既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第4節 和牛の子牛生産と育成

4 昭和戦後期における子牛の生産と育成

(2) 子牛育成技術の進歩

   1 発育の向上

 和牛の飼養目的が,肉専用へと移行したのに伴い,子牛の発育は著しく向上した。全国肉用牛協会(昭和53年)の『日本肉用牛変遷史』により黒毛和種雌子牛の体高と体重について,その代表的な発育値の推移を見れば,戦前の昭和7年(1932)の値を基準にすれば,昭和50年(1975)の子牛の体重は,生後6ヵ月齢で約27パーセント,12ヵ月齢で55パーセント,また,16ヵ月齢では63パーセントも向上しており,その増大率は月齢が進むほど大きく,また,年代的には,役肉兼用から肉専用に脱皮した昭和30年代以降が顕著となっている。
 一方,体高は,体重ほどではないが,いずれの月齢においても,昭和30年(1955)以降の伸び率が高くなっている。このような和牛子牛の戦後における発育の向上は,血統,外貌審査,能力検定および後代検定に基づく育種的選抜による改良と,飼養管理技術の改善向上によるところが大きい。
 津山産地家畜市場に入場した子牛のうち,各年12月せり市の成績により,子牛の発育状況の変化を,体重でみると表2−4−5のとおりである。

   2 哺乳子牛の別飼い

 哺乳子牛の別飼いが,母乳から摂取する養分の不足を補い,かつ,反すう胃の発達を促するいう2つの効果により,その発育促進に必要なことは,古くから知られていたが,その論理的な裏づけは十分ではなかった。別飼いの重要性が科学的に実証されたのは,昭和30年代の後半に入ってからである。これが一般に普及するようになった背景には,産地家畜市場における子牛の価格が,その大きさによって大きく支配されるようになったことが,第一にあげられる。
 昭和30年代末から,繁殖雌牛の多頭化のため,あるいは,哺乳子牛に対する別飼いのため,濃厚飼料と粗飼料とを,個別に給与する例が多くなり,また,これらの給与方法も,自由採食の方式がみられるようになった。しかし,最近では,自由採食による濃厚飼料の過食を防止し,子牛の過肥になることを防ぎ,かつ,飼料給与労力を節減する目的で,濃厚飼料と粗飼料とを混合したペレット(固形飼料)を給与したり,細切した稲ワラを,重量比1割程度濃厚飼料に混ぜて給与する方法がとられるようになった。
 こうした中で,昭和44年(1969)には,わが国で初めて肉用牛の飼養標準が設定され,育成雌牛の1日1頭当たりの所要養分量と,給与飼料中に必要な養分の割合が提示された。これは,昭和50年(1975)に改訂され,現在,飼料給与の指標として広く活用されている。
 岡山県内では,昭和38年(1963)から,和牛子牛育成用の配合飼料がつくられ,県下全域に使用されるようになった。岡山県経済連による給与基準を示せば表2−4−6のようである。その後,昭和50年(1975)には,和牛繁殖育成用配合飼料が販売されるようになった。なお,母牛の泌乳量の十分でない場合には,モーレットを加えて給与しているのが県北の子牛生産地における実態である。生後2〜3カ月は母牛といっしょに舎内飼育を行なうが,3〜4カ月以降,市場へ出荷する7〜8カ月齢までの間は,母牛はつなぎ方式で飼育し,子牛は開放牛舎を利用して,群飼いを行なっている。これは,生後2〜3カ月齢までは,舎飼いによって,子牛に乳を十分与えるとともに,子牛の事故を防ぎ,生後3〜4カ月以降は,子牛に十分な運動と日光浴を行なわせ,出荷2カ月前から肉をつけるために,子牛の給与飼料として育成配合飼料80パーセント,フスマ15パーセント,大豆粕5パーセントを配合し,それを不断給与とし,さらに圧ぺん大麦を毎日1頭当たり300グラム程度煮て与えている。その他粗飼料として,イタリアンライグラスの乾草を自由に採食できるようにしている。

