既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

2.大正時代から昭和前期における肥育

 老廃牛を飼いなおして,よりよい肉をより多く得ようとする「肥育」は,大正の初めまでは,ごく一部の地域で行なわれるに過ぎなかった。
 明治末期からの急速な牛肉需要の増加は,牛肉価格の上昇を招き,朝鮮牛の移入や青島肉の輸入を盛んにした。このころから和牛の肥育が各地に普及するようになった。

  (1) 第7回中国連合畜産共進会協讃会肉牛共進会

 大正元年(1912)に,姫路市で開催された第6回中国連合畜産共進会の付帯事業として,初めて肉牛共進会が開かれたのを初め,同4年(1915)には,岡山市で開催された第7回中国連合畜産共進会において,岡山県協讃会の主催により,肉牛共進会が開催され,中国各県2頭ずつ計12頭が出品された。同年9月5日の山陽新報によれば,その審査の概要は,肉牛の適否,牛体の肥度,屠肉の歩合,肉の性質滋味等について審査を行なうが,前二者は生体のまま審査し,後の三者は屠殺解剖後,肉について審査するとある。10月9日の同紙によれば,「昨8日午前9時から上伊福の岡山屠場で,共進会出品肉牛のうち,山口県,鳥取県のもの各1頭,本県産のもの2頭計4頭の牝牛を屠殺した。本来は,出品肉牛全部を屠殺して,生肉の歩止りを計量し,肉質を吟味するのがよいけれども,止むを得ず外貌審査だけに終ったものが多い。しかし,もとよりその道の玄人が練達の眼利きをしたのであるから,外観から推して肉量肉質を鑑査しても,万に1つも粗漏のあろうはずはない。」とある。そして,連合共進会とは関係なく,市内の牛肉店,細田,西岡,村岡,松原などが,肉牛共進会で審査ずみになった肉牛を買い受けたものを,岡山屠場に托して屠殺した,ということであった。
 なお,前記4頭の屠殺解体して審査した牛の牛肉は,生肉販売店に卸売りし,生牛の評価額と実際の肉価との差額は,共進会主催者がこれを賠償した。なお,協讃会が授与した賞金は,1等賞25円,2等賞15円,3等賞10円であった。