛第19横氏号(昭和40,3,8生)と,肉牛における総社市の真賀里唯一出品の去勢肉牛区西勇号(昭和39,10,16生)が最高位の内閣総理大臣賞を受賞し,また,農林大臣賞を受賞したものは,種牛4点中2点,雄で阿哲郡哲西町沖田洋美および雌で真庭郡落合町真壁暉一および肉牛8点中2点(上房郡賀陽町高杉正および総社市真賀里唯一)を占めて好成績であった。なお,農林省畜産局長賞を受賞したものは,種牛7点(雄で総社市久代山本誠,勝田郡勝田町里見義雄および雌で真庭郡落合町村松久也,吉備郡足守町萱野武,真庭郡落合町仲杉茂,新見市菅生磯田一昭および勝田郡勝北町井掘正士)および肉牛3点,(赤磐郡山陽町安井広,吉備郡高松町坂田七五三男および和牛試験場)であった。
 沖田洋美は,長年にわたり和種々雄牛候補の育成家として,県下有数のすぐれた実績をもつもので,平素の実績のうえに右共進会の抜群の成績を加え,昭和42年(1967)11月23日,第6回(昭和42年度)農業祭における肉用牛部門で天皇杯を受賞した。このことは,ひとり本人の名栄だけでなく,本県畜産関係者の名誉であって,感銘深いものであった。

   5 第2回全国和牛能力共進会

 第1回全国和牛産肉能力共進会とほぼ同じ構想で開催されたこの共進会は,昭和44年(1969)7月1日から,翌年5月15日まで約11ヵ月間開催されたが,参加府県は,32府県,出品申込頭数は3,840頭であった。第3期集合比較審査は,昭和45年(1970)5月11−15日の5日間,鹿児島市において32府県の参加により,種牛141頭,肉牛70頭,ほかに参考牛9頭の出品を得て開催された。
 この共進会では,はっきりとテーマがうたわれた。それは,和牛の経済能力ことに産肉能力の向上斉一化を推進し「和牛をわが国の飼育環境に適した日本独特の肉用種として完成しよう」というものであった。
 鹿児島県会場へ出品されたものは,すべて1等賞ないし2等賞に入賞したが,岡山県の成績は19頭(種牛13および肉牛6)すべてが1等賞に入賞し,極めて良好であった。その内容は,種牛において,第4区雌の部で首席になった真庭郡落合町仲杉茂と次席の井原市木山廉夫の2名に農林大臣賞が,肉牛において理想肥育の部の赤磐郡瀬戸町浅野常貞が同じく農林大臣賞を受賞して気をはいた。その他農林省畜産局長賞を得たものは,真庭郡落合町赤峰和雄,阿哲郡大佐町柴田勇,新見市高尾中村輝男(以上種牛雄),阿哲郡哲多町清水満都,上房郡北房町河原覚治,英田郡大原町春名速,小田郡矢掛町山部義男,新見市菅生大月薫,阿哲郡大佐町山崎賢吾(以上種牛雄),勝田郡勝央町岸本節也,吉備郡昭和町(現総社市)今井多喜夫(以上同牛)であった。

   6 第3回全国和牛能力共進会

 会期は,昭和51年(1976)7月1日から翌年5月15日までの約11ヵ月間で,参加道府県は28,申込頭数は4,318頭であった。第3期の最終比較審査は,宮崎県都城市で昭和52年(1977)5月11−15日の5日間開催され,そのときの出品頭数は,281頭(黒毛和種273頭,無角和種4頭および褐毛和種4頭)で,その内訳は,種牛218頭および肉牛63頭であった。このほかに参考出品として,中国,九州の各県からそれぞれ1−2頭ずつの優良種雄牛合計10頭と,山口県から天然記念物見島牛雌2頭の出品があった。
 この共進会のテーマは,わが国独特の肉用種である和牛の経済能力の向上斉一化をさらに推進するとともに,「和牛を日本の農業経営へ定着させよう」というものであった。
 都城会場へ出品されたものは,すべて2等賞以上に入賞したが,岡山県の出品は,すべて優等賞を得,中でも種牛若牛区(雌)第4区において津山市東苫田池田寛の出品したゆたか号(昭和51,1,5生)が農林大臣賞を受賞した。なお,農林省畜産局長賞を得たものは,種牛若牛区(雌)第5区における真庭郡落合町庄司進一出品の第3やよい号(昭和50,10,3生),育種登録群における真庭郡和牛育種組合(代表者湯原町森広為義)の群出品牛および肉牛若令肥育群における岡山市吉備津坂田七五三男出品の3頭(1群)であった。
 この共進会において新しい試みは,出品牛に対して特別賞を出したことである。岡山県関係にあっては,津山市東苫田の池田寛の出品に対して「背腰」,総社市井手真賀里唯一の出品に対して「枝肉の厚み」について,とくに優秀ということで特別賞が与えられた。
 岡山県の中国連合畜産共進会における成績は,毎回優秀なものであったので,今回の成績は,別に悪いというものではなかったが,島根県の成績が抜群であったため,いささか後塵を拝したかの感を抱いた向もあったのではなかろうか。

   7 全国和牛共進会における和牛登録功労者の表彰

 第2回全国和牛共進会(昭和33年,名古屋市)において阿哲郡神郷町藤井英一郎が和牛登録功労者表彰を,また,第3回全国和牛能力共進会(昭和52年,宮崎県都城市)において,真庭郡久世町山田保が登録功労者表彰をいずれも全国和牛登録協会長から受賞した。