既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第3節 和牛の能力利用

2 肉利用

(3) 昭和30年以降の食肉の需給

   1 需給動向

 昭和30年(1955)以降の県内における枝肉生産量の推移をみれば,同年の約2,500トンから同50年(1975)の約6,200トンへと2.5倍に伸びている。

 食生活の向上のあとを見るため,食品群別摂取量の全国と岡山県との対比をみれば表2−3−6のとおりである。これによれば,肉類消費の伸びは,最近の20年間に約10倍となっていて,乳類の8.6倍,卵類の4.4倍を上回っている。しかし,食肉消費の絶対量は,まだ,アルゼンチン,アメリカ,ニュージーランド等の5分の1に過ぎない。
 表2−3−7は,畜産食品と水産物との供給量(消費量)の推移を示したものである。これをみれば,200カイリ問題をかかえる水産物の消費の伸びが停滞的であって,こんご動物蛋白食品の伸びは畜産物の伸びに依存するところが大きくなるものと予想される。しかも,卵類の伸びは,すでに頭打ちの状態であり,乳類も微増傾向にあるとき,食肉消費の伸びに期待するところが大きく,とくに,所得弾性値の大きい牛肉の消費拡大によって,食生活の高級化が期待される。昭和51年(1976)における牛肉の供給量は2.7キログラムで,肉類全体の15%に過ぎない。
 牛肉の食肉全体の中に占める量的割合を生産の側から見れば,明治,大正年代60−70%であったものが,昭和40年(1965)には25%と低下し,その後も低下の一途をたどり,昭和53年(1978)には約15%となっている。

   2 消費の動向

 牛肉の消費動向に目を向ければ,消費量の増大した現今でも,1回の購入量は200−300グラム程度と零細である。戦前は客を見て切り売りしたものであるが,昭和20年代になると,スライサーによりあらかじめスライスしたものを売るようになり,現在では200グラム程度のパック詰めにしたものをスーパーなどで扱うようになり,販売方法はかなり能率的となった。それでもなお1回の販売量の小さいことは,人件費の高騰などにつながるので,ブロックによるまとめ買いが望ましいといわれている。昭和20年代後半から消費者意識が高まり,最近は料理方法により,それらにふさわしい部位,品質の牛肉を消費者が選択する傾向になったことは進歩である。昭和50−51年(1975−76)に県下に188店舗が指定を受けた「標準食肉販売店」制度は,食肉の適正な表示販売をねらいとしたもので,県の委嘱した消費モニターが指定店を観察している。
 昨今食肉店頭に出回っている輸入牛肉は,畜産振興事業団が昭和52年(1977)7月から指定している「輸入牛肉指定店」の看板を掲げた牛肉店で,常時継続的に販売されている。岡山県では,岡山市だけに24店が指定されていて,同事業団が国の設定した小売品質基準によって部位ごとに示した目安価格によって販売されている。輸入牛肉には,冷蔵(チルド)ものと冷凍(フローズン)ものとがあって,前者は精肉として小売店舗に陳列され,後者は業務用(ホテル,学校給食,その他公共施設の大口需要)に供されるものが多い。
 県内における食肉販売業の昭和53年末の状況を岡山県環境衛生課の資料によって見れば,普通形態の食肉店が1,037店舗あって,保健所管内別に見て,多いのは岡山の280店を筆頭に,倉敷東143店,津山114店などである。特殊形態のものとして簡易店舗3,999店(岡山585店,津山487店,笠岡467店など),販売車325台(岡山86台,備前54台など)となっている。

   3 牛肉小売品質基準

 農林省畜産局は,昭和52年(1977)1月,食肉小売品質基準を設定した。従来食肉小売店における表示は,店により部位別,料理別あるいは等級別等と多様で,消費者が購入するさい判断に迷うようなことが多かったので,牛肉と豚肉とについて,これを小売販売する場合の規格と表示を統一して,これを普及することにより,消費者と小売店との信頼関係を一層深めることをねらいとしたものである。

   4 牛肉の時期的,地域的消費動向など

 牛肉消費の時期的変動は,往年は月により屠殺頭数に変動があって,農繁期前の4−6月が少なく,牛肉需要期をひかえて秋から年末にかけて多くなっていて,松茸相場とか花見相場とかの言葉のように,牛肉消費に季節的消長があった。しかし,現今では牛は役用でないこと,冬季にはスキヤキやシャブシャブのような鍋ものに,夏季は厚切りとして焼肉やステーキにと消費パターンの変化したことにより年中需要量が変らなくなったので,年末の割越しを除いては余り月別の変動がなく,むしろ土用丑の日にスタミナ源としてうなぎに代る肉消費が推奨されるくらいで,8,9月ごろの消費も結構多い傾向となっている。
 昭和30年代になって精肉として販売されるようになった乳用去勢牛肉は,昭和52年(1977)になると牛肉全体の約30%(乳廃牛も含めた乳牛肉と和牛肉との比は60対40)のシェアーを占めているが,これの肉質は,世界一の肉質を誇る和牛(黒毛)肉のそれに比較すれば,どうしても劣るので,小売店頭では前者を「国産牛肉」とし,後者を「和牛肉」として区別することが多い。また,昭和52年(1977)に牛肉消費量の25%を占めた「輸入牛肉」とも区別して取り扱われている。

 昔から牛肉は関西,豚肉は関東といわれていた。昔は,われわれが,ただ「肉」というときには,牛肉をさしていた。表2−3−8は総理府統計局の『家計調査報告』による,県庁所在都市別の1世帯当たり年間の肉類別支出金額を示したものである。最近国全体としては,豚肉の消費量が伸びて,牛肉の3倍近くになり,価格は牛肉は豚肉のほぼ2倍という関係になっている中で,支出金額だけで比較すれば,東京都区部では,牛肉対豚肉の比は1対2であるのに対し,大阪はこれと全く逆の関係にあり,岡山市でも,ほぼ大阪市に近い関係になっている。
 なお,岡山県内で屠殺された牛枝肉の1頭当たり平均重量は,明治30年(1897)ごろは150−160斤(90−100キログラム)ていどであったが,その後漸次大きくなり,昭和40年(1955)に200キログラムに達し,その後も増大を続け,同48年(1973)には300キログラムを超えた。その後も増大傾向は続いている。(表2−3−9参照)