既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第4節 和牛の子牛生産と育成

3 明治,大正年代から昭和前期までの和牛の飼いかた

(1) 放 牧

   1 地帯別放牧状況

 岡山県では,南部と北部とでは,著しく地勢が異なり,南部は肥沃な平野が多く,北部はこれに反して山岳原野に富んでいる。耕地が多くて山野に乏しい南部においては,放牧はほとんどできない。ただ,わずかに吉井・旭,高梁の三大河川の下流にある附寄洲や,その堤塘のうえで放飼しているのを見かけるが,これらは,放牧というよりも,むしろ一種の運動に過ぎない。かつ,堤防などでは,附近に耕地があるため,つねに監視人がついているか,あるいは長い縄をもってけい牧するかしなければならない。期間は一定しないが,大体5月中旬から10月中旬までであった。
 北部は山林原野に富み,放牧地は少なくなかった。しかし,土地利用の進むにつれて,植林が奨励され,そのため放牧場の面積は,著しく減少した。いわゆる放牧といわれるような放牧は,阿哲,真庭,苫田,川上の各郡において行なわれていたが,その放牧地の多くは部落有林,町村有林などの公有林が多かった。放牧を主とする町村をあげれば次のようである。

 阿哲郡  千屋,菅生,上市(以上新見市),新郷(現神郷町),上刑部(現大佐町)各村が主体であって,その他神代(現神郷町)野馳,矢神(現哲西町),新砥,万歳,本郷(以上現哲多町),熊谷(現新見市),丹治部(現大佐町)などの諸村である。
 真庭郡  新庄,美甘,富原(現勝山町),勝山の諸村が主体であって,その他久世,八束,二川(現湯原町),川上の各村である。
 苫田郡  上斎原,奥津,富,香々美北(現鏡野町),羽出(現奥津町),阿波の各村を主とし,香々美南(現鏡野町),上加茂,西加茂,加茂,東加茂(以上現加茂町)などの各村とする。
 勝田郡  豊並(現奈義町),梶並(現勝田町)の一部
 なお,勝田,英田の両郡には,原野がないことはないが,この地方には従来から牡牛が多く飼われていて放牧に適しなかったのである。

   2 放牧期間

 放牧期間は,それぞれの地方の習慣や規約により一定していないが,おおむね,2期に分けられていた。春山・秋山および夏まやについては既述したとおりである。

   3 放牧期間中の管理と監督

 本県には,地区を区画して牧場とするものは極めて少なく,その多くは公有林や民有林をもって放牧地とし,とくに,管理者を常置することなく,畜主が輪番で看視して,牛の逃走などないように監督したり,あるいは,平素は放任し,時に巡視する程度であった。管理に留意する畜主は,時に牛をきゅう舎へつれて帰って休養させた。
 県の南部地方のように,半ば運動というような放牧では,早朝または夕刻に,しばらく放飼する程度であって,監視は児童や婦人がこれに当たった。

   4 飼料給与

 純然たる放牧地帯にあっては,放牧期間中,飼料を全く給与しないのが普通であったが,時として巡視の際,塩分補給のための味噌,漬物などを少量与えたに過ぎない。しかし,牛を朝放して,夕刻きゅう舎につれ帰るという,半舎飼の地方では,早春まだ青草の十分ないとき,または,晩秋になって青草のなくなった時などには,麦,大麦糠,麸のような濃厚飼料を少量給与し,また,紫雲英などを与えた。なお,懇切な飼養管理をするものでは,畦畔などの軟らかい一番草を給与して,放牧中の栄養分の不足を補った。