既刊の紹介岡山県畜産史

第2編 各論

第2章 和牛(肉用牛)の変遷

第5節 肉用牛肥育事業の進展

2.大正時代から昭和前期における肥育

  (2) 肥育事業の奨励

 大正8年(1919),「畜産奨励規則(農務省令第12号)の公布により,各地に肉牛共進会が開催されるようになった。大正15年(1926)には「乳肉卵共同処理奨励規則」が公布され,漸次和牛肥育の発達条件が整った。
 昭和7年(1932)7月には「牛豚肥育事業奨励規則」が公布され,道府県,畜産組合連合会,または農林大臣が適当と認める法人が,牛豚の肥育について,@模範施設,A講習会,講話会,競技会,その他牛豚肥育に関する知識の普及向上のため適当と認める施設,B牛豚の肥育に関し共同の施設事業を行なう組合または畜産組合の事業に関して必要な建物,工作物,または器具機械の設置に対しては,奨励金が交付されるようになり,各地で肥育の奨励施策が活発化した。県では,この年に第1回肥育競技会を開催し,翌8年(1933)には岡山市において,近畿,中国,四国肉畜販売会議が開催され,また,第2回肥育競技会も開催された。ついで,第3回が昭和10年(1935)に開催されるというように,盛んに肥育奨励行事が行なわれた。
 昭和前期における西日本の主要肥育県および中国地方各県の肥育状況をうかがう資料として表2−5−1を掲げた。当時の岡山県では,かなり急速に肥育が台頭したことがわかる。
 岡山県(昭和11年)の『岡山県要覧』によれば,肥育牛は,県南部地方農家の副業として,県ならびに畜産組合連合会が助成していて,近年長足の進歩をとげ,肥育組合20,組合員800を算し,肥育頭数3,000頭に及び,肉牛の声価も高くなっている,とある。
 昭和9年(1934)5月現在における肥育組合の設立状況は表2−5−2のとおりであった。