   3 最近における子牛の放牧育成方法

 昭和30年代に入って,和牛のための草地造成が各地で実施されるようになると,国公立の試験研究機関などで,省力管理と生産費節減をねらいとした放牧による集団育成についての研究が,盛んに行なわれるようになった。
 放牧育成により,牛の発育は,舎飼いのものに比べて若干遅れるので,普通体重の0.5〜1.2パーセントの濃厚飼料を補給する。牧草地や改良草地における黒毛和種の放牧では,濃厚飼料無給与の場合の1日当たり増体量は,平均値で0.25〜0.40キログラムの範囲内にあるが,濃厚飼料を補給した場合には0.28〜0.53キログラムである。もちろん,良質の牧草が十分あれば,濃厚飼料無給与でもよい発育が期待できる。
 冬期の舎飼いには,体重の1.2〜1.6パーセントの濃厚飼料を給与し,粗飼料として良質牧乾草とサイレージを十分に与え,放牧期の発育遅延のとりもどしを期待するのである。
 なお,牧草地や改良草地において濃厚飼料補給(体重の0.5〜1.2パーセント)を前提とした放牧育成の場合には,1頭当たりの草地面積は,20〜30アールが必要であるとされている。
 最近,実際におこなわれている繁殖牛の哺育・育成期における,放牧を主体とした管理方式について,岡山県和牛試験場の例を,模式的に示すと図2−4−5のとおりである。

   4 植林地放牧

 『畜産の研究』(第19巻,第9号,昭和40年9月号)に,皆川保により,「和牛の造林地放牧とその要領」と題する論文が掲載されている。その論文を要約してみれば,中国山地は,きわめて林野率が高いが,造林地へ和牛を放牧することにより,林畜一体の多頭飼育による,一貫経営ができないものか,とのねらいで,造林地内へ和牛を実験的に放牧して調査した結果,次のようなメリットを期待できる。@ 下刈労働が約70パーセント省力できた。A 植林木の損害は,5〜6パーセントで,放牧しなくても7〜8パーセントと見込まれるので,予想外に少なかった。B 子牛の発育は,慣行放牧のものよりよかった等であった。そして,造林地放牧は,育林上からも,和牛の育成上からも,かなりの効果をあげているので,和牛の多頭飼育のうえから,こんご大いに推進すべきであろう,と結んでいる。このような実験等が推進力となって,昭和42年(1967)から,全国10カ所の国有林において,「混牧林経営肉用牛生産促進事業」が実施された。事業の目的は,「安価な肉用牛の生産を促進するため,大規模林地の草資源を利用した,長期ローテーション混牧林経営方式の肉用牛生産牧場を設置し,地域の実態に即した省力的な肉用牛一貫生産の技術体系の確立を図ること。したがって,本事業では林地の一時的活用でなく,育林施業との調和を図りつつ肉用牛を生産する技術体系の確立を行なうもので,山牛の特質の一つともいえる代償性発育を活用した効率的な肉牛の一貫生産(子牛生産+肥育)技術も含まれている(「畜産技術」1978年9月号)。」である。
 岡山県新見市および阿哲郡大佐町にまたがる新見牧場(事務所は新見市用郷)はその中の一つで,表2−4−7のような牧場である。

 この牧場における,実験の結果を要約すると,おおむね次のようである。(ア)下刈り効果についてみれば灌木−雑草型の場合は,シダ,ツツジ,アセビ,ネジキなどが不食草として残り,また,その他の灌木類の採食部は葉の部分のみで,幹や枝部が残るため下刈効果は劣り,省力率は約20パーセントであった。また,ササ−灌木型で,ササの比率が高い場合は省力率が,かなり向上し,約70パーセントであった。なお,傾斜度が30度以上の所では,ほとんど採食されず,効果はみられなかった。(イ)放牧による森林の被害についてみると,普通造林地の場合,林齢が高くなるほど被害率は減少している。たとえば,スギ林齢4年生では4.4パーセントであったが,6年生では3.5パーセントであった。草生造林地における観察では,普通造林地に比べ被害は大きくなっている。なお,傾斜度と被害の関係について,林齢4〜7年生のスギ人工林における調査結果では,急傾斜地ほど被害率が高くなっている。すなわち,15度以下では0パーセント,15〜25度では0.4パーセント,また,25度以上では7.1パーセントとなっている。(ウ)放牧牛の発育については,繁殖牛は当初子牛を導入し育成したが,発育標準に比べ,月齢24カ月の時点で体重が約50〜60キログラム下回っていた。しかし,36カ月をすぎると発育標準の下限値に達した。また,体高は24カ月齢で,下限値と同じか,もしくは1〜2センチメートル下回る程度であったが,36カ月齢では平均値に達した。(エ)繁殖状況は,受胎率90パーセント,子牛生産率80パーセントであった。(オ)疾病では放牧によるピロプラズマ症の発生がみられた。
 これらのことからして,植林地への放牧は,林齢,植生,傾斜度,あるいは面積などを考慮して行なえば,今後の肉用牛生産の有効な手段と考えられる。
 なお,広大な中国山地における林畜複合生産技術の確立を図るため,現在中国5県の関係機関により共同研究として取りあげられている。

