既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第3節 和牛の能力利用

1.役利用

(3) 和牛の調教

 和牛が農用牛として,役利用面の要求が大きかった時代には,和牛の日常の管理や使役を容易にし,さらに玄人芸的には種牛共進会などに当たって,いわゆる正肢勢と正しい歩き姿により牛の品位をよくするなどの目的をもって,牛に行儀を教えること,すなわち調教が重要視されていた。細い手綱1本で大きな牛を自由自在に動かす調教技術は,わが国独特のものである。これは大正初期,岡山県川上郡富家村(現備中町)の三原佐之治によってはじめられたものである。それ以前にも「綱上げ」と称する調教に似た技術があって,中国地方の博労間で用いられていたが,これはただ牛を正肢勢で立たせ,綱を打ってむやみに牛の鼻を天に向けて上げさせる,俗にいう「鼻を干す」というものであった。
 前記三原佐之治の調教技術は牛を使役するに当たって必要な「基礎調教」といわれるものであって,正姿勢,前進,後退,左右回転,速歩,並歩,停止などであった。総社市の佐野民三郎(大正10年から昭和10年まで千屋種畜場勤務)は,旋回(左右および前後肢),横足(左右),碁盤乗り,橋渡し,敬礼などのいわゆる「高等調教」をつくり出した。調教は,千屋種畜場の名物となり,昭和22年(1947)天皇陛下が新見町(現新見市)へ行幸のおり,和牛の調教を天覧に供したのをはじめ,昭和36年(1961)1月,丑年にちなんで,NHKテレビ「私の秘密」番組へ,和牛試験場の碁盤乗りが出演し,全国にこれを紹介した。出演者は嘉寿ョ栄技師と山上米雄牧夫であった。このように事あるごとに広く紹介され,今も和牛試験場に伝えられている。つぎに,実際に牛を使役するための調教すなわち「使役調教」については,和牛の育成使役地としての近畿地方が本場であって,筆者は,昭和14年(1939)の農林省畜産試験場中国支場における第10回中国和牛研究会において,奈良県畜連の原技師が,まだ鼻木をとおさない当歳の幼牝牛に僅々30分位で一応鞍を装着して空犁を引かせるまでに調教したのを見て感心させられたことがある。
 三原佐之治(1886−1956)は広島県神石郡豊杉村で産まれた。幼児川上郡富家村(現備中町)布賀の杉井万三郎宅に家畜商見習いとして住みこみ,独力で「基本調教」を創出した。明治39年(1906)当時,七塚原種牛牧場長羽部義孝の招きにより,調教師として広島県下で講習会に臨んだのをはじめとして,その後,国や各県の招きに応じ広く調教技術の伝習に努めた。その功績により,昭和19年(1944)6月30日,農林大臣表彰を受けた。かれと佐野民三郎の牛に対する接し方は,全く対照的で,前者のは妥協のないきびしいものであったのに対し,後者のは極めて忍耐強く,やさしい綱さばきであった。