既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第3節 和牛の能力利用

3 乳利用

(2) 大正,昭和年代における和牛乳利用

   1 和牛の余乳利用

 和牛の余乳(子牛に飲ませた残りの乳)を人の飲用に利用する考えは,明治末期牛乳の需給増加と乳価高に対する対策として,一部識者の間に提唱されたが,これを販売することは,「牛乳営業取締規則(明治33年,省令第15号)」に違反することになるので実行されなかった。それでも断続的かつ個人的に農家が和牛の余乳を利用した例はかなり多かったようである。
 昭和14年(1939)に至って,畜産試験場中国支場(現中国農試畜産部)において,石原盛衛らにより「和牛の泌乳および乳利用に関する試験」が開始されたが,第二次世界大戦の勃発とともに余乳利用の重要性も高まって来た中で,当時,京都大学農学部においても上坂章次教授らが和牛乳の理化学的研究や乳幼児に対する給与試験を行なうなど,和牛乳の利用普及のため活発な研究と指導が行なわれた。また,財団法人三井報恩会の助成もあって,昭和17年(1942)の調査によれば,岡山県苫田郡芳野村(現鏡野町)ほか鳥取県2カ所,島根県4カ所,山口県1カ所において,和牛乳利用はかなりの実績をあげ,一時は集団的にかなり普及したところもあった。県段階においても,岡山県千屋種畜場,鳥取県種畜場などは,この事業に熱心であった。
 岡山県農村振興推進本部(昭和25年3月)の『農村振興のしおり』によれば,当時の自給経済下,有畜農業的時勢を反映して,畜産生産面において「改良しようとする重要事項」の中に,「和牛乳の利用」と「乳牛の役利用」の普及をあげている。

   2 岡山県産牛の泌乳能力

 岡山県和牛試験場(昭和34年)の「試験調査成績概要」によって,岡山県千屋種畜場が昭和2年(1927)に和牛の泌乳能力に関する一連の調査を実施した成績と,昭和26−28年(1951−53)における和牛泌乳能力検定成績とについて,その概略を摘記して,本県和牛の産乳能力を知る手がかりとしたい。
 表2−3−10によれば,在来の和牛の泌乳能力は1日平均分娩後1カ月で4.3キログラム,以後漸減して6カ月で1.8キログラムと半分以下になっている。短角系牛は分娩後1カ月で9.1キログラムと在来牛の2倍以上で,その後も在来牛に対してほぼ同じ比率を保っている。
 つぎに,昭和27年(1952)の成績によれば,1日平均乳量は,分娩後1カ月間は3.6−7.0キログラム,その後漸減して6カ月では2.1−4.0キログラムとなり,この期間の平均日量は3.2−5.5キログラムであった。
 石原盛衛(昭和24年)によれば,和牛の搾乳量について,各種調査成績をあげて,産地による開差のあることを指摘し,鳥取県産牛の乳量は他県のそれより多いとしている。また,同氏自身の調査(初産分娩後21日から30日までの1日平均搾乳量)により,鳥取県産牛2.8キログラム,島根県産牛3.26キログラムに対し,岡山県産牛2.05キログラムの成績を発表している。思うに,明治時代雑種した程度の差が,このような産地間の格差を生じているのではなかろうか。
 和牛乳利用は,第二次世界大戦中から戦後にかけて,資源の乏しい,自給経済化において,その必要性が唱えられたけれども,その後酪農の発達と肉利用の増進とにより,牛用途の専門化の中で,今では全くかえりみられなくなった。