    5.子牛生産育成経営事例

 @成雌牛10頭規模で山林原野を有効に利用している事例
      場 所   新見市千屋
      経営の概況(昭和50年)
       和牛頭数…成雌牛10頭,育成牛1頭,子牛6頭
       土地規模…水田95アール,畑10アール,牧草地10アール,自然草地100アール,樹園地40アール,山林11ヘクタール
       労働力…男女各1
       飼養施設…畜舎2棟269平方メートル,サイロ(円型)3基16立方メートル,きゅう肥舎120立方メートル,けい留場
       機械器具…耕耘機,トレーラー,カッター,草刈機,モーター
       和牛部門の位置づけ…農業粗収入約520万円の30〜40パーセント

 この経営は,広大な山林原野に恵まれ,40ヘクタールの放牧地をもっていて,昭和40年(1965)当時,すでに5頭の成雌牛を飼育していた。昭和48年(1973)から,成雌牛10頭飼育により,和牛部門の収入を農業収入の50パーセントにすることを目標に,規模拡大により経営を進めている。粗飼料は,40ヘクタールの共同放牧地の利用,40トンにおよぶ刈取り野草,稲ワラなどに加えて,延30ヘクタールからの飼料作物20トンを組み合せて充足している。
 野草の刈取りなど粗飼料の確保に,かなり労力を要しているが,放牧を加味することによって飼料作を含めた,成雌牛1頭1日当たりの労働時間は40分になっている。飼養計画にも無理がなく,高い子牛生産率を軸に少量の飼料作物生産により,安価な野草資源を活用した経営をおこなっている。

 A肉用牛と水稲を基幹とした舎飼いの優良事例
      場 所   津山市林田
      経営の概況(昭和51年)
       和牛頭数…成雌牛15頭,育成牛2頭,子牛12頭
       土地規模…水田330アール,飼料畑20アール,普通畑3アール,山林20アール
       飼料基盤…飼料専用畑20アール,水田裏作250アール,野草地2000アール
       概算所得…607万円(肉用牛314万円,水稲293万円)
       労働力…本人夫婦,息子夫婦(3,6人)
       飼養施設…畜舎2棟120平方メートル,納屋49.5平方メートル,堆肥舎19.8平方メートル,サイロ3基(円型1基,角型2基)
       機械器具…カッター,トラクター,モアー,マニュアスプレッダー,テッダー,トラック,軽四トラック,田植機,バインダー,脱穀機,籾摺機

 この経営者は,昭和20年(1945)から肉用牛の飼育をしているが,当時すでに5〜6頭を飼育し,比較的多頭規模であった。その後,逐次増頭して,昭和39年(1964)には10頭,翌40年(1965)には12頭,44年(1969)に14頭,51年(1976)には15頭の成雌牛を確保するに至っている。
 子牛生産率は88パーセントで,肉用牛の繁殖多頭経営としてはむしろ高い方である。子牛1頭当たり平均販売価格は37万円(雌平均41.4万円,去勢平均29.3万円)となっている。これは,成雌牛1頭当たりの粗生産額が33.5万円となって,農家所得に占める割合が50パーセントを上回り,安定した子牛生産経営となっている。
 水田裏作として,イタリアンライグラスを250アール栽培するほか,飼料専用畑20アールに,イタリアンライグラスとトウモロコシを作付けし,これに野草地200アールを利用して,飼料自給率70パーセントという高い自給率を示す経営である。
 ところが,岡山県における和牛子牛1頭当たり生産費は,表2−4−8のように公表されている。子牛生産費については,実勢価格に比べてつねにかなり高い数値が出ているため,企業計算上その収益性の低さが問題とされ論議されるところであるけれども,これについては飼料費をはじめ,自給率の高いこと,遊休性の強い労働力によることなどの特徴のある点を考慮することが実際的であると言われている。     

