既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第2節 和牛の改良と登録

6.和牛(種牛)の共進会

(3) 郡市段階の畜産共進会

 邑久郡は,明治28年(1895)から洋種牛を導入して畜牛(乳用牛)の改良に極めて熱心であった。明治35年(1902),邑久郡産産会を設立し,10項目の実行要項を定め,畜産の発達に努めたが,明治40年(1907)7月に設立された邑久郡畜牛組合にすべての事業をゆだねて解散した。
 明治36年(1903)4月4日から5日間,太伯村大字神崎(現岡山市)において邑久郡畜牛共進会を開催した。出品頭数は380頭,経費は640円90銭であった。秋山県技師の審査を要請している。これがおそらく本県においてはじめての共進会であろうと言われている。
 邑久郡における第2回品評会は,明治40年(1907)4月4日から5日間,鹿忍村(現牛窓町)において,500頭の出品で,経費719円80銭で開催されている。当時邑久郡は極めて先進的であったということである。
 邑久郡が先鞭をつけた郡市単位の共進会は,その後表2−2−42のように開催されていて,登録事業のまだ開催されていない時代において,畜牛改良方策のきめ手として,共進会の開催は斯業の推進に多大の寄与をしたものである。