    6.岡山県畜産公社

 和牛振興の推進力として,模範的な放牧を主体とする多頭飼育経営を実施するため,岡山県は,市町村,農協と一体となって,昭和41年(1966)6月14日に「社団法人岡山県畜産公社」を設立し,津山市に事務所を置いて,同年7月1日から業務を開始した。
 この事業内容のおもなものは,雌子牛および成雌牛(初妊牛)を購入し,市町村あるいは農協を通じて農家に貸付して,飼養頭数の維持増大を図ろうとするもので,雌子牛の場合は,四産を目標に7年間,また,成雌牛は同じく四産を目標に5年間,貸与するものであった。
 これによって貸付された頭数は,昭和41〜46年(1966〜71)度までに,成雌牛295頭,雌子牛3,485頭,計3,780頭に及んだ。この貸付事業は,昭和47年(1972)から,国庫補助事業による,農協を事業主体とした,「肉用牛畜種集団整備促進事業」により家畜導入事業が開始されたため中止された。
 一方,放牧を主体とする肉用牛の飼育経営の推進,優良子牛の払下げを目的として,昭和41年(1966)には湯原町へ,同42年(1967)には奥津町へ,それぞれ肉用牛繁殖育成センターを設置し,約50ヘクタールに80頭の繁殖雌牛を飼育し,放牧飼養の展示をおこなった。なお,湯原繁殖育成センターは,昭和48年(1973)に地元の湯原町農協へ譲渡された。
 最近における,大家畜資源の漸減傾向および県内における土地基盤の現状,とりわけ県南部における都市化の拡大と工業の集積,新幹線および中国縦貫道の開通など,交通網の整備に伴い,民間大手資本による周辺土地の取得とその開発が進み,畜産用地の確保が著しく困難となってきているので,このような情勢をふまえ,土地基盤に恵まれた畜産の適地である,北海道山越郡八雲町桜野に,昭和51年度から牧場の建設に着手し,54年度完成を見た。
 その事業の概要は,(ア)和牛の生産,繁殖雌牛(黒毛和種)150頭を基盤として,子牛生産120頭を行ない,県内へ移入するほか,現地での払下げをおこなう。(イ)優良乳用牛の育成,北海道南部地域の血統優秀な乳用雌子牛を購入育成し,初妊牛として県内へ移入する。(ウ)乳用肥育素牛の育成,乳用雄子牛(生後10日)を地元酪農家から購入し,6ヵ月程度哺育育成したのち,肥育素牛として県内へ移入する。(年間育成予定頭数840頭)。(エ)その他,良質粗飼料(乾草)の移入ならびに北海道への和牛の供給等,北海道との連携拠点として活用するとともに,畜産技術者および大規模経営を志向する県内農業後継者の技術研修を行なうことにしている。     

    7 和牛(肉用牛)関係施策

 和牛振興を,計画的かつ積極的に推進するため,県は,昭和41年(1966)に「岡山県肉用牛振興要綱」を定め,和牛の改良地域,増殖地域などを指定した。これによると,改良地域は新見市,津山市,大佐町,湯原町,新庄村および富村など県中北部を中心とする2市31町10村の計43市町村であり,また,増殖地域は吉井町,佐伯町および矢掛町などの6町であった。
 この指定地域は,昭和47年(1972)に,内容が一部変更されたため,従来とことなり,子牛生産を主体とする地域と,肥育を主体とする地域との2つに分けて指定することになった。子牛生産を主体におこなう地域にあっては,繁殖用雌牛がおおむね200頭以上飼養されているか,または,その計画を有する地域であって,森林原野の面積の割合が,総面積の40パーセント以上であり,改良増殖意欲の高い地域とした。これによって指定をうけたのは津山市,新見市,高梁市,北房町,備中町,哲西町,落合町,八束村,阿波村など3市32町10村の計45市町村であった。(図2−4−6参照)

 この指定地域を中心として,次のような和牛の振興施策が,積極的に推進された。

     公共育成牧場の設置と運営

 経営の合理化を図るため,昭和41年(1966)から47年(1972)にわたり,和牛の子牛生産利用の公共育成牧場が,苫田郡奥津町(大神宮原牧場,昭和41〜42設置),苫田郡上斎原村(恩原牧場・昭41〜44設置)を初め,奥津町(六合牧場),哲多町(哲多町繁殖育成センター),美星町(野呂上牧場),勝田町(右手牧場),阿波村(大ケ山牧場),勝山町(菅谷牧場),新庄村(浦手牧場および茂村牧場),旭町(篠原牧場)の11ヵ所に設置された。

     肉用牛経営規模拡大促進事業

 肉用牛を,計画的かつ集団的に導入し,規模拡大により経営の安定を図るため,農協が事業主体となって,農家に成雌牛あるいは,育成牛を貸付する事業が,昭和47年(1972)から開始された。これにより,新見市,津山市,川上町,鏡野町などを初め,17市町村において,昭和53年(1978)までに約1,500頭が貸付された。

     高齢者等肉用牛飼育モデル事業

 肉用牛飼養適地である農山村地域において,労働力の高齢化および婦女子化が急激に進行していることから,モデル的に高齢者等に肉用牛飼養を奨励することにより,肉用牛資源の確保に資するとともに,高齢者等の福祉を図ることを目的として,市町村が事業主体となって,家畜を購入し,高齢者等に貸し付ける事業が,昭和50年(1975)度から国の補助事業として開始された。これによって,新見市,大佐町など14市町村において昭和53年(1978)度までに,約700頭の繁殖用雌牛が貸付された。なお,この事業は同年度からは,高齢者等肉用牛飼育事業と改め,農協有事業と市町村有事業に分けて実施されることになった。

     高齢者等福祉畜産対策特別事業

肉用牛の保留促進と,老人等の生活安定に資するため,1〜2頭飼養の小規模農家,または耕種農家で,老人あるいは婦人等が,肉用繁殖雌牛を導入または保留する場合に,奨励金を交付する事業が,昭和49年(1974)度から,県単事業として実施された。これにより,津山市,高梁市,加茂川町,美甘村等49市町村において,昭和53年(1978)度までに約2,500頭が導入,または保留された。なお,昭和54年(1979)度からは,農山村高令者婦人いきがい対策事業の一環として,肉用牛生産奨励事業と改めて実施されているが,その内容は,ほとんど同じである。

   (5) 肉用牛生産団地育成事業

 昭和40年代の後半に入ると,肉用牛の繁殖生産に適する地域において,共同利用飼育牛舎,集団肥育牛舎の設置あるいは,飼料生産のための条件整備を推進し,肉用牛経営規模の拡大と,生産性の高い肉用牛繁殖経営群の育成およびその団地化を図るため,繁殖から肥育にいたる地域内一貫経営が,肉用牛生産団地育成事業として,昭和47年(1972)から県北の子牛生産地帯に実施されている。
 この事業により,全国では昭和47年(1972)度から同52年(1977)度までに127ヵ所の団地が設置されたが,岡山県では,昭和47,8年(1972−73)度にわたり真庭郡湯原町に最初の団地が設置され,その後,阿新第1団地(新見市,大佐町)が,昭和48,9年(1973−74)度に,同第2団地(神郷町,哲多町,哲西町)が,引続いて,苫田西北団地(上斎原村,奥津町,富村),美甘団地および鏡野団地が昭和53年(1978)度までに設置され,また,同年度から,加茂地区(加茂町,阿波村)と新庄村においても事業がおこなわれ,地域内における子牛の生産から肥育にいたる一貫経営を推進している。